第13話 魔女との生活

『フィオ、南西の方角からドリルホーネットが来てるよ。』

『気づいてるよ!ちゃんと魔力探知してるさ!ルビーが手伝ったら俺の修行にならないから黙っててくれ!』


 俺はバトルウルフをナイフで袈裟斬りにして叫ぶ。別れの日、カイムにもらったものだ。


『ひどい!僕は君のためを思って言ったのに!』

 ルビーが耳もとで叫ぶ。


『ありがた迷惑だよ!』


 俺は木々の間から飛び出してきたドリルホーネットの尻針を切り落とす。針を失えばしばらくすれば死んでしまうが、他の部位、特に手の螺旋状の爪が有用な素材なので引き続き交戦する。

 尻を切られて憤怒したのか、ドリルホーネットは上昇したのち上空からきりもみ回転しながら俺の頭上につっこんでくる。


「おっと。」


 俺はそれをサイドステップでかわす。

 ドリルホーネットは勢いよく地面に突き刺さる。自慢の螺旋状の鉤爪が埋まって抜けなくなっている。

 俺はそれを難なくナイフで横一文字に切り裂き、留めを刺す。

 身体を分解されてもしばらくは動ける種族なので、6本の足が生えている胸部を確実に潰す。それと同時に、毒袋が入っている腹部は傷つけない様に気をつける。

 初心者から中級者手前までの冒険者は、誤ってこいつの腹を破り、毒を浴びて死ぬことが多いらしい。ばばあ師匠。もとい、マギサ師匠から教わったことだ。

 絶命したのをナイフで突いて確認する。


「今日はバトルウルフの肉と毛皮。ドリルホーネットの螺旋爪と毒針、毒袋、あとは複眼かな。外骨格の殻も新人冒険者のプレートアーマーに使われるんだっけ。」


 俺はバトルウルフとドリルホーネットの死体を安全な場所に運ぶ。

 その場で解体するのは、よほど実力に自信があるかアホのすることだ。死体の臭いにつられて他の魔物をおびき寄せてしまうからだ。

 俺は数ヶ月前まで小型のワイバーンが巣にしていた地点の近くに陣取り、解体を始める。ワイバーンのマーキングが消えない限り、ここは解体を邪魔されることはない。

 とはいっても、ワイバーンよりも強い魔物は関係なくここを通る。もしそうなったら逃げるだけである。ワイバーン以上の魔物となれば竜種以上ということである。そんなもの災害と同じなので、来てしまったら祈りながら逃げるだけだ。


「ごめんなさい。ありがとう。」

 そう言って、俺は魔物たちの解体を始める。


『ねえ!狩つまんない!フィオが話し相手してくれないもん!』

「仕様がないじゃないか。俺は最低限、この世界で生きていけるようになるために強くなりたいんだ。」


 俺は5歳になった。言葉も話せるようになったので、ルビーには肉声で返事をする。さっきみたいな戦闘時には余裕がないので神語を使うが。


『生きるだけなら強くなる必要ないよ!』


「言葉が足りなかった。妹を守れるくらいには強くなりたいんだ。」

 横でルビーがキャンキャン騒ぐものだから、バトルウルフを捌く手がぶれそうになる。


『妹と僕、どっちが大切なの!?』

「お前は俺の彼女か。」

 しかも面倒な類の。


『彼女じゃないやい!友達さ!』

 ルビーがぱっと手を広げる。


 バトルウルフの身体を部位ごとに解体できた。後は防腐魔法をかけて皮を剥いでいくだけだ。よしよし、君は肉付きのいい狼かな? だとしたら体の油分が多くて皮を剥ぎやすいんだけど。

 びびびび、と皮にナイフを通して剥いでいく。

 この世界にきて五年、俺もかなりたくましくなったと思う。初めて魔物の解体をした時は気前よく吐いたものだ。


「じゃあ、いいじゃないか。」

『じゃあ、彼女になる!』

 手元がずれてバトルウルフの肉に傷をつけてしまう。


「え、ルビーって女だったの?」

 目線を手元からルビーに移して話す。


『いや? 僕たち妖精は雌雄同体だよ。君に合わせて雌になろうか?』


 ただでさえ人型で全裸なのだ。体つきがさらに女性に近づいたら、正直目のやり場に困る。


「いや、それはやめておいて。」


 ばばあ師匠に絶対馬鹿にされる。いや、ばばあ師匠にはルビーが見えないから大丈夫かな。

 バトルウルフを捌き終わったから、次はドリルホーネットに取り掛かる。


『大体、いつまでこの暮らしをするつもりなのさ。』

「よくわからないけど、ばばあ師匠から学ぶことはまだあるんだ。俺はこの世界の魔法事情は全くわからないよ。師匠がどの程度の魔法使いかは知らない。けど、あの人が現状の俺では手も足も出ないほどの使い手で、よき師であることは確かなんだ。」

