第16話 話を聞き終えた王女はろくでもないことを考えつく


テントの中で、アリシアが蒼い瞳を俺に向けて言った。


「では、お兄様は、わたしたちに勝ち目はないとおっしゃるのですね?」


「ゲームの知識を踏まえればそうなるな。ただ、この現実とゲームのあいだに食い違いが多いことも事実だ」


ノエルの言う通り、「やってみなければわからない」部分もたしかにある。


もっとも、前回俺が星見の尖塔にたどり着いたときの進行では、アリシアは最終的にエスメラルダに殺されていた。

また、確定ではないが、その時点までにノエルは戦死していたと考えるのが自然だろう。


「『げーむ』の中では、『ぷれいやー』はどのようにしてエスメラルダを倒すのですか?」


「わかりやすい攻略法はなかったみたいだ。つまり、十分に地力をつけてないと勝てない相手だってことだ」


「エスメラルダの固有スキルはわかりますか?」


「『猛禽もうきんの眼』だな。睨みつけた相手に恐怖を与える力だ。この恐怖は時間とともに蓄積し、最後には恐慌状態に陥ってしまう。まあ、恐慌状態になるまでには十分じゅっぷん以上かかるみたいだけどな」


「なんだ、それだけか?」


拍子抜けしたようにノエルが言ってくる。


「恐怖は厄介だぞ。ゲーム内では身体の反応が鈍ったり、プレイヤーの行動がキャンセルされたりする。視野も狭くなって、動体視力まで下がってしまう」


ついでに言えば、それはあくまでもゲーム内での実装だ。

この「現実」において、「恐怖」なる状態異常がどのような影響を及ぼすかは読みきれない。


「だが、それだけなら、巨大な魔物と戦う場合と同じことだ。エスメラルダには、もうひとつ別の力がある」


「固有スキルが二つあると言うのですか?」


「いや、さすがにそれはない。エスメラルダのもうひとつの力は、右目にはまった魔眼だよ。自分の目をえぐりだし、高位魔族の目を移植したものだ」


「なっ⋯⋯!? そんなことが可能なのか!?」


「魔法制御に優れたエルフの秘術と、魔眼そのもののポテンシャルがあわさって可能になったことらしい。どうやって高位魔族の目なんか手に入れたのかは謎だけどな」


「その『魔眼』には何ができるのでしょうか?」


「一瞬先の動きを『視る』ことができるらしい。エスメラルダ自身は『未来視の魔眼』だと言っている」


ただでさえ武技、魔術ともに一級品のエスメラルダが、プレイヤーの動きを先読みして攻撃してくるのだ。

中盤の山どころか、もし終盤に登場したとしても相当に厄介な相手である。


「未来が見えるというのか!?」


「それは⋯⋯どうなんだろうな。ゲーム内で、まだプレイヤーが起こしていない行動を『読む』なんてことはできないはずだ。Carnageプレイヤーの中でもその点は疑問が持たれていたらしい。『未来が視える』っていうのはエスメラルダの自己申告なわけだし」


そこまで説明すると、脳裏に複雑きわまりない知識が溢れ出してきた。


エスメラルダの魔眼の正体を暴くための、さまざまな仮説と厖大な検証作業の記憶。


エスメラルダの魔眼を、地球のゲーム開発者はいかにしてゲームに実装したのか?


地球の技術用語が入り混じった知識が脳裏を埋め尽くす感覚は、聞いたことのない外国語を同時に何人もから浴びせられたようなものだった。


「お兄様!? お顔色が⋯⋯!」


「⋯⋯ん、ああ。大丈夫だ。ゲーム知識が目覚めてからはずっとこんなもんだからな。いい加減慣れてきた。

 何か思い出せそうだったんだが、情報の整理に時間がかかるらしい。それとも、まだ情報が足りないのかもな」


「情報、ですか⋯⋯」


アリシアが顎に手を当てて考え込む。


そのあいだに、ノエルが片手を小さく上げて聞いてくる。


「ユリウス王子。いいでしょうか?」


「なんだ?」


「ユリウス王子は、『せーぶぽいんと』のおかげで何度死んでも過去の状況からやり直せる。そこまではなんとか理解できました」


「ああ、その理解で合ってるよ」


セーブスロットだの引き継ぎバグだの、細かいことを言い出せばキリがない。

そこだけわかってくれれば十分だ。


「ならば、王子は敵将にも繰り返し挑むチャンスがあるということになるのでは? 戦いの記憶は王子には残り、エスメラルダには残らない。これを利用して王子が敵将と戦い続ければ、いつかは勝てるのではないでしょうか?」


