第6話 どちらかが生きるには
俺の隣でおだやかに寝息をたてている妹、クレアは二日後に死ぬ。
どうやらそれは確定のようで、早朝にクレアへ母乳を与えていたレイアは、音もなく泣いていた。カイムは無言で、ただ彼女の肩を抱いていた。
両親のやり取りを聞くに、昨晩の村会議で男の子を残すことが確定したようだった。生後10日にも満たない時期に結論を下すのは、レイアの心労を考えて早く決断した方がいいとのことのようだった。
心労を慮る余裕があるならば、そんな掟など消えてしまえばいいのに。ダークエルフへの呪いといい、この世界のエルフとやらは狭量過ぎるように俺には感じた。
昨日、赤い妖精であるところのルビーに死ぬのは妹である事実を俺は突き付けられた。
腹芸がお世辞にも得意ではない俺は、それはもうわかりやすく動揺したのだろう。当然、ルビーはそのことに気づいたようだった。俺に気を使ったのだろう。ルビーはそのあとにすぐ部屋を出て行った。
傷ついた顔をしていた。
それはそうだろう。初めてできた友達に化け物を見るような目で見られたのだ。おそらく悪いのは俺だ。
妖精にとっての死生観がルビーの言う通りならば、妹は死んだところで大きな違いはないのだろう。世界という、大きな器の中に魂として戻るだけ。そこに大きな違いなどないし、感傷する必要など全くない。
妖精からすれば、個としての人生や記憶に固執する俺たちが不思議な生き物なのだ。
謝ろう。謝らなければ。
せっかくこの世界で出来た、初めての友達なんだ。大切にしたい。
ふと思い出す。
前世の俺は、友人にここまで心を砕いていただろうか。人間関係にここまで必死な気持ちになれるのは、初めてかもしれない。
『相馬先輩って、いつもニュートラルですよね。』
恋人で、後輩の茜の言葉を思い出す。
思えば、俺が心から熱くなれたきっかけは彼女だろう。彼女がトラックに轢かれかけたあの日、確かに俺はどうしようもなく自分から動くことができたんだ。間違いなく。自分の意志で。
彼女にも謝りたい。酷い別れ方をしてしまったから。
そして、お礼を言いたい。おそらく、それは叶わない願いなのだろうけども。
茜とルビーだけではない。今の俺を動かしてくれる存在はいる。隣にいる妹だ。妹であるところのクレアは、いつの間にか起きていた。母譲りのエメラルド色をしたまん丸な瞳で俺を見ている。
俺は隣に寝ているクレアに手を伸ばす。彼女は俺の手を「あうー。」とうめきながらキャッチし、口に運ぶ。うわ、ばっちい。何してんだこいつ。
だが、どうしようもなく愛しい。
前世には姉がいた。姉は俺に文句を言いながらも、よくしてくれていた。なるほど、自分が上の兄妹になってみてわかった。年下の兄妹というものは、無条件に愛おしく感じるものなのだ。もう少し、姉に愛想よくしてもよかったかもしれない。
ルビーが妹の死を宣告した時、俺は反射的に嫌だと思った。
前世では感じなかった強い拒絶の感情。それが今は心地いい。
現状は最悪だ。
だが、俺はこの状況にどうしようもなくやりがいを感じている。妹を助けたい。その一心のみが俺の心を動かしている。
いっぺん死なないと直らないとは最上級の悪態だが、文字通り一度死んで、ようやくやる気を出し始めた自分を少し恥ずかしく思った。
『あーあ。手がべとべとじゃないか、クレア。』
妹は当然、俺の言うことなんてわからないのだろう。俺が口元から手を放すと、おもちゃを盗られたかのように泣き出した。
『泣くなよ。君は幸せになるんだ。お兄ちゃんがそうしてやる。』
目元をぬぐってやりたかったが、幼児の不器用な指ではしてあげることができない。
そんなことを考えていると、ルビーが壁を突き抜けて入室してきた。
……妖精って壁抜けできるのか。
いや、このくらいで驚いてはいけない。だいいち俺は転生しているんだ。ここは魔法の世界。エルフだっている。異世界文化を吸収しなければ。
心なしか、ルビーの飛び方は昨日に比べると元気がない。直線的でない。蛇行している。
ベビーベッドの柵の外で止まる。昨日は柵の中まで入ってきて、僕の頭上で話していたのに。
『入ってきなよ。ルビー。』
『怒っていないのかい?』
ルビーはうかがう様に俺を見る。見た目が小さくて子どもの様だが、知性を感じる表情に昨日は違和感を覚えていた。だが、今のルビーは見た目そのままの、幼い印象がした。
『怒ってないよ。昨日は済まなかった、ルビー。君を傷つけてしまった。』
『違うんだよ!死を恐れる人間の気持ちを理解できなかった僕の方が悪いんだ!僕のほうこそ済まない!』
ルビーが柵に手をかけて乗り出してきた。
『じゃあ、仲直りだ。』
『仲直り。』
『そう、仲直り。するのは初めてか?』
『そうだね。僕は普段、喧嘩する相手もいないからね。』
ルビーがほんのり紅顔になる。
柵の中に入ってきたルビーは、俺の顔の横に浮いている。目の前にルビーの真っ赤な毛髪がいっぱいに広がる。飴細工のように赤い光沢を放っていた。
どちらからかは分からないが、俺たちは笑った。
『よかった。できたばかりの友達をなくしたかと思ったよ。』
ルビーが俺の顔にもたれかかる。
『そんなことあるわけないだろ。友達なんだから。友達は、喧嘩してから仲直りまでがセットだぜ。』
『そんなものかな。』
『そんなもんなんだよ。』
『ふふ。』
たまらずルビーがまた笑う。
『ルビー。』
『何だい、僕の友達。』
『俺ね、今、気持ちがアクセルを踏んでいるんだ。』
『アクセル。それは異世界の言い回しかな。』
『そうだね。やる気に満ちているんだ。』
『心が加速しているんだね。』
『心が加速、か。いいね。その言葉。』
『お褒めにあずかり、光栄至極。』
『ルビー。』
『なんだい。わが友。』
『頼みがあるんだ。』
『いいよ。なんでも言ってごらん。』
この妖精、ちょろすぎなのでは。少し心配になる。
『俺はね、横にいるこの子を、クレアを守りたい。』
『うん。』
『手伝ってほしい。』
『かまわないよ。僕は何をすればいい?』
赤い瞳が俺を至近距離で見つめている。
『俺に魔法を教えてくれ。』
クレアの死まで、あと二日。
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