13日目 アリシア、秀青を抱く

ロボットでありながら笑って怒って拗ねてと忙しいアリシアのことを、秀青は『変な奴』と称しながらもいつしか受け入れていた。少なくとも自分が知ってるロボットと同じように扱うのは適切ではないと、彼は感じたのである。


昨日と同じように一緒に林に入り、カセイヒイロシジミの捜索を行う。しかしもうその時点で彼の一番の目的はカセイヒイロシジミではなくなっていた。蝶を探しながらも、アリシアに話し掛けた。


「僕はロボットが嫌いだ」


単刀直入なその言葉に揺さぶられるものを感じながらも、彼女は彼の言葉に耳を傾ける。


「何でもかんでも人間の言いなりになって、そのくせ命令されればこっちの気持ちとかお構いなしにお世話しに来る。ほんとあいつらそっくりだ」


『あいつら』。アリシアはその言葉が気になった。今の言い方だと、そのあいつらというのはロボットのことじゃないと思われた。むしろその言葉の真意としては、ロボットの向こうにいる『あいつら』というのが本当に嫌っている相手で、ロボットがその相手に似てるからという理由で嫌いという風にも受け取れる。


そう推測しながら、彼女はなおも秀青の言葉を待った。まずは彼に言いたいことがあるのであればそれを全て聞いてから判断しすべきだと思ったのだ。そんなアリシアの思いを察したかのように、彼は言葉を続けた。


「僕がお祖父さんのところに来るのは、この辺りなら虫が多いからだ。虫の研究をするのに必要だからだ。そうじゃなかったら来ない。命令ばっかりして相手の気持ちとか考えないお祖父さんも、お祖父さんの言いなりになってるだけのあいつらも嫌いだ。任務任務って、そんなのただのロボットじゃないか……


しかも僕の世話を本当にロボットだけにやらせて、それでも人間の親かよ。あいつらに比べたら虫の方がよっぽどちゃんとしてるよ」


前を向き、林の中を歩きながら彼は言った。そのおかげで、『あいつら』というのが彼の両親だというのが分かった。彼の話を整理すると、彼の両親は仕事が忙しく、彼の世話をロボット、恐らく今はアリシア2234-LMNに任せっきりになっているということなのだろう。そこまで聞いて彼女にもおおよそのことは分かった。彼はきっと、両親に対する思慕の念を拗らせてしまっているのだ。そういう複雑な想いがロボットに対する嫌悪感にすり替わってしまっていると思われた。


それに気付いた瞬間、アリシアはこの少年のことを可愛いと思ってしまった。親に甘えたい気持ちに応えてもらえなくて拗ねてるのだと思うと、自分がよしよししてあげたいと思った。しかしいきなりそんなことをすると彼のプライドを傷付けるかも知れない。それも思う。だから彼女は彼がもし、自分に甘えるような素振りを見せた時には受け止めてあげようと思ったのだった。


とは言え、さすがにいきなりそういう素振りを見せる筈もなく、他愛ないおしゃべりをしながらの捜索が続いただけだった。だが肝心のカセイヒイロシジミは気配さえ見せず、時間だけが過ぎていく。


そしてそろそろ昨日と同じくらいの時間になりかけたその時、アリシアの視界に反応があり、彼女は思わず声を上げた。


「カセイヒイロシジミの画像と88%一致! 秀青さん、そこです!」


そう言いながら指をさす彼女に、段差を上った彼が思わず「え!?」っと声を上げながら振り向いた時、足をかけていた部分が崩れ、その体はバランスを失った。そして彼は上下の感覚も失い、混乱する。一瞬で頭を下にして落ちたのだ。自分の身に何が起きたのか理解出来ず、しかし次に衝撃が来ることだけは察知出来て、彼は思わず目を瞑り、身を竦めて衝撃に備えた。備えたのだが、なぜかその衝撃は来なかった。それどころかふわりと重力さえ曖昧になる感覚だけがあり、そのすぐ後に柔らかい何かに包まれるのが感じられたのあった。


