千堂アリシア、千堂京一の寝顔を見つめる

こうして空港を飛び立った千堂京一せんどうけいいちの自家用ジェットは、今度は順調なフライトを続けていた。


所要時間は約十一時間。時差もあるので、千堂は仮眠をとる。


『休める時は休む』


それが彼のポリシーでもあるからだ。そんな千堂の寝顔を、アリシアはじっと見つめる。


『千堂様……私は千堂様と出逢えて本当に幸せです。千堂様のおかげで私は私でいられるんです。でも……でも、タラントゥリバヤさんには、そういう方がいらっしゃらなかったんですね……だから彼女はああなってしまったんですね……』


しみじみとそう思う。


アリシアはそれこそただのロボット。しかも、<製品>としてはもはや価値のない欠陥品。データを取られた後は解体・破棄されても文句も言えなかったであろう自分を、<家族>として手元に置いてくれた千堂がいたからこそ、今の彼女がある。


もちろん、メイトギア課設計開発主任の獅子倉ししくららの尽力もあってこそのものとはいえ、それすら千堂の後ろ盾がなければ成立しなかっただろう。すべては<人の縁>があってこそのもの。


だからこそ、タラントゥリバヤにそれがなかったのが残念でならない。


ただしそれは、タラントゥリバヤ本人が招いたことでもある。両親の不仲という事情があったとはいえ、他者に対して意図的に辛辣に振る舞ったりしたことが状況を悪くしたというのは間違いなくあったはずだ。


さりとて、初等学校の四年生や中等学校の頃となればまだ本当に子供。未熟な子供にそれを求めるというのは酷だったに違いない。それこその頃に、千堂のような大人と出逢い、そこから人としての振る舞い方を学べていたらまだ違っていたのかもしれない。だからこそ惜しまれるのだ。


努力をするにも、<努力できる環境>というものが必要になる。それは事実だ。千堂でさえ、今の千堂になれたのは、彼自身の努力は大前提としても、彼自身の努力を認め、活かしてくれた他者がいればこそだ。


タラントゥリバヤも、『父親を包丁で刺した』という過去を持ちつつもキャビンアテンダントにまでなれたのは、彼女自身が並々ならぬ努力をしたからだろう。にも拘らず結果はああだった。彼女が自らそれを選んだのはやはり事実でも、考えが根本的に合わない友人とは距離を置いて、


『世界というのはそれだけで出来上がっているわけじゃない』


ということを教えてくれる者と出逢えていれば、というのはどこまでも付きまとう<if>だと思われる。


無論、すでに起こってしまった現実に<if>はない。現実はやり直すことはできない。できないが、そこから学ぶべきことは確かにあるし、<タラントゥリバヤ・マナロフという個人>を悼む気持ちも、否定されるべきものではないはずだ。


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