第55話「もし、あのとき彼に出会えていなかったから」

 ◆佐倉 美穂◆


 いつ頃からだったか、もう覚えていない。


 けど、確かに憧れていた。もう少しだけ、自分に正直になれていたら。もっと早く、隣の家のあいつに、出会っていたら――。




 まだ私が小学生だった頃――友達がいなかった私はいつも1人で遊んでいた。

 あまり人と戯れることも関わることもなかった私は、傍から見ればまるで『一匹狼』のように見えていたことだろう。……今となってはもう、忘れ去りたい記憶の1つだけど。


 公園で遊ぶ……というより、私は『時間を潰す』という目的で公園を訪れることが多かったけど、同年齢ぐらいの男子達が、よくそこでボール遊びをしていたのをよく覚えている。


 とても仲が良いらしく、バカげた笑い話も、一緒にボールを追いかける姿も、景色の一つとして、よく視界に入ってきていた。


 羨ましいと思ったことはない。痩せ我慢ではない。――当時、本当に思っていたことだ。


 仲が良い友達と遊ぶのは、そんなにも楽しいものなのか。

 意見が対立して、喧嘩することだって決してゼロじゃない。それで、仲違いすることだってあるはずなのに……どうしてみんなは、楽しそうに現在(いま)を過ごすんだろうって。


 私の家庭は、みんなとは少し違っていたらしい。

 お母さんもお父さんも仕事人間で、中々家に帰って来ない。


 私はそれが『当たり前』なんだと思っていた。我儘も、話したいことも。疲れた顔を見せる2人に、到底そんな話は出来ないって割り切って……。そんな私の家を、他の子の親は後ろ指を差すように『異端』と見做していた。


 多分、私が誰かに遠慮するのは、家庭のこともあったとは思う。

 けどそれでも、自分が不幸だと思ったことは一度もない。

 それなのに、いつも耳にしたのは『可哀想な子ども』という、他人を憐れむ言葉。



 ……一体何が? と、そんな疑問符が何度も頭の中を過った。



 本当に、今ではくだらないと思う。

 あんなの、私にとっては『普通』のことで、私から見れば他が『特殊』だった。他の子の親はその反対を言っていたに過ぎないのだということ。


 どっちが間違ってるとか、どっちが正しいとか。……そんなの、どうでもいいと思った。

 結局は私が家庭をどう思うか。他人の介入なんて、元々不要なんだ。


 一度だって嫌ったことはない。

 2人はいつだって、私との生活のために尽力しているんだから。だからそんな空気を、壊してはいけなかった。



 あの日、運悪く体調を崩した私は、学校を休むことになった。

 仕事人間だった2人は『私が熱を出したのは、お前の責任だ』と、普段ならしないはずの喧嘩をさせてしまったキッカケとなった。張り詰められた空気は、いつもよりも段違いに重くて、苦しかった。2人とも、今ある仕事を頑張ってて、ただ……頑張りすぎてただけなのに。



 ――私のせいだった。



 私のせいで、2人に迷惑をかけた。喧嘩をさせた。

 元々、お互いに仲良し夫婦なはずなのに……。




『……だいじょうぶ、だから。だい、じょうぶ、だから……ごめん、なさい』




 少しの間だけ、家にいるのが嫌になった。


 あそこは、大好きな家族が集まる場所で……大好きな家族がいる、暖かい場所のはずなのに。コンクリートのように冷たく、冷え切っていた。


 元々根付いていた近所での評判とかも相まって、ますます家に居るのが嫌になった。


 だから私は公園に立ち寄ることが多くなった。そしてそのときに見た、他人と楽しそうに関わる同年代の子を、初めて『羨ましい』と思った。


(どうしたら……どうしたら、またあの家を好きになる……? どうしたら……誰の迷惑にもならない場所で、生きていける……? 君みたいに、また人と関われる……?)


 ……もうあの頃には、私は既に病み始めていたのかもしれない。

 もしくは、その一歩手前にまで追い込まれていたのかもしれない。



 ――えっ、えっとぉ……君、大丈夫?



 もし、あのとき家の中に鍵を忘れていなかったら。


 もし、あのとき家の前でランドセルを抱えて蹲っていなかったら。


 もし、あのとき彼に出会えていなかったら。……私は今、どうなっていたんだろう。


 パラレルワールドのように、私達が生きる世界とは、まったく別の世界線が広がっていたんじゃないだろうか。


 運命と言えば聞こえはいい。

 でもきっと、私達はこの出会いを『運命』とは呼ばない。私達の関係は幼馴染兼恋人、ではあるけど。どちらかと言えば、私達の関係は『依存』もしくは『執着』だと思う。


 だからこれは、運命の出会いではない。

 きっとこれは――『必然の出会い』だと、カッコ悪くもそう言うのかもしれない。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る