第56話「誰にも言えなかった本音」

  ✻



 昼ご飯を済ませ、透のバイト先を出てすぐ、私は今晩の夕飯材料を買い出しするため、荷物持ちとして透を連れ回していた。


 時刻は3時半を回った頃。

 同じく夕飯の買い出しへと来ていた主婦さんやら家族連れが大勢たむろし、スーパー内には人溜まりが端から端にまで生成されていた。


「うっわ……。すっげぇ人……。午後のセール目当てなのがバレバレだな」


「寧ろそれ以外でこの時間に溜まることって、そんなにないと思うけど? 主婦にとって、午後のスーパーはまさに聖域。否、最早戦場だし」


「地獄絵図かよ……」


 実際、透の言う通り。何も間違ってなんていない。


 家族のために自分の自由時間を削って、より安く、より美味しい食材(もしくは料理)を手に入れる。それが主婦の絶対的任務。そして同じ目的で集まる同士が何十、何百人も集まれば自ずと気迫は溢れ出す。


 一度ならず、何度も敗北を味わった私だからこそ――この時間の大変さが痛いほどわかる。


「はぁ……、やっぱ透はわかってないね。過酷な中にこそ、本当の幸せは詰まってるのよ!」


「ふーーん」


 私の言葉を軽く受け流して、透は籠の乗っかったカートを押して歩く。


 うわ、絶対興味ないじゃん。まぁ理解してもらえるとは思ってなかったけど、ここまで反応が薄いとは思わなかった。極端だよね、本当……ラノベの話をするときは目輝かせるくせに。


「……オレなら、一生わかりたくねぇな」


「所詮、料理とは無縁の世界に生きてるってことかぁ。元々器用じゃないしね、透って」


「単純な悪口すんな。それに、その見解は間違ってるぞ? いいか? 人間はエネルギーを摂取しないと不足ですぐに身体の機能に異常が見られる。簡単に死を迎える生き物なんだよ。だからこそ、遥か古来より――人はエネルギーとなる食料を求めて動物を狩り、食い物としていた。要は人間と食料は切っても切り離せない関係なんだよ。つまり、オレは料理と無縁の世界には存在していない。わかったか!」


「んな長々と説明しないでよ……」


「こうでもしないと伝わんないだろ、お前の場合」


 ちょっとそれどういう意味だ、おい。

 長々と語られたけど、要するに『オレは人間だ』ってことでしょ? わかりきった解答の解説ほど耳が痛くなる話はない。今日、改めてそれを実感した気分である。


「……というかそれ、いつの時代の人の話なわけ?」


「そりゃあお前、火を使い始めた原始に決まってんだろ」


「そうじゃなくて……。そもそも、動物を狩って食料にするっていう文化は今でも続いてるのは確かだけど、今の私達がその立場に置かれてるかと聞かれればそうじゃないでしょ?」


「似たようなもんだと思うぞ? この戦場と、昔の狩りも」


「戦場って言ったって、ここはたかがスーパー。マンモスみたいな本物の獣を相手にしてた原始民と比較したところで負けは見え見えでしょ。これは“命を賭けた”抗争じゃないんだし」


 人類が誕生したとされる原始時代。

 もちろん、最初から人類と呼ばれた先祖がいたわけではなく、誕生したのにも所説ある。


 今の時代、最も人間に近いと呼ばれている動物『チンパンジー』こそが、私達人間の最も古い先祖ではないかと考えられている。


 しかし、人間とサルは、現代でどちらとも生きている。

 環境問題も深く関係があるとされてはいるが、2つの種が存在するのは、陸を歩いたか、着の上を渡ったかの違いとされる。


 木の上で生活することこそが野生の本質。

 陸の上を歩くことこそが人間の本質。


 いわゆる『人間』とは、地上で生活していくことを選んだサルが進化していった姿だと考えられているらしい。……さすがにこれ以上は、私の脳内では処理しきれなかったけど。


 か、勘違いしないでほしいけど、私は透より、その……よ、容量が悪いだけなの!

 決して『理解出来なかった』とか『諦めた』とか、そんな情けない理由じゃない!


 ……でも、そうだ。

 透は私なんかよりもよっぽど賢いし頭の回転だって速い。雅ヶ丘高等学校だって、本来の偏差値だったら絶対通えていないぐらいの進学校。透はともかく、私があそこに入れたのは、執念に近い動機があったからに過ぎない。


 凪宮君もそうだけど、どうしたらこんなことに無駄な知識を披露出来るほど頭良くなれるのか、わかったもんじゃない。オリエンテーリングのときなんか、凪宮君と渚ちゃん、滅茶苦茶頭の回転速度速かったもんなぁ。とてもじゃないけど、あんなの真似出来ない……。


「――なぁ」


「ん? どうかしたの?」


「いや。お前って、いっつもこんな窮屈な空間で何作るか考えながら買い物とかしてんのかなぁーと思ってさ」


「急に訊いてきたと思ったら、そんなこと?」


 買い物カートを押しながら透は私にそう訊ねてきた。

 足りなくなった調味料や、果物に野菜、それから今晩作るコロッケに使う材料等など……全部でいくらになるんだろう、という妙に現実的なことではなく、もう少し観点が離れた、透にしてみたら案外珍し目な質問内容だった。


 ……急にこんなこと訊いてくるとか、どうしたんだろ? と疑問に思いつつ、透が立つ背後に意識を向け、視線と歩は次のコーナーへと向きながら答える。


「うーーん。いつも、ってわけじゃないけど大半は歩きながら考えるかな。あ、もちろん、他の人にはぶつからないよう適度に意識は向け直してるけどね。でもそう考えたら、今日は買うものだって決まってるし、何より透っていう荷物持ちがいるからいつもよりは楽かも」


「最後のやつ、絶対関係なかっただろ!」


「大ありよ、大あり。こうして話す相手がいるっていうのは、買い物する上でも大事だしね」


「……っ、そっか。……何か、いいな。こういうのも――」


「えっ? 今何か言った?」


「な、何でもねぇよ!!」


 小言で呟いたのか聞き取れなかった言葉を言及した途端、透はいきなり赤くなって怒ったと思えば、そのまま買い物カートを押して先を歩き始めた。


 えっ? 本当に何言ってたの、この彼氏様は?


 ……けれど、透が耳朶まで真っ赤に染まってるところなんて、久しぶりに見たかも。


(あぁ~、ちゃんと聞いとけば良かったなぁ~……)


 そうすれば、普段はチャラチャラした姿の裏側を覗くことが出来たやもしれない。勿体ないことをした。透がこんなにも赤くなる場面はそう多くない。女子との関わりが昔からある程度あったし、知る限りでも告白だって何回も受けている。正直、女子全体VS私、とかの構図が出来た場合勝てる気がしない。


 それでも、私と彼女らの違うところは、あいつが『素直』になるかならないか。

 お互いに環境が似ているせいもあってか、いつしか私達は、お互いのことを包み隠さず話すようになった。


 不満なところ、良いところ。

 今日あったこと、明日したいこと。


 日記にも書かないような、恥ずかしいことまで……ってこれはどうでもいい。ぽいっ。


 ……とにもかくにも、私だけが透の全部を知っている。

 あんなに女子の友達がいたくせに、恋人とのスキンシップには対応出来ないことが多いことも。


 変化は乏しく、本当にわかりにくいけど――私達は変わっていってる。

 誰にも、それこそ家族にさえ言えなかった本音も、本質も、お互いに言えるようになった。


 ただ、新しく生まれた“1つの悩み”を除いて。

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