白百合2139-PB、それが表現すべきもの

千堂アリシアは、紫音しおんの振る舞いに、ただ好きな相手に媚を売ったり、へらへら笑っているだけの姿を見ていたわけではなかった。彼女は、良純と共に人生を歩んでいくために自らの仕事に真摯に向き合っている紫音の姿こそをつぶさに見ていたのだ。その上で、良純を前にした時に見せるふとした表情の意図を読み取った。


『この人と一緒に生きていきたい』


その想いを<覚悟>に昇華している紫音の表情を。


『媚びるようなパフォーマンスこそが必要』


な役割もこの世には確かにあるだろう。偶像などはまさにそうかもしれない。受け取り手が求めているものを提供してこそ対価が得られる。


しかし、<受け取り手が求めているもの>が常に<媚び>であるとは限らない。それも事実のはずである。媚びを求める者は求めればいいかもしれないが、いついかなる場合でもそれが正解であるとは限らないのだ。


事実、良純が紫音に対して求めているのは、


<ひたすら自分に媚びを売るペット>


ではなかった。それを紫音も理解している。共に<パートナー>であることを望んでいるのだ。


それがこれまでの<マネキン>では表現しきれていなかった。マネキンはあくまで身に着けている衣装のコンセプトを一方的に提示するだけの<装置>でしかなかったからだ。だから<人間らしさ>は重要ではなかった。とにかく衣装が浮き立てばよかったのだ。


けれど、この時代、<花嫁>に求められているものは、


<共に生きるパートナーとしての気概>


だった。これはもちろん<花婿>もそうなのだが、今回はあくまで花嫁衣裳に焦点を当てているので敢えて脇役に回ってもらっている。だからと言って本当にただの舞台装置では陳腐に見えてしまう可能性があったので、千堂京一せんどうけいいちにその役を担ってもらったのだ。


<仕上がった白百合2139-PBの存在感に呑まれないパートナー>


として。そしてそれは見事にはまった。千堂の毅然とした振る舞いがあればこその<花嫁の存在感>だった。


なにより、白百合2139-PB(千堂アリシア)の表情そのものが、


『愛する者と共にいる』


からこそであっただろう。これは同時に、白百合2139-PB自体がそれを表現できるものであったからとも言える。


役員達の前に立った白百合2139-PB(アリシア)と千堂京一に対して、エンターテイメント部から派遣された神父役の俳優が問う。


「健やかなる時も、病める時も、共に手を携えて生きることを誓いますか?」


これに対して二人は、


「誓います」


とはっきりと応えたのだった。


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