アレキサンドロ、アリシアのテクニックに蕩ける

だが今回の件は、アリシアに少なからず火星の社会の現実を垣間見せることになった。ロボットが活躍することで人間の仕事を奪い、それを恨みに感じる人間が少なからずいるという現実を。


アリシアが考えている通り、ロボットは人間が幸せになる為に存在する筈だった。ただ、人間の側が必ずしもロボットをうまく使いこなしてくれていないというのもまた事実なのだ。ロボットの方が忠実で結果的に安上がりだからと安易に人間と置き換えてしまうやり方は、今回のような軋轢を生んでしまうことにもなる。


あの、アリシアの尻を触った人物は、確かにJAPAN-2ジャパンセカンド社に対しては大きな利益をもたらしてくれたが、その一方で千堂に対しては結局、自身の尻拭いをさせる結果となったということだった。それに気付き、アリシアは何とも言えない複雑な気分になった。こんな事なら脳血栓の兆候のことなど伝えなければよかったのかも知れないと思った。


しかし彼女は、同じようなことがあればこれからも結局は伝えるだろう。アリシアはただ、人間の幸せを願っているだけなのだから。


そんな彼女を、千堂は包み込むように抱き締めてくれるのだった。




「話は聞いたよ。災難だったな、千堂」


ホテルでの騒動を聞き、次の会談場所へ移動する為のビジネスジェットの中で、アレキサンドロがそう声を掛けてきた。


「しかし、ビジネスにトラブルは付き物だ。ロボットに置き換えられてしまう程度の働きしかしていない怠け者の泣き言に付き合ってる暇はない。社会はシビアなのだよ」


そう言うアレキサンドロに対し、千堂は苦笑いを浮かべるだけだった。彼は確かに企業人とはしては有能でエネルギッシュで立派なのだが、やはり企業人としての哲学的な部分での価値観が若干噛み合わず、『友人』と言うには隔たりを感じてしまうのも事実なのだった。千堂にも確かに厳しい一面はあるが、彼は基本的に従業員を切り捨てるという考え方を良しとしていない。無理は言うが、その代わり見捨てることもしないのだ。しかも、理念や理想論を並べるだけでなく実際に配置の調整を行う形でリストラを成功させ、どうしても残ることが出来ない離職者には次の仕事に必要な情報の提供も行い、人間としてのネットワークや技術が途絶しないように努力を惜しまないのである。


それが、かつて自家用ジェットにミサイル攻撃を受け、砂漠に不時着し、孤立無援の絶望的な状況でも生き延びた彼が部下達と連絡を取ってからの、千堂を救おうと多くの人間が迅速な対応を行ったことに繋がっているとも言えるだろう。実はあの事件の裏では、千堂を死なせるなという動きが各所に起こり、それが大陸間弾道救難機のスムーズな投入を実現させたという経緯もあったのだ。


千堂とアレキサンドロ。どちらが正しいということではない。それはあくまで互いの手法の違いでしかない。事実、企業人として見れば千堂よりもアレキサンドロの方が格上であるとも言えることから一概にどうとは言えないのだ。ただ、彼の為ならばと思ってくれる人間の多さでは、もしかすると千堂の方が上かもしれない。それだけの話だった。そしてアリシアもまた、彼の為ならばと思ってくれる存在だった。


ところで、今回、千堂の出張に同行した社員達も、若い社員を除けば千堂を尊敬し信頼している者達で、仕事における彼のタフネスぶりを承知してるのだが、初めての長期出張となった若い社員、廣芝慈英努ひろしばじぇいどは、さすがに疲れの色が隠せないようだった。


「大丈夫ですか? 気分が優れないようですが…?」


明らかに青褪めたその顔色に、アリシアが声を掛ける。他の社員は「大丈夫です。みんな通る道ですから」と言うのだが、アリシアとしては気になって仕方ない。そこで彼女は、彼の手を取り、その詳細なバイタルデータを収集し始めた。なるほど確かに疲労は蓄積しているようだが特に緊急の対応を要するような所見はないようだ。慣れない環境とハードスケジュールがストレスになっているのだろうと思われた。


