第12話 森の魔女
生きていた。
起きてすぐ感じたのは火の温かみ。
俺は火をくべられた暖炉のすぐ横に、茶色いシーツに巻かれて横たわっていた。年季があるのか、かなりくすんだ茶色だ。
「起きたね。」
しわがれた声がする。
俺は声のした方へ首をふった。
「おや、やはり声に反応できているのかい。おそらく言葉の意味もわかっているんだろうね。」
俺は驚く。エルフたちの中でも、俺の事情を察することができていたのは長老のみだった。この老婆は何者なのだろうか。
「私が気になるのかい。隠居している魔女だと言っておこうかね。特別話すようなことはないよ。」
嘘だ。
ルビーは言っていた。俺の両親でもかなりの使い手の部類だと。その両親が気づけなかった事実にたどり着いている時点で、この老婆が普通なはずはない。
ルビー。そうだ!ルビーは!
俺は慌てて魔素を読む。
「へえ。」
老婆の魔女が俺をじっと見て観察している。
俺はかまわずルビーの魔素を探す。ルビーは火の精だ。だから、質の高い赤の魔素が滞留しているはず。すぐ近くにルビーの魔素を感じた。俺の頭のすぐ上にいる。俺は首を動かしてルビーの方を見た。すやすやと気持ちよさそうに眠っている。
「妖精の魔素を感じ取れるのかい。大した器だよ。そこまでできるやつは数えるくらいしか見たことがないね。無論、赤子で出来るのはお前が初めてだよ。」
老婆の魔女が俺に話しかける。
「そこの火の精に感謝しな。妖精は魔素に干渉はできるが、事象を起こすことはできない。だからこそ人間の子どもをさらってチェンジリングなどするんだろうがね。世界に干渉できない悲しい種族さね。本人たちは幸せに暮らしているそうだがね。だが、そいつは近くの魔素にひたすら干渉してお前さんが安全であることを主張していたよ。干渉しすぎて力を使い果たしている。今は気絶か睡眠でもしているんだろうね。」
老婆の魔女が会話を続ける。
「もしお前さんが見た目通りの年齢ならば、わたしゃ赤子に話しかけるボケ老人になってしまうがね。わたしゃそうは思っていないよ。お前さん、私の話がわかっているだろう? わかっているなら返事しな。」
少し迷う。迷うが、俺を救ってくれたのは事実。俺が生き延びるにはこの人に依存するしか、今は道がないだろう。そして恩人を無視できるほど、俺は肝がすわっていない。
「あー。」
赤子として精一杯のコミュニケーションをする。
「それしか喋れんのかい。見た目通りだねえ。となると生まれたばかりかい。他に話せることはないのかい。」
「うー。」
「じゃあ『はい』のときは『あー』だ。『いいえ』のときは『うー』だ。これでいいかい?」
「あー。」
「妖精が起きるまでは話に付き合ってやるさね。しばらくはそこで休んでな。」
そういうと、老婆は席を外した。
木製の台所のようなところに行くと、何やらすり潰し始める。薬草だろうか。車輪のようなものを手にもち、ごりごりと削る音がする。俺は床に寝そべっているので、老婆の手元が見えない。
作業しながら老婆の魔女が話す。目線は手元で、俺の方は見ずに背中を向けて話している。
「お前さんは忌子かい?」
「あー。」
肯定。
「なるほど。転生者かい?」
「あー。」
また肯定。
「ふむ。どの種類の転生者だろうねえ。それはまぁ、いいさね。エルフのしきたりは納得できたかい?」
「うー。」
否定。死にたくないのは当たり前だ。
「だがまぁ、仕様がないよ。あれはあの種族なりに考えての掟だからねえ。それにしたって頭が固いのは否定しないがね。」
意味があるのか。あの理不尽な掟に。
「その反応を見ると、前世はエルフではないね。あの種族はね、普通の人族と違って双子が生まれないようにできているんだよ。」
驚愕の事実である。じゃあ、俺は一体何なんだ?