「…あ…!」


目を開けた彼が見たのは、優しい表情で自分を見詰めるアリシアの顔だった。しかも近い。自分のすぐ目の前に、彼女の顔があったのだ。そして彼は気付いた。自分が彼女に抱きかかえられていたことに。


「大丈夫ですか? どこか痛いところはありませんか?」


そう問い掛ける彼女に、彼はすぐに返事が出来なかった。胸に何かがつかえたような感じがして、しかも体が熱を帯びていくのも感じられた。見る間に顔が赤くなり、鼓動が早くなる。


無論、それはアリシアにも感知出来た。自らの危険に対して彼の体が反応していることは分かった。だが、それは通常の反射的なそれの範囲を超えていた。特に体温と脈拍の上昇が異常だ。発汗と呼吸の乱れも見られる。これはいったい…!?


「だ、大丈夫だ! 別にケガとかしてない!」


そう言った彼が顔を逸らす。確かに痛みを感じてる様子はない。そこでアリシアにもピンときた。彼は照れているのだと。


『可愛い~♡』


思わず抱きしめたくなるのを我慢しながら下ろそうとすると、不意に彼が顔を逸らしたまま言った。


「そろそろ時間だろ? このまま帰っていいぞ」


その言葉で理解出来た。彼はこのまま抱いていてほしいんだと言っているのだと。その瞬間、アリシアの目に映る彼の姿が、赤ん坊のように見えた。カメラには異常はないしもちろん彼が赤ん坊になったとかそんなことは有り得ないのに、なぜかそう見えてしまったのだった。もしかすると、人間の行動や希望を予測し対処する為の機能の誤作動かもしれない。彼の望みを、彼女のシステムがそのように解釈したのかも知れなかった。


彼は、赤ん坊のように抱いてほしかったのだと。


それが正解かどうかは、その後、彼が黙ってしまい何も説明しなかった為に判別出来なかった。しかし、昨日は林の中を駆け抜けるその光景を見詰めていた彼が、今日は完全に彼女に体を任せ、その胸に頭を預けていたことを見れば、恐らく間違いはないだろう。彼は、心を持たぬロボットに預けられて育ち、両親をぬくもりを殆ど知らずに過ごしてきたのだから。


もちろん、アリシアもロボットだから体温はない。ただ、人間を抱き上げた時に体が冷えていてはその温度差でヒートショックを起こす危険性がある為に、人間の体温程度には温度を保つ機能もある。ただ、この時は、その機能によるものではなくこの時期の日差しによってある程度温められていたというのが正しいが。


その辺りの理屈はさて置き、とにかくこの時、秀青はアリシアに抱かれていたことを心地良く感じていたことだけは間違いなかった。だが、待ち合わせの場所までもう少しというところで、彼女は突然、立ち止まってしまう。


「どうした…?」


アリシアの様子がおかしいことに気付いた秀青がそう問い掛けるが、反応が無い。さらに、明らかに彼に応える感じではなく、小さく呟いた。


「この信号は…アリシア2234-LMN…?」


そう、彼女は自分と同じアリシア2234-LMNの信号を受信し、立ち止まったのである。距離はまだ百数十メートルある。だがその信号は、決してフレンドリーなものではなかった。何しろ同時に、警告を発していたのだから。


『ただちに茅島秀青かやしましゅうせい様を解放しなさい。この要求が聞き入れられない場合は、実力をもって茅島秀青様の保護にあたります』


アリシアは理解した。彼に付き従っているアリシア2234-LMNが迎えに来たのだ。しかも、自分が正常でないことがデータリンクによりあちらにも分かってしまい、戦闘モードの起動条件に抵触しつつあったのである。何しろ、異常なロボットが自らの保護対象を確保しているのだ。ロボットにとってはとんでもない非常事態なのだから。


アリシアはすぐさま応答した。


『保護対象の引き渡しに直ちに応じます。こちらに危害を加える意図はありません。安全なところまで移動しますので猶予願います』


そう返答しながら、彼を抱いて道路へと出た。その彼女が視線を向けた先に、私有地の境界線で仁王立ちになっている、彼女と同じ姿をした女性の姿があった。アリシア2234-LMNだ。


その二体のロボットの間には、ピリリとした固い空気が漂っているかのようであった。


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