千堂アリシア、人間を思う

人間はついつい、


『自分と同じ考えの者達だけで作り上げればきっとそれは理想の社会になるに違いない』


と考えてしまいがちな生き物でもある。しかしそれは、


<人間という生き物>


を理解していない者による単なる<夢想>でしかない。人間は、すべてが同じ考え、同じ価値観、同じ目標を抱き続けるということができない生き物なのだ。これは、人類の歴史そのものが物語っている。


どれほど理想を掲げてその実現に邁進した英傑がいたとしても、<理想郷>が実現され、それが長きに亘って維持されたという実例はない。高潔な精神を持った者達が集まったとしても、しかし何一つ問題がなかった事例は、基本的に存在しないのだ。<物語>の中以外には。


ごく一部分に限れば、なるほど同じ考えを、価値観を、共有している場合もあるだろう。けれど、別のものに視点を移せば、途端に噛み合わなくなることも多いのが、人間という生き物なのだから。


例えば、共通の相手を敵として力を合わせて戦っていたとしても、それを敵として認識している理由が違ったりもする。


憎しみから敵としてみなしている者もいれば、単純に利害関係の点で衝突しているだけの者もいるのだ。


そうなれば、憎しみを抱いているものは敵の根絶やしを願うだろう。


一方、根絶やしにするのではなく利用できるものは利用して利を得たいと考える者もいるだろう。


その場合、どちらを選択したとしてもわだかまりが残り、それはやがて決定的な対立を生み出す可能性もある。


このような形で瓦解していくのではないのか?


アリシアは蓄積された膨大なデータにアクセスできるがゆえに、それが分かってしまう。


併せて、『人間が皆、千堂様みたいな人だったら』と考えてしまいながらも、それが果たされることはないのも分かってしまう。


そのようなことは有り得ないのだから。


もし、彼女の考えが実現されるようなことがあれば、そこにいるのはもはや<人間>ではなくなってしまっているだろう。むしろ<ロボット>に近いものになっているに違いない。


アリシア自身は、そんなことは望んでいない。人間は人間のままでいい。どんなに好ましくない一面をあろうとも。人間が人間であればこそ、千堂は生まれたのだから。人間がロボットのようになってしまっては、きっと、千堂はいない。


なんてことをアリシアが考えている間にも、コデットと千堂は、


「大変なこともあるかもしれないけど、お仕事頑張ってください!」


「お気遣い、感謝いたします」


などとやり取りをしていた。なんだかすっかり馴染んでしまっていたのだった。


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