「あの種族は大昔に精霊と交わった。だから生物としての生殖もできるが、同時に魔術的な生殖もしなければいけないのさ。具体的には、母親は子どもを作ろうと思ったら腹の中に魔核を一つつくる。そこに男のエルフが生殖すると、男の生き物としての情報と魔素が魔核に混じる。それによって子どもができるのさ。そして、重要なのは母親が魔核を一つしか作らないことにある。エルフは長寿で生命力が強いとはいえ、出産は大きな体力を使う。だから戦時中で兵力増強、なんていう特別な事情がなければ魔核を複数作ることなんてないのさ。」
老婆の魔女が一呼吸おく。
「ゆえに、一つしかないはずの魔核から二人子どもができるなんて本来ありえないのさ。普通の人族ではありえるエラーも、エルフではありえない。」
ますます俺が生まれた経緯がわからなくなってくる。
「だが、例外はある。生まれてくるはずのない子ども。つまり、エルフの親以外の誰かが干渉して二人目の子どもが生まれるのさ。一番多いのは悪魔による托卵だね。」
悪魔の子、と叫んで俺を指さしたエルフを思い出した。あれは比喩ではなく文字通りの意味だったのか。
「連中は魔界に住んでいるから、本来はこちらに干渉できない。だが、まれに精神体となって現世に現れようと躍起になる変わり種が時々いるのさ。そいつらが人型の種族に托卵する。精神体ごと魔核に紛れるのさ。よほど魔法に長けていなければ避けることはできないね。身重の女性は体力がないから、なおさら避けることは難しい。」
老婆の魔女は作業が終わったのか、すり潰したものを今度は水に溶かし始めた。どす黒い緑茶のようなものが出来上がる。
「そしてごく稀な例だが、異世界からの転生者もいる。」
「あー!」
俺は思わず大きな声で叫ぶ。はいはい!俺が異世界からの転生者です!
「なんだいお前、異世界出身かい?」
「あー!」
はい!17歳の高校生です!日本在住でした!
「まぁ信用は出来ないねぇ。」
「うー!」
なんでやねん!
「馬鹿いってんじゃないよ。お前が異世界転生者じゃなけりゃ、わたしゃ悪魔を保護したことになる。」
あ、そうか。それもそうだ。
「まぁ、そこの危険もないからこそ、ルアークのやつも『森返し』にしたんだろうけどねえ。」
「うー。」
ルアークって誰だ?
「ルアークが気になるのかい。」
「あー!」
この人、本当は俺の考えていることがわかるんじゃないか?
「エルフの長老だよ。私も馬鹿じゃないからね。アポなしでエルフ先住の森に住めるとは思っていないさ。」
この森の入居許可をもらう時から交流があるのさ、と老婆が続ける。
面識があったのか。そして口ぶりからすると、人間とエルフの交流は少ないのだろうか。
「そういや自己紹介をしてなかったね。わたしゃマギサ・ストレガだよ。しばらくお前を観察する。お前が悪魔なら殺して魔法の薬品の素材にする。異界の転生者ならば、好きに生きるがいいさ。お前の自己紹介は喋れるようになってからしな。」
「あー。」
「さ、これを飲みな。」
ストレガさんが俺の脇に、先ほど作っていたどす黒い緑茶のようなものを置く。近くでみると粘度もあるらしく、てらてらとグラスの中を滴っていた。
え、ちょっとなにそれ。無理。無理だって。無理無理。俺、赤子だから味覚とか発達してるかわかんないけど、これが無理なのはわかる。色がおかしいだろこれ。異臭もするし。思わず俺は咳き込む。
「滋養強壮になるよ。戦争に出かける魔法使いが嫌々魔力回復に使ったりもする。ポーションというものさね。まぁ、私が作ったやつは味を重視しないから特別まずいけどねぇ。あんた身体が冷えてたからねえ。味は保証できないけど、効き目は保証するよ。ついでに神聖魔法という、光魔法の一種もかけてある。わかりやすくいうと退魔魔法だね。悪魔が飲むとのどが焼け落ちて死ぬ。ま、エルフや人間でも味のまずさに舌がいかれるがね。ついでに鼻もしばらくいかれる。魔力切れを何度も起こしてるみたいだし、自分を酷使した自分を恨むんだね。」
「うー!」
「なんだいあんた悪魔なのかい。」
「うー!」
「違うなら飲みな。」
「うー!うー!うー!」
その後、しばらくは強烈な異臭と味に苦しむ赤子と、それに得体のしれないペーストを流し込む老婆という虐待現場のような一幕が流れた。
俺の叫び声に気づいてルビーが起き、助けに来る頃にはポーションを八割ほど完食していた。
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