アリシア、おしりを触られる
忙しくスケジュールをこなす千堂に付き従い、アリシアも順調に役目を果たしていた。時には相手方の下品なジョークやセクハラまがいの接触にも耐え、笑顔を崩さずそれらをあしらった。相手も、彼女がロボットだから訴えられたりしないことを分かっていてやっているので、実はけっこう性質が悪いものもあったりするのだが。
メイトギアが必要以上にセクシーになり過ぎないように作られているのはこういうことも想定されてのことだった。あまり性的なアピールをしてはその種の行為を誘発しかねないからだ。ただ、敢えて性的アピールの少ない質素で清楚なその姿にこそそそられるという人間もいるので、全てに対して有効ではないことも残念ながら事実ではある。
だがその時、アリシアの尻に触れた役員男性のバイタルサインを取得してしまった彼女は、そこに気になるデータを見付けてしまう。千堂が軽微な脳血栓で緊急搬送された時に見られたものと同じであった。
「千堂様、実は…」
アリシアがそのことを千堂に伝え、千堂がその人物の秘書に伝えてから三十分も経たないうちに件の人物は緊急入院となったのだった。簡易なメディカルチェックを受けて実際に脳血栓の兆候が見つかってしまったのである。幸い、軽微なものだったために処置を受けたその日のうちに退院出来たのだが。
アレキサンドロ主催の夕食会に退院後さっそく現れたその人物は、アリシアに感謝しつつも、
「やはりメイトギアの尻には触るべきだな、ガッハハハ!」
とまるで懲りていない様子で周囲の人間を呆れさせたりもした。だがアリシアに対する感謝の気持ちは本物だったらしく、その日の宿泊先のホテルにアリシア宛の花束が届いたり、後日、その人物が個人的に経営するレストランチェーンでホールスタッフとしてアリシアシリーズの導入が決定したりしたのだ。その数五十。これは千堂も想定していなかった予定外の成果となった。
「アリシアの初めての営業成績だな。すごいぞ。本日のトップセールスだ」
本社から送られてくるデータを確認しながらそう言って目を細める千堂に、彼女はもじもじと照れた仕草を見せる。しかも本社からトップセールスの記念として金一封が贈呈された。プリペイドカードとしても発行出来るものだった為、彼女が直に受け取ることが出来たのだ。もちろん、アリシアは現在は職員という扱いではないので正式なものではないが、イベント的にこういうことは頻繁に行われているのである。
ただこの時のアリシアシリーズの導入が後に騒動に繋がることは、アリシアには想像も出来なかったのだが。
千堂一行が順調にスケジュールをこなし一週間が経ったその日、アリシアは、ホテルの外が少々騒々しいことに気付き、一般公開されている公共の監視カメラ映像を受信して、ホテル前の様子を窺った。するとそこには、十数人の人間がホテルの前に集まり、ホテル側の警備員やスタッフと何やら押し問答をしている様子が見えた。それ自体はそう珍しい光景でもなかった筈なのだが、この時のアリシアは何故か無性にそれが気になって、センサーの感度を上げ、その騒動の音声を詳細に拾い上げる。すると。
「ここに
「私達は
「私達の仕事を奪った
といった内容の罵声がいくつも確認出来たのだった。
『何これ、どうしてこんなことに…?』
そう思いながらアリシアが音声を拾っていると、どうやら、例の、アリシアの尻を触ったことで脳血栓の兆候が見つかり、重症化する前に対処出来たことでその感謝の為に自らが経営するレストラングループのホールスタッフとしてアリシアシリーズ五十体の導入を決めた人物のレストランで働いていた人間が、アリシアシリーズの導入を機に解雇が決まったことに抗議する為に集まったらしいというのが分かってしまった。
とは言えこれは、明らかな言いがかりだ。あくまで
『どうして…? 私達ロボットは人間に幸せになって欲しいだけなのに…』
両手で顔を覆い、泣いている仕草を見せるアリシアに、千堂も胸を痛める想いだった。彼は彼で外の騒動についてホテル側から聞かされたところだった。だからアリシアがどうして泣いているのか、察してしまったのだ。
千堂自身はこの手の騒ぎにはもう慣れている為に何とも思わないが、心を持って間もないアリシアには辛いことだというのは容易に想像出来てしまう。何しろ彼女は、心を持ちながらもロボットとして当たり前の考え方を持っているのだから。そう、『ロボットは、人間の幸せの為に存在する』という考え方を。
だから彼女は人間を恨んだりはしない。一時的に感情的になることはあるかも知れないが、それを根に持つこともない。彼女にとって人間は愛すべき存在なのである。
そんな人間が自分が原因で憤っている。でもどうすればいいのか分からない。そんな彼女に、千堂が声を掛けた。
「アリシア。こういう行き違いはよくあることだ。誰一人悪意がなかったとしても起こってしまう。だが、完全には対処出来なくとも、ある程度なら解決する手段は常にある。私に任せてほしい」
いつものように穏やかに、しかし揺るぎない強さを感じさせる彼の言葉に、アリシアは縋りたいと思ってしまう。
「千堂様…お願いします…」
手で顔を覆ったまま、彼女は千堂の胸に縋りついた。
その後、千堂が何度か電話を掛けると、ホテルの前で集まっていた人間達の前に、一人の男性が現れた。彼は、自分は弁護士であると名乗り、困っている人達の力になる為に活動しているのだと告げた。あなた方の要求を伝える為に自分が代表になると申し出る。すると集まっていた人間達は、自分達の要求が届くならと、その弁護士を名乗る人物に言われるがままに今後の方針を決める為の会合をするということで何処かへ行ってしまったのだった。
実はその弁護士を名乗る人物は、本当に弁護士なのだが、千堂がこういう時の為に繋がりを持っている弁護士だった。ニューヨハネスブルグはこれまでにも何度か訪れており、その際に当たりを付けていた弁護士である。
不満を持つ人間達は、自分達の不安や不満を聞いてもらうのが目的であることが多い為、親身になって話を聞いてくれる相手がいるだけで落ち着いたりするのを知っているのだ。しかも話を聞くだけでなく実際に再就職の支援を行っている団体などを紹介したり、時には直接新しい雇用主との間に入ってくれたりもするのだった。もちろん、その為の費用は相談を聞いてもらった彼らが支払うことになるが、大抵は仕事を得ることに成功しその中から報酬を払ってもらえるのである。また、必要とされる求人情報などは、千堂の側が自らのコネクションを用いて提供する。
これが、千堂がこの若さで役員になれた理由の一つだった。トラブルを力でねじ伏せるだけではなく、合理的で具体的な対処法を提示し、かつそれを実行出来る能力が買われたのである。もっともそれは、論理的で理性的な対応が可能な相手でないと通用しないことも、彼は知っているが。彼とアリシアが巻き込まれた武装組織による襲撃事件のような、相手の目的がそもそも殺害のみというような場合には容赦はしないという一面も持ち合わせている。
いずれにせよ、少なくともホテル前の騒動はこれで片付いた。千堂が電話を掛けただけで見る間に解決したことに、アリシアはまた、彼の大きさを感じることになったのだった。
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