第12話 王子は隠れて機会をうかがう

「ようやくかよ……」


俺は星見の尖塔の屋上に這い登ると、その場にへたり込んでつぶやいた。


結局、俺はロッククライミングに21回も失敗した。


そもそも、なんの装備もなしに塔の壁をよじ登ろうというのが無理なのだ。


地球には反り立った岸壁を素手でよじ登るスポーツがあるようだが、俺にそうした技術があるはずもない。


ゲーム知識のもとになったプレイヤーにも、ロッククライミングの趣味はなかったようだ。


だが、Carnageにはスキルがある。


ーー「登攀とうはん」。


崖を登り続けることで得られる基礎的なアクションスキルである。


アクションスキルとは、その名の通りプレイヤーの行動を補助するスキルのことだ。


攻撃や支援、回復のためのバトルスキルとは異なり、それ自体が直接戦闘の役に立つわけではない。


しかし、アクションスキルを得ることで、プレイヤーの行動範囲は格段に広がる。


Carnageの世界には、特定のアクションスキルがないとたどり着けない場所も数多い。


梯子や階段のない建物の屋上にのぼるには、「登攀」に代表されるアクションスキルが必要だ。


魔法で空を飛ぶ、重力を軽くしてジャンプする、近距離転移のポータルを設置する、といった方法もあるが、いずれもかなり高度な魔法である。


その点、「登攀」はほとんど誰にでも習得できて、その条件も厳しくない。


ゲーム内では、プレイヤーが真っ先に覚えるスキルの一つだったらしい。


敵と戦う上で高所を取るのは基本中の基本だ。


頭の悪い魔物が相手なら、安全な場所から一方的に攻撃できることもある。


もともと、塔の壁を登ると決めた時点で、この「登攀」スキルのことは当てにしていた。


「登攀」があると、安全な手がかり・足がかりと、そうでない場所とが感覚でわかる。

手がかりをグリップする力も強くなるようだ。


そんなスキルの効果に、死んで覚えた崩れやすい箇所やちぎれやすい蔦などを加味しつつ、落下への恐怖と戦いながら登りきった。


最初は、こんなことを娯楽にしている地球人の感性を疑ったが、登りきってみると、たしかにすさまじい達成感があった。


自分の力だけで危険と闘い、重力に打ち克って目標地点に到達した⋯⋯という達成感だ。


「でも、そんなのに浸ってる暇はねえ」


俺は星見の尖塔の屋上を、足音を立てないようにそっと歩きながら、「気配察知」で階下の気配を探っていく。


「⋯⋯いた!」


すぐに、俺は馴染みのある気配を発見した。


敵の気配を捉えるためのスキルである「気配察知」だが、見知った人間の気配なら、相手が誰かまで識別できる。


アリシアは、予想どおり「星見の間」にいるようだ。


星見の間には、もうひとつ気配があった。


その気配とアリシアは、張り詰めた空気を漂わせながら、真正面から向き合っている。


星見の間は、その名の通り、星を見るための一室だ。


星見の尖塔の屋上はその中央が吹き抜けになっており、その下に星見の間が設けられている。


地球の天文台と同じように、エルフの魔導具だと言い伝えられる大きな観測鏡が置かれていて、占星術士たちが日夜星を詠むのに使っていた。


アリシアは占星術士ではないが、星を見ていると気分が落ち着くといって、「運命の鼓動」がとくに大きかった時などには、よくこの星見の間にこもっていた。


吹き抜けからは、かすかに声が聴こえてくる。


アリシアの声と、もう一人、どうやら女性らしい声が、風に紛れて途切れ途切れに届く。


アリシアは、緊張しながらも落ち着いた声で。

その相手は、威嚇的な刺々しい声で、それぞれ何かを言っている。


「『気配察知』じゃ話し声は拾えないな」


ただでさえ、屋上は風が吹きすさび、音を聴きとることが難しい。


俺が足音を殺してなんとか吹き抜けのほうに近づこうとしていると、不意に足の運びが軽くなる。


「やっと覚えたか」


ニューロリンクスキル「忍び足」。

条件は既に満たしてるはずなのになかなか覚えなくてやきもきしていたのだ。


俺は「忍び足」で足音を殺して吹き抜けの縁ギリギリに近づいた。


そこでようやく、二人の話し声が聞き取れるようになった。


