第29話 訪問者3

「どうして来てくださらないのですか?」

 姫様がきょとんとして、俺に問う。


 俺たちは今、師匠の家のダイニングテーブルを囲って座っている。

俺と師匠が隣り合わせ。向かい側には姫様を中心に、両脇をイアンさんとメイラさんが固めている。

 紅茶を淹れて俺も座る。


「まだ、マギサ師匠から学ぶことがあるからです。」


 イアンさんがすぐさま紅茶に毒感知魔法をかける。

 毒なんて入れてないんだけど、これもまた彼の大切な仕事なのだろう。


「それはきっと城でも出来ることですよ?」

 姫様がテーブルに前のめりになる。


 大きな双丘がテーブルに押し付けられる。

 俺はテーブルになりたい。切に。


「姫様。」

 メイラさんが短く諫める。


「あっ。はしたないまねを、すいません。」

 姫様が下がる。


 いえいえ、たいへん眼福でありました。


「城でも魔法の研究は出来るかもしれませんが、ここには師匠本人がいますので。」

 俺は話を続ける。


「でも、マギサおばあ様は貴方を放置しているのでしょう?」


 何故わかるし。


「落としてはならないことは、さりげなく教えてくださるんですよ。」

 隣で師匠の眉がぴくりと動く。


「確かに宮廷時代でも、さりげない示唆はしていらっしゃいましたね。」

 また師匠の眉が反応する。


「あんたはその時まだ六歳だったろうに。よく覚えているもんだね。」

 師匠も会話に入る。


 本から目線は上げていない。


「ええ、だからこそ悔しいのです。私がもっと早く生まれていれば、マギサおばあ様の研究の素晴らしさをもっと理解できたのに。」

 姫様が苦渋の顔になる。


 美人ってどの顔になっても美人なんだな、と阿呆みたいなことを俺は考える。


「師匠はどんな研究をされていたんですか?」

 俺は何となく、会話を引き延ばそうと思い質問する。


 でぃすいずジャパニーズトークテクニック。

 結論は出ないが長く会話はを伸ばすことはできる。

 向かい側でメイラさんが俺を悲壮な目で見つめている。何故だ。ホワイ?


「よくぞ聞いてくれました!」

 姫様の瞳が爛々と輝く。


 あ、ちょっとわかったかもしらん。


「マギサおばあ様の国への貢献は計り知れないものがあるのです!まずは水魔法の体系化ですね。ちなみに私が水魔法が得意なのはこのおばあ様が体系化した魔法のおかげであるところが多くあります。我が国エクセレイ王国はディザ川という巨大な運河からとれる水と資源を強みとして発展してまいりました。ですが、それは大きな水害と隣り合わせの生活をしてきたということです。それを解決するためにおばあ様は水魔法を独自に体系化したのです。具体的には水の流れを感知する感知魔法と、水操作の魔法ですね。これにより、水害を感知できる魔法使いが国中に増え、事前に避難することや対策することが容易になりました。年間にして700人程度の人命が救われているという予測統計もあります。水操作の魔法も体系化したということもあり、溺れた人間の救助や、一時的に水を退ける対策をとることもできたのです。今のエクセレイ王国の人口はうなぎのぼりに増え、大きな発展を遂げています。ここ40年の経済成長率はノンストップでプラスです。それは間違いなく魔法インフラを整えたマギサおぱあ様の功績に違いありませんわ。それだけでなく通話魔法も体系化されたのです。なんと、遠くの都市と簡単に連絡をとれる魔法です!情報戦で我が国が他の国に遅れることはほぼありえません!恐ろしいのは、普通の魔法使いにとって自身が生み出したり体系化したりした魔法は財産なんです!マギサおばあ様は、それを市井の魔法使いたちにあっさりと開示したのです。これがどんなにすごいことか。『自分が作った魔法はごまんとある。一つや二つくらい構わない。』とおばあ様がおっしゃった時の当時の魔法使いたちの表情は想像に難くありません!」


