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 村上忠海は罪について考えていた。

 喬志たちを見送り、いつものように新聞のニュースを調べた。今日もスーリニでは爆弾の爆発はなかった。

 悪いニュースを探すような真似はやめよう、といつも忠海は考えるのだが、それをやめることはできなかった。一日に何度も同じ新聞を読み返すことすらあるのだ。

 罪悪感から新聞を読まずにいられなくなるのか、復讐の笑みを浮かべるために記事を探すのか、忠海には区別がつかない。

 部屋は暑かった。

 天井で空気をかき回している大きなファンもさして効果をあげてはいない。緩慢なスピードで無駄な努力を繰り返している。

 忠海はベッドで眠り続ける男と、健気に回転するファンを置き去りにして、ペットボトルとタオルを手に部屋を出た。

 階段を登り、屋上に出る。

 錆びたドアを開けると、日光とともに茶色のガンガーが飛びこんできた。

 海と見紛うほど巨大な水量が、ゆったりと流れている。

 外の暑さは部屋の比ではなかった。けれど、その暑さが迷走する思考を止めてくれる。余計なことを考えなくさせてくれる。

 コンクリートの屋上は四方を鉄条網で囲ってあった。眼下にガンガーの雄大な流れが見える。

 出入り口のドアを据え付けてある部分は箱型にコンクリートで囲まれて、その上に円筒形の貯水タンクが載せてある。

 忠海は出入り口脇の梯子を上り、出入り口の上に座りこむと、貯水タンクにもたれた。そこからは鉄条網に邪魔されず、ガンガーを眺めることができるのだ。

 強烈に叩きつけてくる日光を遮るものはなかった。暑い。じりじりと皮膚の焦げる音が聞こえてくるような気さえする。

 忠海はペットボトルの水をタオルにかけると、それを頭に巻きつけた。日射病対策をすませ、忠海は足を組んで、目を閉じた。

 そして忠海は自分の罪について考えはじめた。

 苦労することもなく、忠海はあの日のことを思い出すことができた。いつ、いかなる時であっても、忠海は簡単に己の罪を克明に思い出せる。それは、鍛錬を課したからではなく、おそらく時間には罪を遠ざける力がないためだった。

 部屋の空気をかき混ぜることしかできない大きなファンと同じように、時間は記憶を混乱させることしかできない。

 そして忠海の罪は、簡単なノイズが生じるくらいで無視できないものだった。忠海はいつでも、どれほど混乱していようとも、ごく簡単に罪の記憶を見つけ出すことができたし、事実、日に一度もその記憶を蘇らせない日は、この五年で一日もなかった。

 あの犬、フィーの黒い毛の手触りや、シャンティの悲し気な目を忘れるのは不可能だ。

 近い未来に起こるはずの、混乱と惨劇を想った。目玉が爆発し、青酸ガスをまきちらすことで人々に与える影響について考えた。

 自分の罪は、けして拭えない。

 この業から解き放たれるすべはない。

 静かに忠海は目を開けた。

 川の中央を男の死体が、ゆっくりと回転しながら流れていた。半裸で大の字になっている。頭が脳の重みで水中に沈んでいるため顔は見えない。

 事故などで天寿をまっとうできなかったものや、葬式を行う金を持たないものは、死体を焼かずにガンガーに流される。

 死体はゆっくりと下流に消えていった。

 暑さはそのレベルを徐々に上げて、頭のタオルはいつの間にか乾燥していた。

 もう一度、タオルを湿らせる。ひどくタバコが吸いたかった。

 喬志が外出しているため、それは無理だった。タバコをもらうかわりに、対等の口調で話しをする。それがいつの間にか暗黙の了解になりつつあった。だから忠海はバランスを崩さないために、自分でタバコを買うのを控えていた。

 忠海は今朝の喬志を思い出した。苦痛に眉をしかめながら、必死に自分の腕に噛みついていた。

 自分が落ち着きなく新聞を何度も読み返してしまうのは、と忠海は考えた、喬志のせいもあるのだろう。

 罪悪感に苦しむ者は、自分の肉体に危害を加えることで精神的な安定を得ようとする。自分がひどい人間だから、こんなに辛い目にあうと思うことでバランスをとろうとする。

 喬志の目には罪の意識と危うい殺気とが常に同居していた。それが忠海に判るのは忠海自身の目にも同じ表情を浮かべたことがあるからだ。

 鏡を見るように、喬志の焦りと痛みが伝わることが忠海には度々あった。そんな喬志を見るたびに、もどかしい思いで苦しくなる。

 話を聞いて、負担を軽くしてやりたいと思う。しかし、それは喬志を癒すことで、自分が安心したいからかもしれなかった。

 何もしない自分が、救われたがっている。

 外界に対しての人間らしい心は、必ずたまらない嫌悪の針となって、心のやわらかい部分に遠慮なく突き刺さった。

 もっと暑くなれ。

 忠海は切実に、心から祈った。

 灼熱の炎で、全てを焼きつくしてくれ。くだらない感傷をからからに乾燥させて欲しい。くだらない良心を、原形をとどめないほど溶かしてくれ。

 太陽は忠海の祈りを聞き届けたように、炎で大地をあぶり始めた。

 忠海はこれ以上耐えられなくなるまで屋上に座り続け、部屋に戻った。

 外での迷走で、わずかだが心が乾いたような気がした。

 ベッドの男はまだよく眠っていた。

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