第27話「今日もまた、嫌いな夜がやって来る」

 ――今からおよそ6年前。


 オレと美穂がまだ、本当の意味で出会っていなかった頃のことだった。


 まだまだ『青少年』と呼ぶには幼く、純粋さが溢れるほど清らかだった時代。


 友達と無邪気に笑い合って。

 放課後になれば、みんなでどこかに集まってゲームをしたりして。


 小さい頃というのは、何もかもが純粋で、悪気など一切無くて……。夏休みという『期間』は好きでも、夏休みがもたらす『対価』というのは嫌と感じるように、好き嫌いがはっきりとしているであろう、そんな時代。


 今ではさも当然のように思える対価だろうが、昔は誰もがその存在に恐れを成していた。

 実際、そうだった子どもも多かっただろう。否、子どもに限らず、学生だって、大人でも。

 けれどオレには、宿題という存在は時間を潰せる


 学校では友達とバカみたいに笑い合って、放課後に遊ぶ約束をしたりして、それなりに楽しく過ごして……でも最終的にはいつも、夜という時間帯が強制的に『終了』の合図を告げる。


 朝になれば起き、日が暮れれば帰宅し、夜になれば寝る。

 当たり前に思える人間の生活。

 違和感などどこにもない。ごく普通で、当たり前のことで。

 でもオレはそれが……何よりも嫌いだった。


 いつだって夜は、オレに『1人』だという現実を押し付けてくる。


 ガキの意地だった。――両親の働く意味を、理解してからは。オレが我慢すれば良かっただけ。たとえ、どれだけ周りと違っていても。オレが、我慢すれば良いだけなんだ。



 そして今日もまた――嫌いな夜がやって来る。



 ✻



「……ただいま」


 家の扉を開けるが、オレの声に答えるやまびこはいない。

 返ってくるのは『静寂』と『虚しさ』だけ。誰も、この声に答えてなどくれない。暖かな返事で出迎えをしてくれる母も、自分より渋い声で返事をしてくれる父も、この家にはいない。


 ……知っていた。

 こんなの、いつものことだ。


 育児放棄をされているわけではないが、オレの両親は共働きで、どちらとも仕事優先主義の人間だった。


 かと言って、そこからの夫婦喧嘩が起こったわけではない。

 寧ろその逆――2人揃えば喧しいほどに賑やかになり、静寂とは真反対の家庭となる。


 絶対小学生が見ても聞いてもいけないような過激な行為さえ、両親は何度もベッドの上で繰り広げていたほどだ。時にはリビングでの甘々ムード、それから偶にお風呂も一緒に入ってたっけか……。

 両親が揃えば、本当に嬉しい。


 ……だがそれとは裏腹に、慣れるはずの感覚が無いのは、非常に寂しいと感じてしまうものだ。いつでもあれば『ウザい』と思う空気も、糖分過多と取れる甘々な雰囲気も、今、この場には1ミリも存在していない。全て『無』としてオレを出迎える。


「……バカみたいだ」


 両親は既に仕事へと出掛けており、また夜遅くまで帰っては来ないのだろう。……でも、仕方のないことなんだ。2人共、オレとの生活を守るために働いてくれているんだから。


 そんなの、まだまだ知識が不十分なオレでも理解出来る。

 ……理解している。はず、なのに。


「…………」


 誰もいないというのは、やはり寂しいものなのだ。

 暖かな空気もない。ウザいと思える甘々なムードさえ充満していない。完全なる『無』と化した環境は、どれだけ年月を跨ごうとも、慣れることは無かった。


 突きつけられる現実は、いつも1つのみ。――オレは今日も、1人だということだけだ。


 玄関から移動し、リビング、そして自分の部屋へと入る。

 机上には、昨日から出しっぱなしで放置された教科書や、まだオレが幼稚園生の頃に撮ったであろう、家族との旅行の写真が飾られている。


 あの頃はオレの子育てがあったから、両親もそこそこ休みを取ってくれて、毎週のようにどこかへ出掛けては、こうして写真を撮ってたんだっけ。……が、それはオレがまだ小さかったから。小学生になってから、環境は急変した。


