第54話 それの獣生

 それは弱かった。


 生まれた時より多くの兄弟がいた。当時それは数の概念を持っていなかった。ゆえに、兄弟が一体何頭いたのかは覚えていない。

 生まれたその時からそれは弱く、他の兄弟に比べると体重は数百グラム少なかった。

 人間にとっては誤差かもしれないが、それの種族にとっては致命的な差である。


 母の乳に群がる時、一際小さかったそれは当たり前のように隅へと追いやられた。

 それはその扱いを当たり前だと思い、承伏した。

 それの種族は、最初は弱い。それが当たり前。力も、魔力も、病原体の抗体すら他種族から接種しなければならない。

 自ら生み出すことはできない継ぎ接ぎの種族。

 弱いからこそ、それの種族は多産であった。その多くは大人になる前に他の魔物から殺されるのだ。他の魔物たちは長い歴史で知っていた。それたちが長生きした時、何よりも危険な存在になることを。

 しかし、それはその同じ弱い赤子の同族の中ですら弱者という扱いであった。


 ある日、それに最後通告が言い渡された。

 力の弱い他の兄弟二頭と共に母親から放逐されたのだ。非情に見えるかもしれないが、それの種族の中では合理的かつ当たり前の判断であった。

 弱い個体に育児の力を割くくらいであれば、強い個体のみを残して育む。別段それの母親が非情なのではない。ほぼ全ての個体がそうなのだ。

 二頭の兄弟との別れはすぐに訪れた。

一頭はバトルウルフの餌食になった。もう一頭と共に、捕まった兄だか姉だかを囮にして逃げ切った。二頭目はゴブリンに刈られた。まだ走るのが遅かったそれ達は、足が速くもないゴブリンにすら追いつかれ、殴殺された。


 それは独りぼっちになった。


 それは直ぐに自分も兄弟を追うことになるのだと、半ば運命を受け入れ始めた。


 だが、それは運だけはよかった。豊かな土壌、それに集まる魔物。およそ強い魔物が生息するには好都合なその場所で、それは運よく生き残った。

 そしてある程度の危機を脱した後、自分には考えることしか能がないことをそれは知る。考えるのだ。生き残るためには考えるしかない。

 バトルウルフの生息地には近づかない。コボルトの足跡を見分ける。ゴブリンの異臭を覚える。空がひび割れるような音がしたときはワイバーンが叫んだ時。鉄の臭いがしたらアーマーベアが近い。綺麗な水辺に寄れば殺される。泥をすすって生きる。甘い果実が実る木に寄ると殺される。腹を下すような不味い実を見つけては、食べて飢えをしのいだ。


 それは何度も疑問を感じた。

 ゴブリンに槍を突き立てられたとき、何故自分には器用な手がないのか。リザードに襲われたとき、何故自分には鋭いかぎ爪がないのか。ロックアルマジロを見た時、何故自分には身を守る鎧や甲羅がないのか。

 欲しい。身を守る術が欲しい。自分の生命を脅かす存在をかき消す力が欲しい。敵から逃げる術がほしい。

 命からがら逃げ伸びる日々。

 それの頭の中は「ほしい」で埋め尽くされていた。


 小さく弱い魔物。動かない植物型の魔物。運よく見つけた魔物の死体。それらを体に継ぎ接ぎに、でたらめに、あべこべにつけて回りながらそれは生き延びた。


 ある日、それは恐怖の象徴に出会った。

 ワイバーンだ。

 あれほど警戒して出会わないようにしていた巨獣。

 それは考え抜く力こそあったものの、残念ながら元より持ち合わせた知能は高くなかった。世界には周期があること。季節があること。そしてその日はワイバーンの繁殖期であったこと。それらをそれは知らなかったのだ。

 その時もまた、運がよかった。

 ワイバーンは二兎を追っていたのだ。自分自身と、アーマーベア。ワイバーンは当然、体が大きく食いでのあるアーマーベアを選んだ。魔物の死体を継ぎ接ぎしたそれは、とても美味とはいい難い体臭をしていたからだ。


 地獄の業火を見た。


 それはアーマーベアを単騎ではとても倒せない怪物だと思っていた。どのような刃も爪も通さない、鋼鉄の鎧。ワイバーンも当然、それに苦戦すると思っていたのだ。

 だが、ワイバーンはアーマーベアを鎧の上から焼き殺した。アーマーベアは自慢の鎧で蒸し焼きにされ、絶命することになった。

死んだアーマーベアの鋼鉄の鎧を顎でひしゃげ、肉だけを持ってワイバーンは去った。

 それは残ったアーマーベアの鎧を自分に継ぎ接ぎしながら、この森から離れることを決意する。


 でも、どこへ?


