第11話 vsバトルウルフ
当然、バトルウルフたちからの返事はなかった。
そりゃそうだ。ルビー曰く、神語を話すことができるのは希少な存在。そしてエルフは数ある種族の中でも魔法に長けた存在だ。そのエルフでも神語が話せる可能性があるのは、あの長老くらいのものらしい。
その辺の森にいる狼が話せるわけがない。
『ルビー、手伝ってくれるかい?』
『一秒でも長く君が生き残るなら、喜んで。』
バトルウルフたちが一匹、また一匹と岩場から飛び降りてくる。
『じゃあ、水場に近づくにはどうすればいい?』
『ある程度君が動ける生き物だとアピールすればいいと思う。』
『どうして?』
『君は小さい。成狼が食べても朝飯にもなりはしない。でも、子どもの狼にはごちそうだ。君の肉は柔らかいだろうからね。動ける生き物ならば、この場で殺さずに子狼の狩の練習相手にしてもらえるかも。』
『どのみち食われるじゃないか。』
『運動して食べるとのどが渇く。彼らは水の近くで狩の練習をさせる習性がある。』
『なるほど。その案に乗るよ。』
『すぐに魔法を使わない方がいい。危険だと感じたら、彼らはすぐに喉を掻っ切る。』
『オーケー。』
『でも
『了解。』
気づいたら、バトルウルフは目の前まで来ていた。
俺の周りを取り囲んでいるのは3匹。少し離れたところに5匹。岩場の近くから動かないのが7匹。
『君のすぐそばにいるのは罠を確認する係。後ろに控えている5匹は罠があったときの対抗戦力。後ろの7匹は予備戦力と伝令だね。』
『赤子相手に全力すぎない?』
『もし君が上級の魔物なら、赤子だろうと危険だね。あと、赤子のふりをする魔法や罠や魔物なんてこの世界にはいくらでもあるよ。』
『そいつらのせいで俺は今苦労してる。』
『そうなるね。』
『世の中、ままならないなぁ。』
『そうだね。』
手前のバトルウルフが俺の匂いを嗅ぐ。鼻息が黒い鼻から吹き出て、俺の髪がぱさぱさと揺れる。服に狼のよだれがつく。
うわ、ばっちい。クレアのよだれと比べると、不快感しかない。
俺は全力で手足をばたばたと振り動かした。全力でアピールする。
私は丁度いいお宅のお子さんのおもちゃになれます!まずは鮮度がいい!生後たったの10日でございます。適度な運動ができるので、お子さんのスポーツアクティビティのパートナーにぴったり!余計な筋肉がついていないから食べやすい!デリシャス!どうせ君らは普段、ジビエしか食べていないんだろう? ここには温室育ちの肉があるぜ? それを子どものところにもっていかずに、大人だけで楽しむなんて、人として、いや、狼としてなっちゃあいねえ。さあさあ、どうするんだい? 今食べるのか? ここは我慢して愛する子どもの笑顔を見るのか。狼に表情筋があるのかは知らんけど。二つに一つだよ。さぁ、はったはった!
しばらく調べて問題なかったのか、先遣隊の狼は俺を咥えて仲間と合流しだした。
よし、最初の賭けに勝った。
俺は服の襟を咥えられ、空中をミノムシみたいにぶらんぶらんと吊り下げられる。
この世界の狼が超大型でよかった。元の世界基準の狼だったら、たぶん地面に引きずられていただろう。
バトルウルフの群れが動き出す。
さて、ルビーの言った通り水場に行けるのだろうか。
移動しながら俺は、最期の作戦会議をする。
『ルビー。』
『聞こえてるよ。』
『俺の魔力はあと、どのくらいある?』
『できて
『エネルギーを放出し続けることはできるか? 直線に。』
『火炎放射みたいにするってこと? だったら火球みたいに火の魔素を固めなくていいから簡単にできるよ。君なら練習なしで出来るはず。ただし、炎を吐き出している間、魔力は減り続ける。』
君は演算がよくできてるから、これでも燃費がいい方なんだけどね、とルビーが付け足す。
『なるほど。塊にせずにそのまま吐き出すのか。シンプルだね。』
『シンプルゆえに燃費が悪いけどね。』
『オーケー。じゃあ、次は出力の話だけど——。』
移動しながら作戦のすり合わせをしていく。
————二つ目の賭けに勝った。
バトルウルフたちは水場に集まっていた。どうやら遠吠えで合図を送りあって、水場に来るよう指示していたようだった。水場には5、6匹の子狼がいた。
俺を咥えた狼が子狼の近くに近づく。
もう少し。もう少しだ。あとちょっと水場に近づいてくれ。
狼が川の縁に足をかけた。
今だ!
