医療の進歩、それがもたらす皮肉な話

『その辺りも欲張っちまうじゃないか。まったく、罪深いもんだよ。医療ってのは……』


間倉井まくらい医師がそんなことを思ったのも、老化抑制技術の進歩により百二十歳になってもまあ日常生活くらいなら困らない程度で済むようになったことや、かつてなら助からなかったはずの命まで助かるようになったことで、人間は、<死>をより一層自分達とは縁遠いものと考えるようになってしまった印象があったからだった。


今回の大動脈解離にしても、間倉井まくらい医師自身の持病である難病が元になっていることとさすがに百二十歳という高齢であることが影響しているだけで、一般的なそれなら、処置が間に合いさえすれば九十パーセント以上の確率で助かるものでしかなくなっている。


ただ、残り約十パーセントに当たってしまった事例だと、遺族としても、


『九十パーセントの確率で助かるはずのものだったのが死んだ。これは病院側の医療ミスの所為に違いない』


的に考えるようになってしまっている面があって、裁判になることも多いのだ。しかし残念な結界に終わった約十パーセントにしても、決して<医療ミス>のせいではない。患者自身の体力などの影響なのだ。生存率を算出する際の母数に<医療ミスによる死亡事例>は含まれていない。


なのに、『死ぬはずがない』という思い込みが、


『事実が隠蔽されているに違いない!!』


という不信感となり、遺族を先鋭化させてしまうこともある。


これもまた、


<医療の進歩がもたらした皮肉な話>


と言えるだろうか。


さらに今では、<健康寿命>そのものが百二十歳を超えたと言われている。つまり、最新の老化抑制処置を受けた人間は、今の間倉井まくらい医師と同じ年齢になってもそれこそ健康なのが当たり前になるということだ。


人間はいったい、どこまで行こうというのだろう……?


目標は分かっている。<不老不死>だ。老いることなく永遠の時間を生きられること。


それが究極の目標のはずだった。


けれど間倉井まくらい医師は思う。


『永遠に死なないってのは、そんなに嬉しいことかい? 人間として生きるのに飽きたって死ぬこともできないんだよ? 確かに私だってまだまだやりたいことはないとは言えないよ。でもね、今の倍の年数を生きたら、たぶん、それもやり切ってしまえるだろうね。


じゃあ、その先はどうなんだい? その先にもやりたいことはあるのかい? まあ、そん時はそん時でやりたいこともできるのかもしれないけどさ……


でも少なくとも私は、あと百二十年も生きるのはちょっと御免被りたいね……』


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る