 それは何も分からず、太陽が昇る方角へとひたすら歩いた。

 太陽に近い植物は美味しい実を作る。きっと安全で美味しい実が手に入る場所がどこかにあるはずだ。それはそう思った。


 道中、それはワイバーンとはまた異質な恐怖と出会う。

 否、嫌悪とも言えるだろう。


 二本の足で立つそれらはニンゲンという魔物らしい。

 それはニンゲンたちの生態を全く理解できなかった。やつらはコトバという、狩に使うには長くて不便なコミュニケーション手段を用いていた。

個体によって戦い方も違う。魔法を使う者。体術を使う者。武器を使う者。千差万別だ。他の魔物みたいに鋭い爪や鋭い嗅覚を持つ奴らもいた。

 同じ種族であれば同じ特徴を持ち、戦い方も大きく変わらない。そう思っていたそれは、ニンゲンに出会うたびに混乱した。


 何よりも嫌悪したのは、ニンゲンたちが浮かべるエガオというものだった。

それも含めて、ほとんどの魔物には表情がない。ゴブリンが下卑た笑みを浮かべるのは見たことがある。だが、ニンゲンの作るそれが、それにはゴブリン以上に残忍に見えたのだ。

 他の魔物たちはそれを敵として、食料として命をとりにきた。生きるための闘争。生きるための狩猟。

 だがニンゲンたちはどうだろう。それ以外の何かとして、それは見られていた。

 それがたまらなく気持ち悪かったのだ。

 彼らは自身と同じ生命であるはずなのに、森の魔物たちとは違う道徳モラルに生きている気がしたのだ。


 アーマーベアを取り込んでいなければ、最初に出会ったニンゲンに確実に殺されていた。

 その事実にそれは、後で気づく。


 それは這う這うの体で海辺にたどり着いた。

 ワイバーンのいないところへ。ニンゲンのいないところへ。

 恐怖の象徴と、嫌悪の象徴から逃げるように海へ来た。

 ワイバーンもニンゲンも水の中には住まぬ。水が多くある川をたどれば、そのどちらもがいない場所がきっとある。それの予想による行動が、それを海へと導いたのだ。


 不思議な邂逅を果たした。


 海辺に黒い巨体が横たわっていたのだ。

 シャチのようなその魔物には、巨大な角が生えていた。

 それはすぐに気づく。

 その巨大な魚のようなものが持つ目には、ゴブリンやニンゲンが持っていた知性が煌めいていた。


『驚いた、小さき者よ。生まれて間もないが、そなたには素養がある。』

 その巨魚は神語で語り掛ける。


 それは当然、巨魚が何を言っているかなどわからぬ。

 だが、自分に何かしらのコミュニケーションをとっていることはわかった。

 それは他者に話しかけられることなど生まれて一度もなかった。

 初めて話しかけられて心に浮かんだ感情は困惑と歓喜。それは自分の心の動きに当惑する。


『ふむ。自分の素養にも気づいていないか。そもそも知能が追いついていないのか。実に惜しい。』

 巨魚はその巨体に似合わず、静かに語り掛ける。


 それは巨魚をどうするべきか悩む。

 今までのそれであれば、陸に打ち上げられた魚などすぐに自分の中へ取り込んでいた。

 だが、目の前の巨魚は死を前にして異常なほど落ち着いている。それが気になって仕方がない。

 何よりも、この巨魚とのコミュニケーションを続けたい。それは自然とそう思ったのだ。


『ふむ。持っている知能の割には能力が高い。よほど苦しい思いをしてきたのじゃろうて。キメラなぞ、普通は海には寄り付かぬ。何者にもなれるとはいえ、元は陸の者じゃからのう。』


 それは巨魚が何を言っているのか見当もつかない。

 だが、言葉の響きに慈愛を感じることはできた。


『わしは長く生き過ぎた。恐ろしいものはたいてい克服できた。じゃが、一つだけ克服できなかったことがある。わかるか? 小さき者よ。』


 巨魚はそれが理解していないことに当然気づいている。

 だが、饒舌に言葉を紡いでいく。


『孤独じゃよ。海の中で同程度の知能をもつ仲間なら出来た。じゃが、死に目を見せるのが怖くてのう。ここで一人で朽ちようと思っていたところじゃ。おぬしが来てくれてよかった。いざとなると怖いのう。死は怖くない。孤独が怖いのじゃよ。』