『それ、本人に言ってあげなよ。あのお婆さん厳しいけど、君のことを憎からず思ってるよ。』

「わかってるさ。」

『それと、ばばあ呼びもやめてあげたら?』

「嫌だね。あの人にどれだけ辛い思いをさせられてきたか。数えたらキリがない。」


 生後間もなくの俺に、吐瀉物なのかわからないほどまずいポーションを与えては、あのばばあはポーションの効き目をレポートしていた。

 「エルフは魔素との親和性が高いからいい実験用具だねえ。」とは、ばばあの弁である。その上、働かざるもの食うべからずと称して三歳の誕生日を迎えた俺を魔物が巣む森に叩き込み、「晩飯を狩ってくるまでは家の敷居を跨いでくるんじゃないよ。」と言ったのは記憶に新しい。

 買ってくるじゃなくて狩ってくるなのかよ。とんだ初めてのお使いである。

 泣きながらバトルウルフから逃げ、イビルラビットを仕留めた俺は、帰ってすぐに夕飯を作らされた。嘔吐しながらイビルラビットを捌き、自分のバースデーディナーを自分で調理したのである。意味わからないくらい不味かった。

 俺の安全確保のために使い魔をお供につけてくれるあたり、逆に怒りづらくて性格が悪い。ちなみに使い魔は、バトルウルフに俺が押し倒されても手助けしてくれなかった。鬼か。

 そういったものが積み重なり、ばばあ師匠と呼ぶのだ。お返しにというわけではないのだろうが、ばばあ師匠は俺をクソガキと呼んでいる。


『僕はあのお婆さん、好きだよ。フィオみたいに話し相手は出来ないけど、僕が言いたいことは魔素の流れを読んでおおまかに理解してくれるし。これ、出来る人はものすごく少ないんだよ。』

「わかってるよ。」


 俺も以前試したのだ。すると、さっぱりルビーの言いたいことがわからなかった。会話が続かないことにルビーが痺れを切らし、泣き出したのでそれ以来試してはいないが。


「そろそろ帰ろう。夜になったら危険だ。」

『合点!』

 俺とルビーは帰路についた。




「遅すぎだよ。夕飯が遅れるよクソガキ。」


 しわがれた声、シワとシミだらけの顔をした鷲鼻の老婆が俺らを出迎えた。マギサ・ストレガ。俺を拾ってくれた命の恩人であり、俺の魔法の師匠。


「うるさいばばあ師匠。心配しなくても秒速で準備するわ。」


 俺は水魔法で空気中の水分を集め、鍋に水を顕現する。火魔法を鍋の下に発火させる。風魔法で野菜とバトルウルフの肉を刻む。バトルウルフの肉は野生の肉なので、臭みをとるために果実につけてもむ。


「相変わらず馬鹿みたいな魔法の使い方だね。」


 師匠曰く、俺みたいに生活魔法をふんだんに使うやつは少ないらしい。

 魔法は攻撃手段に用いられることがほとんどだ。

 もちろん生活魔法もある。それで生計を立てるものもいる。

 が、魔法使いで高収入は研究職か軍属である。魔法を極めている国は、当然外交も強気に出られる。ゆえに生活魔法を極めるくらいならば攻撃魔法などを体得するのだ。

 俺みたいに繊細な料理のために水をミリリットル単位で調整して生成したり、火魔法の火力調整を料理の火加減のために限界まで精密操作する人間はいないらしい。


「魔力切れを起こした方が魔力の限界値が伸びるって言ったのはばばあ師匠じゃないか。」


 だからこそ、俺は生活魔法を極めて魔力を限界まで使い果たして毎日床に入るんだ。森でも魔物たちの解体に魔法を使うことは可能だ。だが、森の中で魔力切れはイコールで死を意味する。俺が魔物解体をナイフという物理的な方法で行う理由はそれだ。

