13
いつの間にか、道という道が、赤と黒の衣装を着た少女と、思い思いの仮装をした人々であふれていた。午前中にその力を見せつけるように照りつけていた太陽は、西に少しずつ傾き始め、暑さはそのピークを下りつつあった。
時計は午後四時を指していた。人々はやがて来る夜への期待に胸を膨らませ、まだ熱の残る戸外へと顔を出し始めていた。
喬志たちの前を、数人の男がチアガールに扮し、ホイッスルを吹きながら通り過ぎていく。真っ赤なミニスカートから伸びた足はすね毛が渦を巻いていた。先頭の男が鋭くホイッスルを吹き、ミニスカートたちは足をとめた。全員が横に並び、歌をうたいながら足を上げはじめる。
チアボーイを見ていた喬志の肩を後ろから誰かが叩いた。振り返ると、銀色のコスチュームに身をつつんだ、銀色のメットをかぶった宇宙飛行士が立っている。手に細いホースを持ち、喬志に差し出す。ホースは背中のボンベに繋がっていた。
宇宙飛行士が手を口に当て、大きく息を吸う動作をしてみせる。ホースを口にくわえて吸いこむと液体が口に飛びこんだ。酒だった。
「サンクス」
そういうと宇宙飛行士は照れたように笑い、別の人を探しはじめた。
顔が腫れて、しゃべりにくかった。
「なんだったんですか」
坂井が訊いてくる。
「コーク・ハイ」
「アルコールは珍しいですね」
銀と黒のサリーをまとった若い女が、いくつもつけた腕輪をしゃらしゃら鳴らしながらすれ違う。顔を青く塗った長髪の男が踊っている。シヴァ神なのだろう。
数種類の楽器で流行りの映画音楽を演奏している男たちの前にかなりの数の人たちが足を止めていた。聞いたことのある曲だった。
少し考え、それがカルカッタで見た映画のものであるのに思い当たった。
「これ知ってるか」
「何です?」
「ファースト・ラブレターってタイトルの映画だ。その主題歌。見てない?」
「見てません。面白いんですか」
「ラストがすごいんだ。女が山賊にさらわれて、それを恋人の男が取り戻そうと追いかえるんだけど、逆にぼろぼろに叩きのめされて動けなくなるんだ。その隙をついて逃げた女もつかまる。女は馬から引きずりおろされ、山賊は服に手を伸ばす。男はかなり離れた場所で一歩も動けずにいる」
「どうなるんです」
「こっからがお楽しみだ。男は懐から横笛を取り出す。女が襲われそうなのに笛を吹くんだ。するとその音色は女のいる場所まで届いて、それは山賊たちの周りで草を食んでいた牛たちの耳に入る。笛の音を聞いた牛は急に暴れ出して、山賊は抵抗する間もなく踏みつぶされる。ほんで女が男のもとにかけよってハッピーエンドになる。とんだ、どんでん返しってわけだ」
「へえ、面白いですね」
坂井はどこか上の空だった。奈津も元気がないように見える。はしゃいでいるのは怪我人の喬志だけだった。
南側のバザールの中を歩いていた。山刀を使ってダイナミックにカットする西瓜売りがいた。隣では若い男が重そうなハンドルを回して砂糖きびをしぼり、フレッシュジュースを売っている。沈み始めたとはいえ、やはり強烈な日差しと人の多さで、まだ気温は高く、それに比例するように西瓜売りたちは忙しく働いていた。焼けつくすような日光の下で濡れた赤い西瓜は、他にたとえようもないほど魅力的だった。
飛びついて買い、食べながら歩いた。
父と娘が歩いている。男と女が歩いている。若い男たちが跳ねている。若い娘たちのアクセサリーが光る。大人が歓声を上げている。子供たちが走り回っている。いつもは眠そうな目をした牛たちでさえ、どこか幸せそうに見えた。この世のすべてが輝き、歌にあふれ、微笑みだけが存在するかのようだった。道を歩くどの顔も幸せそうに輝いていて、みな笑顔を振りまいている。
スーリニをはしるすべての道が歓喜に彩られていた。
年に一度の大きな祭り。みなが騒ぎ、踊り、解放される一日。これまでの辛い生活も、これからの苦しい毎日も投げ捨て、喜びだけを感じる一日。
今は働いている者たちも、やがて日が暮れれば他の者と同じように騒ぎはじめるのだろう。
「山車がいませんね、ここには」
周囲の雰囲気に流されることなく、坂井が言った。それを聞いて、一言も口に出してないが、坂井も喬志と同じことを気にかけていたのだと知った。
それは山車に乗ったウシャスを見れば判ることだった。