「⋯⋯それは俺も考えたよ」


たしかに、「いつかは」勝てるかもしれない。


だが、それは一体いつになるのか?


Carnageのプレイヤーがエスメラルダと戦うのは、ルートにもよるが、プレイ時間が200時間を超えた頃だという。


じゃあ、俺も200時間エスメラルダと戦い続ければ勝てるようになるのか? というと、そうとも言い切れない。


「プレイヤーキャラクターは、いずれも英雄か、すくなくとも英雄になりうる素質を持った人物だ。それぞれ、スキルの習得しやすさにも補正がかかってる。冒険の中で強力な装備を整えてもいる。もちろん、全員が強力な固有スキルの持ち主だ。

 俺にあるのはこの国の王子という身分だけで、戦うための才能が根本的に欠けている」


「それでも、挑み続けていればいつかは⋯⋯」


「⋯⋯まあな。最悪は、それしかない」


スキル「自爆」も覚えたから、エスメラルダの拷問を恐れる心配はなくなった。


ただ、エスメラルダに勝てるようになるまで戦い続けるとなると、俺の場合、一体何回エスメラルダに挑むことになるかわからない。


「お待ちなさい、ノエル。その方針を取った場合に、お兄様がどれほど大変な思いをされるかわかっているのですか?」


「し、しかし⋯⋯」


ノエルはまだ不満そうだ。


たしかに、ノエルが俺の立場ならば、ただがむしゃらにエスメラルダに挑み続けることだろう。


ノエルの才能があれば、そのうちエスメラルダから勝ちをもぎ取れる機会があるかもしれない。


そして、一度でも勝てればそれでいいのだ。


負けた場合にはゲームオーバーになって戦い自体がなかったことになり、勝った場合には新しいセーブデータを作ることで勝利を「史実」として確定できる。


考えようによっては、エスメラルダが気の毒に思えてくるほどにこっちに有利な条件だ。


「お兄様。参考までにお聞かせください。わたしと合流されるまでに、お兄様は何度『げーむおーばー』になったのでしょうか?」


その質問に、ノエルがハッとして俺を見る。


「⋯⋯そうだな。全部数えてたわけじゃないが、そろそろ100の大台に乗るんじゃないか?」


「なっ……ひ、百!?」


ノエルが目を見開いてのけぞった。


「お兄様は既に100回も殺されたというのですか。そうまでして、わたしのことを⋯⋯」


「気にしないでくれ。俺が勝手にやったことだ」


「エスメラルダとの対決は最後の回だけで、他の回はべつの死因なのですよね?」


「そうだな。敵兵に見つかって射殺されたり、尖塔の壁をよじ登ろうとして滑落したり⋯⋯」


「そんな恐ろしい目に遭われてきたのですか……」


「もう慣れたから大丈夫だ」


アリシアにこれ以上気を遣わせないために、俺はなるべく軽く聞こえるようにそう言った。


エスメラルダに拷問されたことは黙っておく。

心配させるだけだからな。


「お兄様が大丈夫だと言う時は、だいたい何か隠しごとをされてる時なのですが⋯⋯」


「そ、そんなことはないぞ。死ぬのは思ったほど痛くなかったからな」


「もう、お兄様はすぐそうやって⋯⋯。ごめんなさい⋯⋯と言っても怒られますね。その、ありがとうございます、お兄様。本当に⋯⋯本当に」


言いながら、アリシアの目に涙が浮かぶ。


「ま、待てって。俺は自分にできることをやっただけだ。感謝は俺が無事にアリシアを助け出せてからにしてくれ」


「そう、ですね。これ以上はかえってお兄様にご迷惑です。

 それで、聞かせていただきたいのですが、これまでに100回以上『げーむおーばー』になったことを踏まえると、お兄様がエスメラルダに勝てるようになるのに、何回くらいの挑戦が必要そうでしょうか?」