 この屋内で魔力を安心して使いきることができるのは、マギサ師匠という強力な魔女が常駐しているため、森の中で最も安全であるという点。もう一つの理由は、師匠の結界により、そもそも魔物が家の中へ入ってこないことにある。


「いいかね、クソガキ。魔力切れを起こすまで生活魔法を使いまくって、毎日魔力切れで気絶して睡眠に入るやつのことを、世の中はキチガイと呼ぶんだよ。」

「ひでえ!」


 俺はサラダの盛り付けをする。隣ではルビーがふわふわと浮きながら魔素を操っている。今日の俺の狩の成果を伝えているのだろう。


「なんだい。ドリルホーネットを一撃で仕留めなかったのかい。下手くそだね。」

「いつも思うけど、ルビーとどうやって会話してるのさ。」

「会話までは出来ていないさ。信号をキャッチしているだけさね。お前にはまだ早いよ。出来るようになったら教えるさ。」

「出来ればあと二年内にはお願いしたいんだけど。」

「そりゃ無理さね。」

「何故。」


 解せぬ。

 俺は煮終わった狼肉と野菜のポトフを配膳する。


「そもそも魔力の量が絶対的に足りないね。お前さん、五歳児に馬と綱引きをさせるかい、普通。」

「俺、勝てるけども。」

「そういうことを言ってるんじゃないよクソガキ。」

「もちろんわかってるさ。俺もかなり魔力量増えたと思うけどなぁ。」

「そりゃ赤子の時に比べたらねぇ。同年代でお前さんに魔力量でかなうやつなんざ、早々いないさ。」

「口ぶりからすると、いる雰囲気だね。」

「世の中は広いからねぇ。お前さんはキチガイみたいに努力する天才だが、天賦の才というものは存在する。」

「天賦の才じゃなくてすいませんね。」

「いや、お前さんは天賦の才だよ。魔力量は並みの天才くらいだがね。」

「マジでかばばあ!」

「死ね。」

「何で!?」

『二人とも口悪……。』

「育てのばばあに似たんだよ。」

「お前さん、前世含めればいい歳だろう。わたしゃ関係ないよ。」


 ルビーが言ったことわからないはずなのに、何で自然と会話できるんだよ……。


「それよりもドリルホーネットだよ。何故一撃で仕留めなかった?」


 ばばあが木製のフォークで俺を指しながら話す。行儀悪い。


「魔力の節約です。尻の毒針を除けば俺を一撃で殺す手段はなくなるので。」

「ふん。一撃で胴と頭を切り離せばそれで終わりだろうに。」

「木陰から飛び込んできたんですよ!魔力探知で来るのは知ってたけど、目視してからの反応ではそこを切り落とすのに精いっぱいだったんです。」

「そりゃ魔力探知の粗が多い証拠だよ。あと目の情報に頼りすぎさね。お前さんは人間じゃなくてエルフだ。自慢の耳を使えクソガキ。」

「ぐぬぬ。」


 正論だけに言い返せない。


「師匠。」

「なんだい。」


 俺がばばあ師匠と呼ばずに、普通に師匠と呼ぶときは真面目な話をする時だ。この5年間の生活の中で、こういった不文律はいくつか出来上がっている。


「実際のところ、俺がルビーとそういう会話ができるのはいつですか?」

「ふん…………。」

 師匠が静かに考え込む。


 見ると、師匠の使い魔2匹も食卓についていた。鴉のナハトと、黒猫のジェンド。俺はよくわからないが、格式の高い魔物らしい。どちらも。俺からすると、やたら魔力が高くて人語を理解するだけの鳥と猫なのだが。


「早くて、100年だろうね。」

「100年!? 俺おじいちゃんじゃないですか!どうにかならないんですか?」


「どうにもならないね。こればかりはエルフの成長限界だから仕様がないよ。大体、100年以内で出来るなら、とっくの昔にわたしゃしてるよ。身体が未発達なのに、無理に魔力の総量を増やしたらお前が壊れちまう。間違っちゃいけないよ。私がお前に教えているのは魔道だ。覇道じゃないよ。」