「睡眠はしっかりとれてますか?」


そう問うアリシアに、廣芝は申し訳なさそうに応えた。


「すいません。気持ちが高ぶってしまってるのか、何度も目が覚めてしまって…」


それを聞いた彼女は千堂の傍に行って耳打ちをした。


「廣芝さんの体調が優れないようですので、仮眠を取らせてあげてはいかがでしょうか?」


すると千堂は躊躇なく応じた。


「お前がそう判断するのなら、私に異論はない。到着まではまだ二時間以上ある。休息も仕事の内だ。休ませてあげなさい」


その言葉に従い、彼女は廣芝の座っていたシートを就寝モードにまでリクライニングさせた。


「千堂様のご命令により、廣芝さんには仮眠をとっていただきます。入眠を促す為に廣芝さんがリラックスを感じる処置を施させていただきますので、力を抜いていていただけますか」


耳元で囁くように言い、アリシアは廣芝のネクタイを緩めワイシャツのボタンをはずし始めた。その上で再び彼の手を取ってマッサージを始めたのだった。


決して強く揉みしだくものではなくそれこそ赤ん坊の手の感触を楽しむかのような穏やかで柔らかいものだったが、自身の温度を人間が心地好いと感じるそれまで上げたアリシアの手は、目を瞑ればまるで母親に手を揉んでもらっているかのように彼を癒した。すると、反対の手を揉み始めた頃には彼は静かに寝息を。


彼の睡眠が良好なものであることを確認したアリシアは、他の三人に向かって、


「もしよろしければ皆さんもマッサージいかがですか?」


と声を掛けると、三人共、恐縮しながらも「お願いします」と頭を下げる。


そのマッサージの心地良さに彼らもシートに腰掛けたまま、うつらうつらと居眠りを始める始末だった。そんな様子を見ながら、アリシアは満足そうに微笑んだ。人間が癒されて幸せな気分になってくれるのは、彼女にとって何にも代えがたい喜びだった。


それを見ていたアレクサンドロの部下達も、「私もお願いしてもいいですか?」とアリシアの下に集まり、同じようにマッサージを受ける。最後にはアレクサンドロ自身まで、


「私も持病の頭痛がこのところ酷くてね、薬の量が増えて困っているんだ。君のマッサージで何とかならないかな」


と頼み込んできたのだった。


それに対してもアリシアは嬉しそうに微笑み、


「分かりました。私でお役に立てるのでしたらお試しください」


と、アレキサンドロの頭をマッサージ。そんな風に主人の体にアリシアが触れているにも拘らず、アレキサンドロのフローリアM9は静かにその様子を見守っているだけだった。だがそれと同時に、


『そのマッサージ法を教えていただけますか』


とデータ通信で求められ、アリシアは快くそれを受け入れた。そして途中からフローリアM9と交代して、マッサージ法が確実にコピーされたことを確認。


マッサージを終えてアレキサンドロは、


「素晴らしい! まるで頭を取り換えたかのようにすっきりしているよ。しかもこの素晴らしい技を私のフローリアに惜しみなく伝授してくれるとか、千堂、君は本当にビジネスマンとしては私より劣っているね。私ならこれをビジネスに活用するところだよ」


『劣っている』と、言い方は少々どうかと感じる部分はあるが、しかしそれは彼流の最大の賛辞だった。金儲けにも使えそうなノウハウを自分達の心を掴む為に使うという発想は、彼にはなかったからである。もっとも、千堂自身、彼らの心を掴むとかそういうことを明確に意図してた訳ではない。ただ結果としてそうなるのであれば、アリシアに任せた甲斐があるというものだと思っただけであった。


「お前のおかげでこの後の仕事がはかどりそうだ。ありがとう、アリシア」


耳元でそう告げられて、彼女はまた、くすぐったそうに微笑んだのだった。


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