「⋯⋯そこなんだよな」


正直言って、見当もつかない。


「なにもバカ正直に正面から勝つ必要はない。

 百本中一本勝てるようになれれば十分だ。その貴重な一本を取った後でセーブしてしまえば、その結果が確定するんだからな。

 だが、百回に一回勝てるレベルになるだけでも、早くて数百時間、悪くすれば数千時間かかると思う。最悪の場合、俺の才能の限界が来て、何万時間やってもそのレベルに達せないという恐れもある」


セーブ&ロードで「現実」の時間は進まないが、俺の主観ではそれだけの時間を「生きる」ことになる。

来る日も来る日もエスメラルダに挑み続け、そのたびに殺され続ける人生だ。


「問題は、孤独だよな。そりゃ、グレゴール兄さんやアリシアと合流することはできるけど、毎度最初から状況説明のやり直しだ。そんな『生活』を送って擦り切れないでいられる自信は正直ない。それとも、ノエルにならできそうか?」


「わ、わたしならば⋯⋯アリシア様のために⋯⋯」


さすがのノエルも言葉尻を濁した。


「あの、ですね。わたしとしては、お兄様がもしそれをやると言ったところで、やめてくださいとお願いするつもりです」


「でも、それしかないならやろうと思ってるぞ」


「お兄様の主観的な苦痛が酷すぎる、という最大の問題点を脇に置いたとしてもですね、そもそも解決策として力任せすぎるような気がします。

 今回の敵兵の目的は、トラキリア王城を奇襲して王族を皆殺しにすることのようですが、いくら精鋭とは言え、数が少なすぎるように思います。最終的に魔族に罪を着せる予定なのですから、いずれにせよどこかの時点で撤収するはずです」


「ああ、それはアリシアも言ってたな」


「えっ、わたし⋯⋯ですか?」


「すまん。今のアリシアじゃなくて、エスメラルダに殺された回のアリシアが、エスメラルダ相手にそのことを聞いてたんだ」


「なるほど、やはり同じことを考えるものなのですね」


アリシアがうなずく。


「お父様とお母様の仇を討ちたくはありますが、そのためにお兄様に無間地獄のような真似をさせるわけにはいきません。こちらの安全を確保しつつ、早めに、あるいは予定通りに撤収してもらうのが最善なのではないでしょうか?」


「そういうことか⋯⋯」


俺はエスメラルダをどうやって排除するかとばかり考えていた。

あるいは、エスメラルダを放置しつつ、いかにして生存者を城から逃すか、だな。


「しかし、アリシア様。現状、敵には余裕がございます。ユリウス王子のお話では、敵は精鋭部隊で、王城の兵力では太刀打ちできぬということでした。マクシミリアン殿下が兵をまとめて王城の奪還に動くまでにはかなりの時間を要するはずです」


「そうですね。残念ながら、すぐに敵を撤退に追い込めるような方法は思いつきません。そもそも、敵の情報が少なすぎます。エスメラルダが誰からどのような命令を受けていて、その期限はいつまでなのか。そうした情報をなんとかして引き出したいところです」


「だが、どうやって? 単純にエスメラルダを倒すより大変なんじゃないか?」


「そうでもありません。直接会って、話す機会があればいいだけですから」


アリシアがそう言ってにこりと微笑む。


「⋯⋯またろくでもないことを考えついたんじゃないだろうな⋯⋯」


アリシアが天使のような微笑みを浮かべたときには、たいてい腹の内でろくでもないことを考えている。

甘党のグレゴール兄さんの砂糖壺の中身を塩にすり替えておいたら、紅茶を飲むときにどんな反応をするだろうか⋯⋯とかな。


「そんなことありませんよぉ」


アリシアは、にこにこと笑いながら、こともなげにこう言った。



「⋯⋯降伏しましょう、敵に」

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