 巨魚は笑う。


『ふむ。楽しい会話の邪魔者がおるのう。』


 巨魚の目線をそれが追うと、そこにはフォレストハイエナがいた。

 それはフォレストハイエナが苦手だ。

 フォレストハイエナは弱いものを狩ることと、死肉あさりを得意とする。

そしてそれは、弱いものであり死肉を大量に体にまとっている。

 それの死臭と、死にかけの巨魚につられて現れたのだろう。


ね。』


 海から水が持ち上がり、空中に球体の水の塊が出来上がる。水弾は勢いよく飛んでいき、フォレストハイエナの脇腹に着弾した。

 フォレストハイエナはたまらず姿を消す。


 それは新鮮な気分だった。自分が庇護されることなど獣生じゅうせいで初めてのことであった。


『力が今のでほとんど尽きたのう。』

 巨魚が力なく呟く。


 それから数日は奇妙な共同生活が始まった。

 それは巨魚の面倒を見て、巨魚は独り言のようにそれへ話しかける日々。

 それは磯にいる小さな水生の魔物をたくさん取り込んだ。同じ海の魔物を吸収すれば、巨魚が喜ぶことが何かわかるかもしれないと思ったからだ。

 それは、魚は海水がないと死ぬことを知った。


 それは生まれて初めて能動的に狩りをした。生き延びることに必死で、今までは自身が捕食者の側に回る発想などなかった。

 だが、巨魚と話したい一心が、それを捕食者にしたのだ。

 狙う敵は小銃魚デリンジャー

 普段のそれであれば、決して挑もうとは思わない敵である。だが、この魔物は体内に含んだ水を排出する機能がある。

 巨魚に海水をかけてあげたい。

 器用な手をもたないそれにとって、小銃魚はうってつけの獲物だったのだ。

 ほどなくして、水弾で体を穴だらけにしたそれは、小銃魚の吸収に成功する。

 数分おきに巨魚へ海水をかける生活を続けた。


 それの努力も虚しく、巨魚の落命は来た。


『小さき者よ。わしを食べなさい。』


 厳かにそう言い、巨魚は絶命した。

 

 それは泣いた。

 生まれて初めて泣いた。

 自身の境遇にも、兄弟との死別にも泣かなかったそれは、さめざめと泣いたのだ。

 それは悲しみの感情を知った。

 泣きながら巨魚を取り込んだそれは、巨魚が暮らした世界に興味をもった。

 海に入ったのだ。


 海は雄大だった。賑やかで、陸以上に孤独であった。

 巨魚を取り込んだそれに戦いを挑むものは、広い大海でもほとんどいなかった。


 そしてそれは見つけた。海に没したタラスクの亡骸を。


 それは歓喜した。

 巨魚を取り込んだ時、巨大な英知が流れ込んできた。その英知を感じた時、海で自分は生きていけるのだと確信した。

 今回流れてきたのは圧倒的な力だった。鯨よりも巨大な体を動かすことができる強大なエネルギー。その全てがそれに入ってきた。

 それは全能感を知った。


 と同時に、欲も増えた。


 孤独に生きることが辛くなってきたのだ。深い海の底で、それは生まれてからずっと待ち望んでいた完璧な安全を堪能する。

 だが、それだけではだめだ。足りない。

それには仲間が必要であった。

 タラスクという巨大な力を手に入れた今よりも、巨魚と共にあったあの数日が幸せであったとそれは気づく。


 行かなければ。

 誰かに認められなければ。

 そうだ、母親の所へまた行こう。

 弱かったから己は捨てられたのだ。強い今であれば自慢の子にもなれよう。


 そう思ったそれは、今一度陸にあがるべく動き出した。


 道中、いろいろな魔物を吸収した。水中で爆発する魚。巨大なイカ。大砲を放つ植物。そしてワイバーン。

 その全てを蹴散らし、それは自身の生まれた巣へと帰ってきた。


 返ってきた返事は拒絶だった。

 絶対的強者に対する恐怖という名の拒絶。

 母がそれを見る目は、わが子に対するものではなかった。


 それはまた孤独であることを選ぶことになる。


 ニンゲンが襲ってくる頻度が増えてきた。

 それは疑問に思う。

 強者であるはずの自分に、弱者である彼らは何故挑むのだろう、と。

 不思議なニンゲンもいた。負けたはずなのに清々しい顔で散った二人組。長剣使いと双剣使いの二人組だった。

 我儘なやつらだ、とそれは思った。

 勝手に命をとりに来て、とられて、勝手に満足して死んだのだ。

 嫉妬もした。

 その二人にある絆が、自身と巨魚との間にあるものよりも崇高なものに思えたからだ。

 それ以降来たニンゲンたちはみんなつまらなかった。


 それは再び水の中に身を沈めることにした。巨魚が愛した、深い深い水の中。だが、不思議と大海に戻る気は起きなかった。

 まさか、まだ自分はこの地に何かを期待しているのだろうか。すわそんなことが頭の中をちらついたが、それはその考えを頭の中に押し込める。


 沈めるのだ。身も心も。


 何かを待ち望むかのように、それは巨体を湖の底へと沈めた。

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