 早口で言ってそう。というか、早口で言ってる。


 向かいの席でメイラさんが、「お前のせいだぞ」と目で訴えてくる。

 すいません。


「師匠ってすごいんですね。」

「はいそうなんです!それでですね「なおさら私はこの家を離れられませんね。」今いいところなんです!」


 さいですか。

 姫様の話を切ることは不敬に当たるかと思ったが、イアンさんは黙している。

イアンさんも彼女の長話は辛いものがあるのだろう。

 ダイニングルームの隅では、ルビーとナハトとジェンドもドン引きしていた。


「おばあ様がすごい所は魔法の開発や体系化だけではないのです。その運用も実用に耐えるものばかりだったのです。普通の魔法使いは部屋に籠って学術に明け暮れる者と、自身が実演して証明するものの二通りに分けられるのです。特に実演するためには魔力が多いものでなければそもそもできないものも多くあるからです。しかし、おばあ様は自ら開発した魔法を自分でやってみせて周囲を納得させてきたのです。闘技場でですよ!?名のある傭兵や冒険者の中に魔法学院の生徒が混じって、新しい魔法を次々と使いばったばったとなぎ倒して観客の名のある魔法使いたちにこう叫ぶんです。『私が作った魔法に文句があるのか!私が若いから嫉妬しているんだろう。老害どもが!』と!」


 俺はちらりと師匠を見る。

 目の前に香辛料のような強烈な香りが漂う。目潰し魔法だ。

 いい歳した婆だろ!? 恥ずかしいからって目潰しするか!?


「ぎゃああああああああああああああ!!」

「どうしたんですか?フィル君。まぁいいや。続けますね。」


 続けるのかよ!


「その闘技場で、何とおばあ様は四属性の魔法を使用したのです。四属性ですよ!? 信じられますか!? 当時も今も、おばあ様以外は三属性使える者がトップとされているのです。それを魔法学院に通っていた、まだ学生のおばあ様は四属性使ったんです。ああ、同じ時代に生まれて見たかった!」


 姫様の表情は恍惚と輝いている。

 ああ、この人は魔法が好きで好きで堪らないのだ。

 きっと小さい時から魔法に魅入られていたのだろう。

 俺はそれがたまらなく、羨ましい。

 あと目が痛い。助けて。


「私も何度もこの森には挑戦したのよ。でも中々おばあ様の迷宮魔法が突破できなくて。地形を利用した位置感覚をずらす魔法なんて、どんな意地悪な魔法なのかしら!」


 そりゃばばあ師匠の作った魔法だ。意地が悪いに決まっている。


「でもそれでいて美しいの!やっぱり最初から用途が決まっている魔法は組み立ても美しいわね。攻略するのに4年もかかってしまったわ。それ以上に城を抜け出すのに苦労したけどね。」


 とんだお転婆である。

 あと、言葉使いがどんどん崩れていってるぞ。このお姫様。

 だが実力は本物だ。

 俺は5年経っても自力で突破できていない。


「山育ちのメイラを雇ったのは正解だったわね。彼女の感知能力がなければからくりに気づけなかったわ。気づいてからの解析もかなり時間がかかったけども、解析の時間は至福のひと時だったわ。」

 ニコニコしながら姫様は紅茶を口にふくむ。


 隣には目元を真っ赤にしたイアンさんとメイラさん。

 師匠、俺だけじゃなく二人にも目潰し魔法したのか。

 俺はジト目で隣をにらむ。


「小娘。」

 師匠が口を開く。


「はい?」

 笑顔で姫様が応じる。


 よかった。師匠が口を開けば姫様も止まるんだな。

 イアンさんが何も言わないということは、師匠は第二王女を小娘呼ばわりできる地位にあるということだ。

 改めて師匠はすごい。


「このクソガキがそんなに欲しけりゃくれてやるよ。とっとと連れて帰りな。」

「はい喜んで!」


 このばばあ!俺を売りやがったな!?