「北側に行ってみるか」
奈津を抱えて肩車してやり、歩く速度を早めた。奈津は昨夜からあまり眠っていないようだった。ときどき、身体が内側から膨らんでしまうとでもいうように口を大きく開け、眉をしかめ、自分からは動こうとしなかった。何かを吐きだそうとしているようにも見える。病気ではなさそうで、ただ、大きなものが身体につかえている、そんなふうに見えた。
坂井はひどく無口になっていた。今日はいつものように洗濯をせず、早朝、外に出て行った。帰った坂井は、どこへ行ってきたという喬志の問いに、銅像を見てきたと答えた。
頭の吹き飛んだマナーフの像。シャンティが吹き飛ばした銅像。
それが忠海の言葉にリアリティを与え、坂井の口を重くしているようだった。
喬志も今日はハシシを吸ってなかった。医者が置いていった痛み止めを口にしただけだ。さすがに身体のあちこちが悲鳴をあげていた。頭痛もあったが、最小限の痛み止めだけで抑えた。
二人の間で忠海の話はしなかった。
マナーフの館に近づくにつれ、人の数が増えていった。ひっきりなしに歓声が飛び交い、笑い声があたりに響いている。
やがて巨大な山車が見えてきた。山車は遠目にも鮮やかな真紅に塗られていた。動きを止めている山車の周囲は、花を投げるもの、ティカを額につけるもの、ウシャスを一目見ようと飛び上がるものたちが群がっていた。黒の制服を着たガードマンは口径の小さいライフルを肩から下げている。鋭い眼が油断なく辺りを警戒していた。
山車には何人かの人間が乗っていた。
二人のガードマンが山車の一番低い位置に座っている。それより一段高い場所に、灰色の衣を着た男が六人乗っていた。『詩う者』だった。
そして、高さ五メートルの山車の頂上に、一度見たあの若い娘と厳しい顔つきの老人が並んで腰かけていた。老人がマナーフなのだろう。サミアは小麦色の肌に闇のような黒と鮮血の色をしたサリーを身につけていた。他の人間が身につけているものと比べると格段に高価なものだというのが、色の鮮烈さと柄の緻密さから遠目にも判る。
ゆっくりと喬志はサミアに視線をめぐらせた。
腕につけた何本もの黄金の細い腕輪が陽光に輝いている。髪を高く結い上げ、黒い口紅を塗り、巨大な、やはり黄金でできた耳飾りをつけていた。
サリーが風にはためいている。付き人が大きな扇で風を送っている。
やがて喬志はそれを見つけた。それは、サミアの膝のうえにおとなしく乗っていた。やはり連れてきたのだ。
公園で見たあの犬がサミアの手を舐めていた。
「あの黒い子犬ですかッ」
坂井が言った。歓声に消されないように声を張り上げている。
「あの犬だッ」
もしかしたら犬は連れてこないかもしれない、という喬志と坂井の希望的観測は打ち砕かれた。うなだれた喬志たちの横を、段ボールで作ったダンプカーを被った子供が通り過ぎた。
「こんなこと意味ないですよね」
坂井が言った。
「無意味ですよね」
「そうだな」
「おれたち頭おかしいですよね」
「その通り」
力なく喬志は答えた。
意味がない。
しかし、忠海にとっては大切なはずだ。サミアが死んでも忠海は救われないだろう。逆に復讐によってマナーフの手はいっそう強く、忠海の心に刻まれるのだろう。
今すぐに事情を説明し、あの犬を離れた場所に急いで連れていくべきだった。マナーフのためでも、美しい娘のためでもなく、ただ忠海を苦しめないためにだけそうしたかった。
だが、忠海は自分の好きにさせてくれと言った。話す必要のない喬志たちに話してくれた。
何もかも、もう沢山だった。自分の親しいものの力になれない自分がもどかしかった。
五年間苦しんだ挙句に、忠海には絶望しか残らない。
それが悔しかった。それが許せなかった。
忍を助けられなかった自分の不甲斐なさを想った。また同じ過ちを繰り返そうとしている自分を呪った。
心を許せる相手を助けられない。
気持ちが猛っていた。
喬志にできるのは、選ぶべきだったひとつの選択は、忠海を信じることだけだった。このまま爆破を待つはずがないと信じるしかない。
「とりあえず、忠海を探すか」
まだ時間はあった。祭りの終わりは見えないほど遠い。
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