一番下の確認




 誰もが決まりの悪そうな顔をしていた。泣き出す人も居た。

 彼女らは何をどんなふうに考え、どんな感情を抱いているのだろう。罪悪感か、保身か、恐怖か……あとはどんな候補があるだろう。表情から察するに『加菜子が死んで良かった』と思っている人は居ないと思うが、所詮は想像の域を出ない。

 私には分からない。死ねと言った相手が本当に死んでしまったという経験がないから。

 加菜子へのいじめは吹奏楽部員以外でも、誰もが知っていることだった。たぶん複数の教師も知っていた。

 それでも誰も何もしなかった。大丈夫だと思っていたのだろう。殴る蹴る、物を隠す、机に落書きをする。そんなような『いじめ』がなかったから。

 あったのは悪口と仲間外れ。それだけ。

 一度加菜子は担任の先生に相談したが、先生は軽く頷きホームルームで「悪口はやめましょう」と言っておしまい。それ以来加菜子は先生を毛嫌いしていた。

 悪口の内容もまた、凡庸。

 キモい、ウザい、嫌い、邪魔、死ね。

 だいたいこの五つ。二十人を超える吹奏楽部員が揃いも揃って思いついた悪口が五種類だけとは。種類が多ければ良いという話でもないが。

 加菜子が死んでも、クラスメイトや吹奏楽部員の中にドラマのような改心もパニックも起きない。ただ『浅井加菜子』という名前は生徒の間でタブーとなり、誰もがバツが悪そうに黙りこくるだけだった。

 そんなつもりはなかった、と言うつもりなのだろうか。

 本当に死んでほしかったわけではなかったと。冗談のつもりだったと。申し訳ないと。

 そんなふうに思っているのだろうか。

 でもそんな感情もいずれ消えるのだろう。彼女らは加菜子の死を乗り越え、前に進み、未来へ向かって希望を取り戻していく。加菜子のことなど忘れて幸せな人生を歩んでいく。

 ひょっとすると加菜子の傷を自分のものにしてしまうかもしれない。昔同級生が死んじゃったの、私それがトラウマで、なんて言って泣いたり慰められたりするのだろう。

「……」

 私は一年生の頃から美術部だったから、吹奏楽部の部員とはあまり関わりがなかった。せいぜい離任式や体育祭にむけて音楽室で練習している音が漏れ出して、すぐ近くの美術室まで微かに届いていた程度だ。部長が誰かも顧問が誰かも知らない。

 そういえば、加菜子はどの楽器を担当していたんだったか。確かフルート……だったような。どうにもピアノを弾いているイメージが強くて思い出せない。そのピアノも、どこかで賞を取ったとか特別上手だったとか、そういう話は聞いたことがなかったが。

 私は美術室の前を通り過ぎ、加菜子の遺書をシワのつかないよう気をつけながら鞄にしまい、音楽室の重い扉を開く。

 加菜子が死んでもそれはそれ、部活は部活。コンクールが目前で休むわけにもいかないようだ。受験も近いのに吹奏楽部は大変だな、と思う。

 音楽室に足を踏み入れると、部員達の視線が残らず私に集まった。

「失礼します」

 言って、私は部員が全員視界に入る位置まで歩いた。

「練習の邪魔してごめんなさい。ひとつ訊きたいのだけど、あなたがたは」

 室内は少しだけざわついている。

 きちんと全員に届くよう、職員室のときと同じように声のボリュームを上げる。

「あなたがたは、最後の最後に、人生は美しかったと言える自信、ありますか?」

 ざわつきが大きくなる。誰も何も答えない。ただ視線だけをこちらに向けて、隣に居る人とひそひそ何かを言っている。

 やっぱりそうなんだ、と私は音楽室をあとにした。




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