第24話「唯一無二の親友への前章譚」

  ✻



 ――中学1年生のある夏場の日。


 晴斗は放課後の委員会議を終え、本日の番をするために図書室にて委員の仕事に取り組んでいた。

 静寂な時間と、窓から入る夕暮れの風が図書室内を包み込む。


 晴斗は当時から、騒がしさが包む教室に残るよりも、こうして心身ともに安らげる図書室が好きだった。何よりも本は世界を丸々移し替えてくれる。まるで、全く異なった世界に転移・転生したように……。


「本当、お前って本見てるときは幸せそうな顔するのな!」


「………………」


 ……しかし、そんな空間が作られるのは理想でしかない。静かな教室を求めるのも、誰もいない世界を望むのも。ただの『理想』が形となっているに過ぎないのだ。


 故に、晴斗が如何にして静寂な空間を望もうとも、それが『具現化』する時間と空間は比例しない。いつかは崩れ、やがて無へとかえる。それが形を変えた“別のもの”だったとしても。


「……何でいるんだ」


「当番一緒だろ? さすがに委員会をサボるほど、オレの神経はねじ曲がっちゃいないんでね。それに言ったろ? オレも、本が好きなんだって!」


「……確かに、言ってたけど」


 晴斗は記憶を遡り、証拠となる記憶の断片を掴み取る。


(……言ってた。言ってた、けど)


「……それを言って、お前に何か得でもあるのか?」


「んー、そうだなぁ。お前と話すネタが増える! どんなの読んでんのかも知りてぇし、あわよくば友達になりてぇな~、なんて」


「と、友達って……」


「――後は、お前が内側に秘めてるもんを吐いてほしいから、かな」


「…………はっ?」


 晴斗はそんな彼の言葉に、動揺を隠せず後ろを振り返る。

 腕に抱えた数冊の本をぎゅっと、強く腕の中へと引き寄せる。


「お前ってさ、一見するとクラスに自ら打ち解けようとしない陰キャかなと思われがちだろうけど、実際はそうじゃない――お前は、自分からクラスから遠ざかろうとしてるに過ぎない」


「な、何の確証があって……」


「――


 その名前を呼ばれた途端、晴斗は身体を委縮させる。


 幼馴染だという関係性は伏せてきたはずだった。クラス内で喋ることもせず、放課後に一緒に帰ることだって避けてきた。悟られる要因も、疑われる根拠だって存在しないはずなのだ。


 藤崎透――彼は迷いの余地もなく、確かな『証拠』を持って断言した。


「……な、んで」


「確かな証拠は、教室でのお前自身かな。普段は教室の端で読書してる風にみせてるみたいだけど、その実態、時折視線が本から逸れることがあったろ。そして、視線の先にいたのはいつだってクラスメイトの一之瀬渚だ。最初は恋でもしてんのかなと思ってたけど、お前の向ける視線にはそんな『感情』は一切感じられなかった。寧ろ乗っていたのは『申し訳なさ』の方だったな」


「……っ!?」


「………。……ま、お前と一之瀬さんがどんな関係なのかは聞きやしないし、深堀りをするつもりもない。そんなの、個人の自由だしな。――だが、お前の心の内側はそれでいいのか、とは思ってる」


「……どういう意味だよ」


「良好な関係にしろそうでないにしろ、お前の瞳が帯びているその感情は、解き放つこともなくお前の心の中に残り続けることになるんだろ? それは、出来る限りしない方がいい。人っていうのは感情で左右される生き物だ。どのような方向性にしろ、吐き出したものと吐き出さなかったもの、その大差は非常に大きい。体調の変化、有頂天の落差。それこそ、過度なストレスにだってなることもある。そうなる前に手は打つべきだ」


「……だからって、お前に何か関係あるのか。たとえ、僕がどこで野垂れ死にをしたって、単なるクラスメイトの1人、あかの他人であるお前に何の関係もないだろ。僕は……お前と友達でもないし、家族でもないんだから」


