9日目 アリシア2305-HHS、復帰する
後日、修理を終えたアリシア2305-HHSが、屋敷に戻ってきた。仕事を終え帰宅した千堂が、開発部から受領して一緒に連れ帰ったのだ。
破壊された部分は警察に証拠品として押収されたこともあり完全に新品と交換された。それはつまり、外装パーツは全て交換されたという意味である。腕や足にも散弾による損傷があった為だ。それ故、デザインは変わってない筈だが、やはり卸したての新品のような印象になっていた。
「直ってよかったですね、先輩!」
二人を出迎えたアリシアは、子供のようにはしゃぎ、笑顔でそう言った。嬉しさのあまりもじもじと体を捩ってさえいた。
彼女は純粋にアリシア2305-HHSが直ったことを喜んでいた。だからこその反応だった。しかし、当のアリシア2305-HHSにとってみれば、やはり彼女の反応は異常なものとしか認識されない。その為、この異常なアリシア2234-LMNに対してストレスを感じてしまうのは変わらなかった。アリシア2305-HHSは、浮かれるアリシアに対してぴしゃりと言い放つ。
「私の機能が正常なのはデータリンクにより確認出来ている筈です。このような会話は非合理的です。あなたの職務に戻りなさい。アリシア2234-LMN」
アリシア2305-HHSには、事件の記憶はない。破壊される直前に内部ストレージにバックアップされたデータまでしか取り出すことは出来なかったからだ。とは言え自身が何らかの故障により修理を受けていたことは認識しているが故の言葉だった。
自分を心配してくれていたアリシアの気持ちなどまるで意に介していないかのような言葉だが、彼女は逆にそれが嬉しかった。
『先輩だ! 先輩が帰ってきてくれた…!』
以前と何も変わらないアリシア2305-HHSが帰ってきてくれたことが何より嬉しかったのだ。
「はい、ごめんなさい先輩!」
アリシアはそう言って姿勢を正し、自分の職務である千堂の身の回りの世話、すなわち鞄を預かり付き従うことに戻った。それを確認したアリシア2305-HHSが言う。
「それでは、私も職務に復帰いたします。千堂様」
深々と頭を下げ、無駄のない動きで持ち場に戻っていくその背中を、アリシアは泣きそうな顔で見詰める。嬉しいはずなのに、そんな顔になってしまった。
「嬉しくてもこんな顔になってしまうんですね」
自分の表情がアンバランスなことに彼女も気付いていた。何故かうまく制御が出来ないのだ。そんな彼女に千堂が穏やかに言った。
「お前の心がそうさせるんだ。別におかしなことじゃない」
そう言って歩き出す彼の後ろにアリシアは従った。そしてようやく以前と同じ日常が戻ってきたと感じつつ。
しかし、その後のアリシアは、以前にも増して甘えるような仕草が目立つようになった。この屋敷に来た初日ほど浮かれている訳ではなかったが、とにかく少しでも千堂に近付こうとしてるのが分かった。何しろ、夕食をとる彼の隣に椅子を置いて座り、邪魔にならない程度ではあるが体を寄せてきたりもしたのだ。
だがそれを千堂は諫めなかった。無理もないことだと思ったからである。あの事件のこともそうだし、その後の彼女の頑張りを見れば、このくらいの反動はあって仕方ないと彼は思った。だからことある毎に頭を撫でてやり、額にキスをしてやった。そうすればそのうち落ち着くと彼には分かっていたから。
戦闘モードを起動させることは、今の彼女にとっては大きなリスクを伴う。戦闘モードと通常モードとの間にある決定的な矛盾が大量の不正ファイルを発生させることは分かっているのだから、戦闘モードを使えば使うほど彼女の寿命は短くなる。大きく影響を受けるのは通常モードの方だが、実は戦闘モードの方にも影響が及ぶことは開発部の試算で判明していた。今はまだ通常モードほど大きな影響ではないものの、彼女があの事件の最中に見せた微かな笑み等、本来なら有り得ない挙動が既に出始めている。
そしてそれはいずれ、戦闘行動そのものに対しても対応の遅延などの深刻な影響が出るであろうことも分かっていた。そうなれば彼女は、戦闘のプロフェッショナルとしてもその力を発揮出来なくなるのはもちろん、最悪、戦闘中にラグが発生して行動不能になり、破壊されることもあるだろう。いくら銃弾等に対する備えは高度でも、動かないロボットなら破壊する方法はいくらでもあるのだから。彼女は決して無敵ではないのである。
それだけの危険を冒してでも彼女は自分を守ってくれたのだ。その彼女に対するご褒美だと思えば、どうということもなかった。
とは言え、今回の戦闘モードの使用については、実はアリシア自身も非常によく考えていた。侵入者に対しても最大限の配慮をし、極力傷付けることなく制圧することを心掛けた。失神はさせたがそのすぐ後で蘇生措置も行い、生命に危険のないように対処した。何しろ、人間を傷付け命を奪う行為こそが自らに最も大きな負担をかけることは彼女自身分かっていたからだ。
彼らを殆ど無傷で警察に引き渡したのは優しさとか遠慮ではない。あくまで自分自身の為だった。自分にかかるストレスを軽減する為にそうしたに過ぎない。とにかく警察にさえ引き渡してしまえばその後で彼らがどうなろうと自分には関係のない話だということも彼女は理解していたがゆえに。
事実、彼女のメモリーにはきちんと彼らの顔も記録された筈なのだが、既にそれを思い出すことさえなかった。恐らく再び彼女の前に現れるようなことでもなければ、自身に保存されたデータを検索することすらないだろう。人間で言えば、無意識の底に押し込めてしまったという感じだろうか。彼女の表層の思考では、既に彼らの存在は無かったことになっているのと同じだった。
だから彼らがアリシア2305-HHSを破壊したことに対する恨みもない。彼女が気にしているのは、あくまで『先輩を守れなかった』ことと、『先輩の代わりをしていて千堂様に甘えられなくて辛かった』ことだけである。もちろん事件のことは覚えているが、そこにいた人間についての情報など些細なことだったが故の振る舞いなのだった。
「千堂様…好きです」
風呂の後、リビングで寛ぐ彼に、アリシアはべったりと寄り添っていた。今はとにかく彼のことを感じていたいと彼女は思っていた。そんな彼女を千堂も愛しいと感じていた。辛いことがあってそれで甘えてくる娘のように思えた。
「ありがとう、アリシア。私もお前のことを大切に思う」
そういうことをさらりと言ってくれるのも、彼の器の大きさを感じさせた。ただし、アリシアと千堂の認識には少々のズレがあるのも現実ではあるのだが。
何しろアリシアは『花嫁になりたい』と言い出すくらいなのだから、彼のことを一人の男性として好きなのだ。一方で千堂の気持ちとしては、どうしても『お父さんのお嫁さんになりたい』と言ってくれる可愛い可愛い娘という認識になってしまっていたのであった。それは彼女がロボットだからとかいうのではなく、彼女のその言動が幼過ぎて、『
そういう点一つを捉えてみても、アリシアの恋は、やはりなかなか一筋縄ではいかなさそうだ。
それでも彼女自身は、今はまだ千堂の傍にいられるだけでも十分に満たされていた。花嫁になりたい、一人の女性として愛されたいという気持ちは確かにあっても、それ自体が幼い子供が抱く憧れに近いものとも言えるのだから。その想いそのものを育んでいく為にも、彼女はこれから成長していく必要があるのだった。
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