『
俺の胸元から火柱が放出される。俺を咥えていた狼ののど元に多段ヒットし、反動で俺の体が宙に浮く。
そのまま俺は魔力をひねり出し、滞留する魔力に働きかけ続ける。とはいっても赤子の魔力。俺は空中を1mほどホップして川に突っ込んだ。
『ええ!作戦ってそれかい!?』
水辺の上でルビーが叫ぶ。
『ははは!作戦成功だ!』
『あほー!食われて死ぬかおぼれて死ぬかの違いしかないじゃないか!』
『古今東西、水没は生存フラグなんだよ!』
『どこの古今東西だよ!普通死ぬよ!あ!異世界の古今東西か!』
ルビーの顔が面白いくらいころころ変わる。
ここは森の奥。つまり川は上流。俺はあっという間に水の勢いに押されて流れ始める。
『あばよ!狼諸君!子狼にはジビエで我慢してもらいたまえ!』
聞こえてないだろうが、俺は捨てセリフを叫ぶ。
すると、一匹の狼が川の縁まで駆け出し、俺のベビー服の裾に嚙みついた。
『げ。』
狼は川の勢いに負けそうになりながらも、俺を引きずりあげようと躍起になっている。
『やめろ!やめんか!なぶり殺しにされるよりは窒息死したほうがましだ!死んだことないからどっちが痛いかはわからんけど!』
『落ち着いて!君は一回死んでる!』
『それもそうか!』
俺は慌てて魔素を読み取る。
『
さっきよりも小さな出力で慌てて魔力を吐き出す。すぐ目の前に狼の顔があるので、目元のみに小さな火種の線を浴びせる。
「ギャウ!?」
狼がたまらず俺の服を吐き出した。
今度こそ。今度こそ俺は川の流れに乗って下って行った。
俺の紅蓮線を食らった狼は横たわっていた。のど元が完全に焼け焦げている。周囲の狼が怒りからか、低い声で吠えている。
『すまない。』
聞こえていないだろうが、謝らずにいられなかった。
バトルウルフたちは小さな点になるまで、俺のことを眺めていた。
——————三つ目の賭けにも勝った。
川の流れの速さからして、おそらくここは中流だろう。数分流されたのちに運よく岸に引っかかり、俺は漂着した。
『本当に生き残れるとは思わなかった。』
『計算通りじゃなくて本当に博打だったんだ。』
ルビーが頭の上で呆れた顔をする。
『問題はここからだな。』
『そうだね。』
ルビーは呆れた顔を悲痛な顔に歪ませる。
そう。これで本当に終わりだ。
魔法が使えるとはいえ、俺は赤子。今は体が発達していないから寝返りすらうてない。ましてや、歩くなんてできない。
精神体であるルビーは俺を直接抱えて運ぶことはできない。
詰みだ。
今度こそ、詰み。
『でもまぁ、楽しかった。』
『そうだね。楽しかった。』
ルビーの目元が少しだけ緩む。
体が凍えてきた。暖かい時期とはいえ、川に流されたのだ。加えて俺は赤子。このままでは体温が足らずに死ぬだろう。
『
俺は残った魔力を練り上げ、延命措置に努める。
こうすれば、俺は魔力切れを起こして気絶する。
気絶している間に、体が冷え切って死ねれば楽なんだけどなぁ。そう思いつつも、人間の体で一番大事な頭と胴体を俺は温め続ける。
矛盾している自分の行為に笑えてくる。
『少し延命したよ。』
『したね。』
『最期の会話相手になってくれるかい? わが友よ。』
『僕でよければ。わが友よ。』
ルビーはにこやかに応えた。
それから俺とルビーはたくさん話した。俺の世界のこと。ルビーの世界のこと。妖精がどんなやつらなのか。俺の家族のこと。学校のこと。ルビーが火の精としてどんな役割をこの世界で担っているのか。
