第21話「幼馴染は、私に電車内で壁ドンする」

「――とりあえず、電車乗ってデパートにでも行くか」


「えっ……?」


「何だよ。不服か?」


「い、いや! そういうわけじゃないけど」


「じゃあ決まりな。ほら、さっさと行くぞ」


「う、うん」


 私の心理状態を知りもしないで。……でも、今はその気遣いが一切ない言葉が、とてつもなく嬉しい。

 私の心理を読めないのは、単にハル君が鈍いだけ。告白されたことを忘れてるんじゃないかと思うレベルで。今のだって……絶対顔に出てたはずなのに、読まれずに済んだ。

 嬉しいようで、ちょっとだけ寂しい。不思議な感情が、私の中をグルグルする。


「なぁ、ちょっと訊いてもいいか?」


「な、なに?」


 そんな私の心情を一切察せない鈍感男が、初めて私に直接目線を合わせてきた。


 や、やば……っ! 思った以上に隣で歩いてた!

 心臓がバクバク、と音をたてる。早鐘を打つ。


 ……どうしてかな。あれだけウロウロしていた気持ちが、ハル君の顔を見るだけでピタリと止まったの。――どんだけ好きなんだろう、私。


「お前は優衣に、どんなプレゼント用意したんだ? ……これから買いに行くとか――」


「そんな誰かさんみたいなことはしないかな」


「何か刺さった……」


 棘のある言い方をしたのだから、刺さって当然。

 乙女心を察せない代償のようなものだと思って、大人しくやられなさい。


「……だったら、どんなのだ?」


「うーん。日用品、かな」


「……女の子ものか」


「ゔぅ……っ!」


 ハル君の回答は当たっていた。


 優衣ちゃんも来年からは高校生になって義務教育も終わる。そろそろ女の子もののプレゼントをしたって問題ないはず。

 そう思って、少し早いが、大人物のリップとアクセサリーをあげるつもりでいる。


 まったく……こういうことはすぐに察するのに、どうして肝心なことにはなびかないかなぁ。……不思議すぎる。


「まぁいいんじゃないか? 優衣もああ見えてちゃんと女の子だし、女子力だけならお前にだって勝てると思うぞ」


「一言余計ですね、はい……!」


 神経を逆撫でされた気分になった。

 さっきまで呼び方云々うんぬんで悩んでいた私の労力と時間を返してほしい。


「どうした。何かむっとしてる」


「誰かさんのせいです」


 そんなこんなで話し続けていると、いつの間にか駅のホームにまで足を運んでいた。


 途中、普段人と遊ばない誰かさんが「あっ、やば。残高ない」とか言い出して予定の電車に1本乗り遅れるハプニングがあったりした。


 ホーム内にはさほど人は溜まっていなかったが、帰宅時間が重なっている今――電車の中は思っていた以上に人で溢れかえっていた。


「人多いな……」


「仕方ないじゃない。乗ってるの上り電車だし。それに、今って帰宅時間だからどっちにしたって混んでるの確定だよ?」


「そう、だけど……」


「それとも、電車が元々嫌いとか?」


「じゃあ何でその本人が『電車乗るぞ』って言うんだよ」


「……それもそうか」


 バスでも行けなくはないけど、明らかに電車賃の方が浮く。

 だからかなって思ってたけど、だからってわざわざ自分が苦手とするものを提案するのかと訊かれたらまずノーって答える。

 ハル君が言いたいのはこういうことだろう。


「じゃあ、他に何か問題でも?」


「……人の多さに目眩がするだけだ」


「それって大丈夫なの……?」


 げんなりとした声でハル君は言った。

 ハル君はどちらかといえばインドア派。――つまり、特別な用事が無ければ外に出ることもしない人だ。唯一出掛ける場所と言えば、近所の本屋ぐらいだし。


 ……そういえば、長年幼馴染やってきてるけど、こうして放課後に2人で電車に乗るのなんて、初めてな気がする。


 ……あれ、何でかな。

 二人で、というシチュエーションを確認しただけだというのに、妙に身体が火照りだす。


 そう思うと自然と手が出てしまい――、


「……何の真似だ、それは」


「ひ、人混み激しいから。そ、その……は、はぐれないための、た……対処法?」


「いや。疑問付けたいのは、こっちなんだけど」


 私は満員近い電車の中で、ハル君の制服の裾をぐいっと引っ張った。


 咄嗟のことで思考が停止する。

 ……何てことをしているのでしょうか私は。精神が『無』になった気分だった。


「……なるほどね。まったく、面倒な」


 ハル君は軽くため息を吐く。そ、そんなにこの状況が嫌ってことなの? それはそれでショックなんですけど……。

 と、そんな私の考えを断ち切るかのように、


「――ちょっとこっち来い」


「ふぇっ!? ちょ、ちょっ――」




 5秒間、この世界は無となった。

 そして次の瞬間、世界の時は動き出した。




「――ふぇっ!? ねぇ、ねぇ! ちょっと――」


「しーっ。少し黙ってろ」


 いきなりの展開に思考が全く言うことを利かない。レベルが足りないからとか、そんなわかりやすいご都合展開なんかでは到底説明がつかなくて……。


 間抜けな声を漏らした私は、腕をいきなりハル君に掴まれた。

 そしてハル君に促されるまま、私とハル君の立ち位置は完全に逆転した。つまり、私がドア側に。ハル君が私の前に立つという状態になったのだ。


 背中越しにドアの冷たい感触が伝わった。

 それが一気に、幻想から現実へと精神を戻した。しかしそんな展開も一瞬――それが気にならないほど、ハル君は私に接近していた。


 怒りが出るだとか、自分が情けない声を上げたからだとか、そんなのが一気に吹っ飛ぶぐらい、ハル君をすぐ近くに感じていた。


「は、ハル君……こ、この体勢わぁぁ……」


 私よりも高い身長。とても頼もしく見える顔立ち。

 男子の中では平均身長らしいが、そんなことは気にもならない。


 みな「彼は根暗だ」と言うけれど、この勇ましい顔の、どこが根暗だというのか――やばい……本気で頭が回らないっ!