「……そうだな。確かに、今の凪宮とオレとの間には、何の接点もない。――だから、あかの他人であるオレに毒を吐いたところで、何の関係もないだろ?」


「……、えっ、何言って――」


「無茶苦茶な考えだと思うか? オレもそう思う。出来ることなら、お前と友達になりてぇし、仲良くなっていろんな本の話とかもしてみてぇ。けど、凪宮にとってそれが有害で、かつ望まないものだと言うのなら、オレはそっちに賛同する。無理する必要はどこにもねぇしな!」


「……何で。……何で、そんなこと提案出来るんだよ。ただの、クラスメイトだろ……?」


 晴斗には何の心当たりもない。

 好かれるような行動をした覚えも、仲良くなりたいというキッカケを与えた覚えも。

 そんな彼の疑問符に、透は「うぅーん…」と少し首を傾げながら、言葉を絞り出した。


「似てたから、かな」


「……?」


「オレの知り合いに、何でも1人で抱え込むような奴がいてさ。過去の経験からなのか、自分が誰かにとって『迷惑』になるようなことを与えてしまうなら、誰にも迷惑をかけないようにって、自ら。……そいつと、少し似てるんだ。お前の空気感がさ」


「……何だよ、それ。僕は、別に溜め込むようなことなんか――」


「そう思うなら、オレは後手に回るだけ。独り言として溢したことを、少しでも拾うまでだ」


「怖っ……。どれだけ本気なんだよ……僕みたいなのと、一緒にいるとか。……変な目で見られるぞ」


「男と女が駄弁るならまだしも、男友達が教室で駄弁ってて何が悪い!」


「……っ!!」


「心の中の本音っていうのは、中々にぶつけにくいもんだろ。特に、お前みたいな神経質っぽいタイプなら尚更。何でも話してくれとは言わない。さすがにオレにも限度はあるしな。でも、せっかく“あかの他人”なんだ。無関係なんだし、えれそうになかったりとか、何か晴らしたくなったときとか。遠慮せずに、吐いたっていいんだからな」




『――っていうのが昔あったんだ。それからだったかな、透に遠慮もなしに思ったことをそのままぶつけるようになったのは。あいつは約束通りに、何でも聞いてくれた。クラスでのこととか、渚とのこと、いろんなことを受け止めてくれた。……本当、感謝してもしきれない。あいつが居てくれたから、今の僕がいるから』


「……そっか。そんなことがあったんだ」


 ……知りもしなかった。

 放課後になれば自然と鉢合わせたり、そうじゃなくても互いの家に上がり込んでたけど。お互いのことは、あまり話したことがなかったから。


 ふと、脳裏にかつての透の様子が過った。

 中学1年生の一時期、透は普段、少ししか触れてなかったライトノベルを急に買い込むようになって、一気読みを繰り返す、そんな生活を何ヵ月も続けていた。


 出会った頃から読書好きではあったから、それが本格的に根付いたのかと思っていた。


 でもこの瞬間、ハッキリとわかった。

 渚ちゃんからの話も照らし合わせれば、その『仮定』はたちまち『真実』へと変わった。



 ――あれは全部、凪宮君のためだったんだ。



 彼の趣味も、読んでいる本さえ把握して……本気で透は、彼に寄り添うために。


「(……そっか。どうだったんだね)」


『ん? 何か言った?』


「ううん、何でもない。ありがとね、時間取らせちゃって」


『別にいいよ。あ、でも今の話は……』


「わかってる。言わないでほしい、だね」


『そうしてもらえると助かる。それじゃ、佐倉さんは風邪引かないようにね』


「うん、ありがと」


 そう言って、私はスマホの通話終了ボタンを押す。

 通話していた時間はおよそ40分弱。体感の時間よりも長く電話していたらしい。


「…………」


 布団の上で横になる透からは、少しずつ汗が出始めていた。

 私は言われた通りに汗をタオルで拭き取りながら、そっと彼の頬へと手を当てた。


「……私の知らないところで、頑張ってたんだね。透はやっぱり、スゴいな」


 感嘆の声が漏れる。

 幼馴染は、私の目標で永遠に届くことのない気高い壁でもある。でも、不思議と劣等感は無くて……寧ろ、彼のことを知る度に、同じところに立ちたいとそう思える。


 本当、君はどうして私のことを引っ張ってくれるのかな。


 私よりも、隠していることは多いくせに――。

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