話題が尽きなかった。一つの話題が終わりかけると、またすぐに次の話題ができた。一つの話題がどんどん枝分かれして、最初に話していたことが何なのかわからなくなってきた。
ルビーは話している間、面白いくらいに表情がころころ変わる。その友人の姿を見て、俺は最期の悪あがきをしてよかったと思えた。
あの日、茜をかばってトラックに轢かれてよかった。
初めて何かに熱くなれた。
妹を守ること。そのために何度も気絶するほど魔法を練習したこと。ルビーと頭をひねって作戦会議したこと。今世の両親に俺は愛されていたのだと知れたこと。たった10日の努力で俺はこれだけのものを手に入れることができたのだ。
前世の俺は何をしていたのだろう。17年生きてきて、こんなことにも気づけなかったなんて。元の世界の家族に申し訳なかった。茜に申し訳なかった。
でも、勝手だけど許してほしいと思えた。前世の人たちが諦めずに俺のそばに居てくれたから、俺はルビーと共に今日気づくことができたんだと。
『ルビー。』
『なんだい?』
『死にたくない。』
『うん。』
ルビーが俺を見る目は優しい。
『やっと熱くなれたんだ。』
『うん。』
『やっと目標ができたんだ。』
目元が熱くなってくる。
『クレアが育つ姿が見たい。』
『うん。』
『レイアに生んでくれたお礼を言いたい。』
『うん。』
『家族として認めてくれた、カイムにも。』
『うん。』
『ルビーとも、もっと話したい。』
『うん!』
『もっと君と過ごしたかった!君と異世界を見て回りたかった!冒険がしてみたかった!冒険者をしてもいい!エルフの村に残って、エルフとして生きてみたかった!君と一緒に、もっと生きたかった!』
『僕だってそうだよ!やっとできた妖精以外のお友達なのに!一週間しか友達ができないなんてやだ!君が転生してもやだ!君の魂をもった人と次にであっても、僕は必ず君を思い出す!それはいやだ!今の君がいいんだ!今の君と過ごしたいんだ!何で僕に実体がないんだ!何で僕は妖精に生まれてきたんだ!フィオが死ぬのなんてやだよー!』
二人で泣いた。
森の河原で、残りの命を振り絞るように泣いた。はたから見れば、捨て子の赤子が一人で泣いているように見えるだろう。
でも、間違いなく二人で泣いているのだ。
「五月蠅いガキだね。」
頭上から、突然しわがれた声がした。
ルビーが慌てて飛びのく。
魔女。
俺がその人を見た最初の印象がそれだった。
黒いローブ。鷲のような鼻。フードからは白髪がすだれのように落ちている。肌はシミや皺だらけで、その老婆の人生経験の深さを物語っているかのようだった。黒い黒曜石のような目が俺を上からのぞいていた。
「魔素の流れがいつもと違うと見に来たら、エルフの巫女の血族じゃないか。どう間違っても忌子にはならないはずだがね。しかも火の精がオプションときた。ルアークも面倒なものを捨てたものだよ。」
ルアークって誰だ? 巫女の血族って?
頭の中でたくさんの疑問が浮かんでくる。と同時に、体から倦怠感が出てきて急激に力が抜けてくる。
魔力切れによる気絶だ。耳元でルビーが泣きながら叫んでいる声が聞こえた。
『ルビー。ありがとう。』
最期の力を振り絞り、神語を話すと俺は意識を手放した。
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