エリナ・バーンズ、共感を目指す

「ということで、<幸せそうに見える花嫁>に必要なのは<共感>であると私は考えました。見ている方が共感できることが大事だと思うんです」


そのエリナの発言に、部下の一人が、


「それは確かにそうだと思いますけど、でも、『幸せそうな人を見るのはムカつく!』って感じる人もいますよね? そんな風に思わせる姿もやっぱり<幸せそうな姿>なんじゃないでしょうか?」


とも意見を述べる。するとエリナは、


「ええ、だから私は、それを<共感の裏返し>であると考えるんです。共感であれ反感であれ、関心そのものが励起されて初めて<幸せそうな姿>だと感じました。それを一切励起しない、心理的な影響を与えないものを<幸せそうな姿>だとは言えないんじゃないでしょうか? ただの<記号>に過ぎないのかもしれません。まったく注意を引き付けないただの記号。それでは意味がないんです」


改めて説明する。


彼女が気付いたことを、


『当たり前じゃん! なんでそんなことも分からないんだよ!』


と嘲る者もいるだろう。しかし、それは単なる<思い上がり>である。自分の考えや感じていることこそが『正しい』と『真理である』と思いたがっているだけに過ぎない。誰かの<当たり前>は他の誰かにとっては違うなどということは、それ自体がごくごく当たり前に存在しているではないか。


物事を論理的に理性的に捉えようというクセが染みついているエリナ達には、単純な<感情論>というものが必ずしも身近ではなかったのである。


感情そのものを論理的に理性的に捉えようとする傾向があるゆえに。


メイトギア課では、感情そのものを数値に置き換えるスキルが求められる。メイトギアに<人間らしさ>というか、


<人間から見て不気味に思われないようにする自然な振る舞い>


を再現するには、それを数値で表せることが必要なのだ。ロボットには<心>がない。<心>を再現できるだけの膨大なリソースは用意できない。そんな途方もないAIを、人間サイズの機体に搭載するなど現実的ではない。そんなことをしていては<商品>として成立しない。


あくまでも現在の一般的な性能のAIで再現できる<人間らしさ>こそが要求されるのだ。千堂アリシアは<心(のようなもの)>を備えているとはいえ、実はそれがなぜ成立しているのかいまだに判明していない上に、そちらにリソースを割かれているがゆえに千堂アリシアは本来の性能を発揮できていない。


何度も言うように、それでは<商品>として成立しないのだ。


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