 それほどまでにも、私はこの状態に現実味を感じない。


 こんな……こんな、私をドアに押し付けている、いわゆる『壁ドン』がこのシチュエーションに――焦り、戸惑いなどが募り、私はハル君の方へ視線を上げた。


「…………しろよ」


「……えっ?」


「女の子なんだから、少しは警戒しろよ」


「け、警戒って……な、何を?」


「…………痴漢にでもあったらどうする気だ」


 ぷいっと顔を逸らしたハル君の顔は、真っ赤に染まっていて可愛いの一言。

 ……もしかして、私が痴漢に遭うかもしれないから場所、変わってくれたのかな。


 そっか……。……ふぅ~ん。


 自嘲気味な笑みを零すものの、その奥底ではハル君への好感度が爆上りした自分がいた。

 ――私を心配してくれた。

 それだけで、嬉しい気持ちが溢れ出して……私の心は限界突破しそうだった。


「……私、一応自分の身ぐらい守れるよ?」


 一応訊ねてみる。

 護身術……っていうほどでもないけど、小さい頃はそれなりに習い事はたくさんしていたし、人並みには対処出来る。ハル君もそれは知ってるはずだけど。


 するとそんなことを言った直後――ハル君は「アホ」と言ってきた。


「自分が強いからって浮かれるな。それだけで、お前が危ない立場に立ったってことを自覚しろ」


「……何よ。私が信用出来ないの?」


「そうじゃない。……どんだけ強くたって、お前は女なんだってことだよ。……こういうときぐらい、僕に縋ればいいんだよ。少しは覚えろ、バカ」


 …………どうして。

 どうして――どうしてこういうときに限って……普段なら絶対言わなそうなことを言ってくるのかなぁぁ――っ!!


「は、ハルく――」


「うわっ……!?」「きゃっ――!?」


 ハル君の名前を呼ぼうとした途端、電車がカーブしたのか車内が大きく揺れた。


 い、いてて……ドア側だったから、ちょっとぶつけたかも……。

 私は頭をスリスリと摩る。


 そっと目を開けるとそこにはハル君がいて……崩れた体勢を直そうと少し足元を動かすと、何かにぶつかった。


「……んん?」


 ぶつけた個所は二の腕だった。しかもそこには――別の誰かの二の腕があって……。


 冷静に状況を把握していく。

 誰かの二の腕から目を逸らしてハル君の方へと視線を向けていき、そしてハル君以外、私の前には誰もいないという状態を再認知する。


 …………待って?? ま、まさかとは思うけど、この状況って……か、か、壁ドン!?


 私――い、い、今、は、ハル君に、か、壁ドンされてる!?!?




 ええぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ――――――――――っっ!!




「は、は、はりゅ……くん! ちょ、ちょっと――」


「……あっ。ごめん。揺れた拍子につい」


「へ、平気だかりゃ、は、早くどけて――」


「まぁ丁度いい壁出来たから、駅着くまでこのままでいいか? その方がお前としても安心だろ?」


 ……あ、あん……しん……?? そ、そ、そんなわけないじゃなぁぁ―――――い!!


 揺れた拍子につい、なんて言ってるけど私からすればこんなの『つい』なんて言葉で済まされるレベルではない。寧ろ限界突破して宇宙まで心が飛び立とうとするほどに興奮してるっ……!!


 更に満員電車ということもあってか、ハル君の胸元が私を軽く潰しかけているのだ。


 ……しゅ、羞恥心……の、げん、かい。

 攻めてるの……? 攻められてるの……? どっちにしたって、私に羞恥攻めをさせている(無自覚)なのは変わってない!!


 ……でも、ハル君の胸元って、こんなに大きいんだ。

 さっきの言葉も、ハル君にとっては何の意図もない言葉なんだろうけど――私には軽く死んでしまうレベルの攻撃だった。本人はそんなつもり、微塵もないんだろうけど。


 ハル君の怖いところ。

 ――それは、こういうことをなんでもないことのように熟してしまうこと。

 それが時々、羨ましいと思ったり、それを愛くるしいと思ったりさせるところ。


 …………ハル君って、本っ当にずるいなぁ。


 やっぱり私は――そんなハル君の『特別』でありたい。

 私からすればハル君は既に特別だけど、ハル君から見たら“ただの幼馴染”で枠が作られてるんだろうな。……でもね、ハル君。私はそんな枠には、収まりたくない。


 幼馴染なんて言葉で片づけられないほど、身勝手で、横暴で、独占的な行動。

 それをハル君が望んでいようと望んでまいと、それを叶えたい自分がいる。それは何よりも――恐ろしいところ。


 でも今は……これはまだ、私の中の『独り言』としよう。

 けれどいつかは――そうなる日が、来ればいいのに。

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