 今まで親と過ごすことが当たり前だったこの場所は、途端に『無』へと還っていった。

 生活費を稼ぐため、両親は家へと帰る頻度が激変していった。

 そしてその証明と言わんばかりに、両親はオレに家の鍵を渡され、そのまま『鍵っ子』と呼ばれるものへとなった。


 学童に預けるという選択肢もあったらしいが、親戚はみな住んでる地域が違うし、夜の7時までしか両親が迎えに来てくれるかも怪しいほどだ。


 そのため、学童へは入らなかった。

 何なら、1人で留守番していた方が有意義だ。


 入る方の利点が少ないわけではない。寧ろ入れば、それだけ友達と遊べる時間が多く確保出来るし、1人になる時間をより減らすことが可能だ。


 だがそれもまた、制限時間が存在する。

 クラスメイトや友達が話す家族の話は、オレとは全く違う、平穏で楽しそうな時間だ。

 寝るときまでも誰もいない。そんな環境が『異質』なのだと知った。


 でもそれを知ったところで、オレは両親を責めることはしなかった。否、出来なかった。たとえ異質でも、周りと違っていても、家族のこと・オレのことを考えてくれていることは、決して違っていないのだと、知っていたから。


 なら、せめて迷惑にはなりたくなかった。

 押し留めればいい。

 気持ちも、溢れそうになる涙も。全部……全部……全部、我慢すればいいのだと。


 結局、最後に残るのがオレと決まっているのなら、入るだけ無駄だと思った。依存したくなかった。誰かに側に居て欲しい。――そんな感情が、暴発しないために。

 わかっていたからこそ、入らなかった。


「……はぁ。何して過ごすかな」


 最近のオレの口癖だ。


 1人でやれることは限られる。その中でも、学校から出された宿題をすることは、奥の手のような暇潰しだった。

 でも、それさえ終わってしまえば、残されるのは『1人の時間』だけ。


 どれだけ暇を潰そうと努力をしても、最後には結局、1人であることを自覚する。


「……、……暇だな」


 ランドセルを適当に放って、郵便物を机に乱雑に置き捨てる。


 何かしら、暇を潰せるものに出会いたい。


 1人でも楽しめる、そんなものと出会いたい。


 ……何でもいい。


 オレが『1人』だとということを偽り、尚且つ忘れさせてくれるようなものであれば、オレはどんなことだってする。……1人になることは、どんなに友達が居ても、遊んでいても、いずれ訪れる『寂しい』と感じる時間だから。


「……はぁ」


 ベッドの上へと寝転がり、枕元に置かれた少年漫画に手を伸ばす。


 漫画は今のオレにとっての唯一の暇潰しだ。

 楽しいと感じる時間は長く続くが、その時間も結局は終わりへと向かっていく。楽しい時間はあっという間に過ぎ去っていく――と、誰もが名言のように言うが、その通りだと思う。


 楽しいと感じるはずのものも、最後には必ず、終わりを迎える。

 時間とは有限。無限にありふれた『制約』など、この世のどこにもありはしないのだから。


「……あ。終わっちゃった」


 故に、この漫画も先月号。何度も読み返した『結末』を知ったものだ。

 ……仕方ない、買いに行ってくるか。


 本屋であれば買う目的が無くともフラフラ出来る。何も買わないのは失礼かもしれないが、オレにとっては時間を潰せる貴重な寄り道の1つだ。


 発掘、という意味ではそうだ。

 楽しめるものを発見することは難しいかもしれないが、言葉では押し留められない好奇心を得るのは非常に簡単だ。ハマればいい。それだけなのだから。


 本屋はまさにそのための聖地。

 昔から、何度世話になったことだろう。


「……今から行けば、まだ間に合うかな」


 オレは静かにベッドから降り、鞄と財布を手に取って、そのまま家を出る。


 誰もいない家の中からは当然「行ってらっしゃい」という言葉も「気をつけてね」という言葉さえも響かない。


 誰もが『当たり前』と捉え、言われるのが嫌になるほどの台詞も、この耳には届かない。


 無人となった静寂な空間を後ろ目にしつつ、オレは静かに家の扉を閉めたのだった。

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