「……わかりました。師匠。」


 俺はすごすごと食事への祈りをする。両手の指を伸ばして重ねる祈り。日本での合唱に近い形なので、この世界の祈りにもすぐに順応した。

 この世界というよりも、ばばあ師匠が信仰している宗教の祈りだけども。ちなみにばばあ師匠はそこまで敬虔な教徒ではない。祈っておかないと周りが五月蠅いからとりあえずやっていただけのようだ。

 師匠と鴉、猫、妖精も祈りをささげる。ルビーは絶対宗教が違うと思うんだけど、いいのだろうか。

 ここに住み始めて五年経ったが、猫が肉球を合わせたり鴉が翼を合わせたりして祈る姿はいつまで経っても見慣れることがない。

 俺たちは静かにポトフに舌鼓をうつ。猫のジェンドは冷ましてから具のみを与えている。


「ふん。そこそこ料理の腕は上がってるじゃないか。不出来な弟子だが料理人としてはそこそこだよ。」

「ばばあ師匠が壊滅的に料理下手なんだろ。俺のは庶民の味レベルだぜ?」

「食べれる味だったら十分なのさ。」

 

 ふと横を見ると、ジェンドが俺の脇に頭を擦り付けて喉をゴロゴロ鳴らしている。

 使い魔二匹は、ばばあ師匠の料理に絶望する生活をしていたらしく、俺を救世主扱いしている。

 それほどか。いや、それほどだろうなぁ。

 俺は初めて出会った時に飲まされたポーションの味や、俺が料理を始めるまでに食わされた地獄のような食事を思い出す。スープがヘドロになるのも意味がわからなかったし、そこそこ柔らかい獣の肉が石みたいに固くなるのも謎だった。

 2歳までの俺は、ひたすら身体能力強化の魔法習得に明け暮れた。全ては自分で包丁を握って台所に立つためである。あと、石みたいに固い料理を咀嚼するため。異世界まで来て最初に身に付けるのが主夫スキルだとは思わなかった。

 ルビーが俺の横にきて頬をぺたりとくっつける。魔素を親和させて、俺の味覚をトレースしているらしい。そう、離乳食を食っていたころの俺にばばあ師匠は教えてくれた。隣で『んー、玉ねぎもう少し甘くできない?』とか言っている。つくづく不思議な生き物である。


 俺がルビーの魔素を読み取るようになれるまで魔力を引き上げたいのには理由がある。俺がルビーと今みたいに会話ができるのは7歳までだからだ。妖精は子どもにしか見えない。どういった原理かは知らないが、そう決まっているらしい。


 ばばあ師匠は言っていた。人間やエルフは生まれてすぐは「生命の根源」と呼ばれるものとの距離がまだ近いらしい。ゆえに、その根源に近い生き物である妖精と会話できるのだとか。幽霊を子どもがよく見るのも同じ原理だそうな。それゆえに、この世界では幽霊が物理的に存在するらしい。なにそれこわい。


 7歳を過ぎると、その根源との距離が完全に開いてしまうのだそうだ。だから、俺はルビーを認識できなくなるし、当然会話もできなくなるらしい。

 「七五三みたいだ。」と言うと、「なんだいそれは。」とばばあ師匠が食いついて細かく説明させられたのを思い出す。ばばあ師匠は知識欲の塊みたいな人間だ。

 俺が狩りを出来る様になってからは、引きこもって魔法の研究ばかりしている。それに不満があるかといえば、特にはない。

 聞けば、ばばあ師匠はお勤めが終わって引退したからこそ、今こうやって自分がしたい研究だけをしているそうな。

 俺という赤子を拾ったせいで、その研究は少なからず遅れたはずだ。感謝こそすれ、文句を言う筋合いはない。こき使われることにいつも文句を言ってはいるが、俺は喜んでこの人のこま使いをしている。

 向こうも俺の気持ちに気づいているはずだ。いや、自信がないな。もしかしたら気づいていないんじゃないか? このばばあ。


 兎にも角にも。

 これが今の俺の生活。

 俺の日常。


 俺は心の底のどこかで、この平穏が続くと思っていた。

 7歳の誕生日までは、続くと思っていた。

 ルビーと話せなくなることは怖いが、それも時間が解決すると思っていた。


 それがあっという間になくなってしまうなんて、思いもよらなかったんだ。

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