「待って!待ってください!」

 俺は慌てて叫ぶ。


「何を待てというのです?」

「俺はまだここで魔法の勉強がしたいんです!」

「おばあ様が残した書物はここよりも、城の方が多いのですよ?」

「そうだとしてもです!」

「なりません。第二王女としての命令です。」

「職権乱用だ!?」

「そういうわけだ。行くぞ、少年。」

 イアンさんが俺を小脇に抱える。


 姫様が「命令」と口にしたせいで、業務モードになってしまっている。


「待ってください!時間をください!その期間に、五属性の魔法を極めてみせます!」

「待って。イアン。」

 姫様が待ったをかける。


「フィル君。今貴方はとてつもないことを言ったのよ。わかる?」

「な、何の事ですか?」

 イアンさんに降ろされた俺は、屈んだ姫様と見つめ合う形になる。


「五属性以上の魔法を極める魔法使いなんて、今そこにいらっしゃるマギサおばあ様以外はいないわ。生きている人の中ではね。」

「はぁ。」

「それが貴方にできるの?」

「————します。やってみせます。だから、私に時間をいただけないでしょうか?」


 こういう人相手に必要なのは誠意だ。

 俺はただ真っすぐに彼女を見る。


「…………期間はどうします?」

「二年です。二年で形にしてみせます。」

「わかったわ。二年待ちます。」

 姫様がすっと立ち上がる。


「ただし。」

 上から桜色の双眸が見下ろしてくる。


「二年後は有無を言わさず都に来ていただきます。私の庇護下で魔法学院にも通ってもらいます。貴方の研究は全て私——エクセレイ王国の礎となるのです。」


 おい、今私欲が漏れ出たぞ。


「構いません、ですが、一つよろしいでしょうか。」

「条件ですね。ある程度のことは許します。」

 口を開こうとしたイアンさんを姫様が手で制す。


 王族に口出しする俺は、この世界の基準でいえば不敬に当たるのだろう。


「私は生まれてから一度も森を出たことのない田舎者です。市井のことなど皆目わかりません。師匠が昔、士官していたのであれば良い国であることは伺えます。ですが、私はこの国をまだ自分の目で見ていない。魔法学院にも通います。貴方の庇護下にいることも構いません。多少の不自由にも目を瞑ります。ですが——。」

「忠誠を誓うのはこの国の在り方を見てから、ということですね。」

「はい。」


 隣からイアンさんの闘気が薄れていく。

 今日だけでかなり危ない橋を何度も渡っている気がする。


「構いません。唯々諾々と従うだけの駒は私に必要ありません。ですが——。」

 姫様の桜色の瞳がすっと切れ長になる。


「私の愛する国をおこがましくも見積もるといったのです、貴方は。であれば、相応の成果を二年後に見せてくれるのですね?」

 姫様から重圧が放たれた。


 この人、やはりただの王族ではない。

 使える魔法は二属性と言っていたが、一概に俺が上とはいえない。

 使える属性が少なくても、質が高い魔法を使う者はいる。

 エルフ達がそうだった。

 彼女もおそらく、正面からやりあえば今の俺では逆立ちしても勝てない人種だろう。

 それを肌で感じさせるプレッシャーだった。


「はい。必ずや期待に応えてみせます。」

「そう。では二年後を楽しみにしているわね。細かい契約は今度従者に送らせるわ。」

 姫様は出口に向かう。


イアンさんがドアを開いて待っている。


「ありがとうございます。」

 俺は姫様に向かって頭を下げる。


「ところで——。」

 姫様がドアの前で立ち止まる。


「はい?」

 俺は呆けた顔を上げる。


「君って本当に五歳かな?」


 心臓に悪い一言を呟き、第二王女は俺たちの家を去っていった。

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