「いい加減あきらめたらどうだ? トラキリアは滅んだ。おまえが生き延びるにはわたしに従うほかはない」


「お断りします。わたしにも守るべき矜恃があります」


俺は縁から慎重に顔を出し、星見の間の様子を覗き見る。


最初のセリフを口にしたのは、黒いフードをかぶった女だった。


魔獣の革でできたぴったりとしたボディスーツに身を包んでいる。


腰のベルトには一振りの剣が吊られていた。


声からして二十代後半から三十台前半といったところだろう。


背は女性としてはかなり高い。

他の敵兵と同じく、顔と身体を兜と鎧で隠している。


他の敵兵と違うのは、鎧兜に若干の装飾があることと、鎧の形状が女性の身体に合わせたものになってることだ。


肌の色は、この世界において種族を見分ける大きな手がかりのひとつだが、女は地肌をほとんど隠している。

わずかに白い口元と手先が見えるだけだ。

おそらくは軍人なのに、所属章らしきものも付けていない。


この女が意図的に自分の種族的な特徴を隠してることはあきらかだ。


俺は、謁見の間に転がっていた魔族の死体を思い出す。


兄さんはあれを謀略だと看破した。

人間と魔族を争わせるための第三者による陰謀だと。


しかし、魔族でないなら、この襲撃を仕組んだのは誰なのか?


俺は気取られないように気をつけながら、謎の女に目を向ける。


スキルで「気配」なんてものが察知できる世界だ。

ちょっと視線を向けただけですぐに気づかれるような恐れもある。


謎の女がアリシアが再び口を開いた。


「意地を張ってどうなるというのだ? どうせ最後にはうなずくのだ。素直に従っておいたほうが身のためだぞ」


その冷たく威圧的な声に、かすかに聞き覚えがあるような気がした。


こんな女性と話したことはないはずだが⋯⋯?


そもそも王族は、人間以外の種族と話す機会自体が少ない。


直接会うだけでも危険だと思われているからだ。


それほどまでに、この世界での種族間の不信は根深いのだ。


「何度言われても同じことです。用件がそれだけでしたらお引き取りください」


敵の指揮官らしき女に対峙しているのは、俺の妹であるアリシアだ。


白銀色のつややかな長髪を肩にかけ、大きめの蒼い瞳を、臆することなく敵の指揮官に向けている。


母である王妃によく似た、整った中にもあどけなさの残る美貌の持ち主だ。


背はやや低いほうで、ヒールの高い具足を履いた女性将校とは頭二つ分くらい背が違う。


上から見下ろすように傲岸な視線を送る将校に対し、アリシアはやや怯みながらも、決して目を逸らさない。


「ククッ、お引き取りくださいと来たか。いいな、実にいい。なんともわたし好みの娘だ。だからこそ……惜しいな」


アリシアの視線を跳ね除けながら、女将校は舌舐めずりしながらそう言った。


「な、何を言っているのですか? 名乗りもせず、顔を見せもしない相手に、従うも従わないもありません。蛮族に下げる頭など、トラキリアの王族にはありません」


「いいねえ、その怯えながらも王族としての誇りを失うまいとする気高さ。だが、知っているか? 誇りというものは穢すためにある。心というのは折るためのものだ」


「……邪悪な考えですね」


「ふっ、余裕があれば生捕りにして念入りに拷問してやりたいところだったんだがな。もったいない話だ。そもそもこんな謀略自体、わたしの趣味ではないのだが」


「謀略⋯⋯? 何を言っているのです? あなたたちの目的はなんなのですか? あなたたちがいくら精鋭で、トラキリアの王城を落としたとしても、それだけではまだこの国は滅びません。巡察中のマクシミリアン兄さんが兵をまとめて王城を包囲すれば、あなたたちに勝ち目はないはずです」


アリシアの言うことはそのとおりだ。


ここに来るまでに遭遇した数から考えて、敵兵の数はかなり少ない。


多くて二百。下手をすれば百を割るだろう。


もちろん、地球とは違ってスキルの存在する世界だから、文字通り一騎当千の力を持つものもいる。


だが、今回の敵兵を見る限りでは、一人で千人を相手取るような英雄クラスのやつはいなかった。


Carnage風にいえば、今回の敵兵は、各種族のエリート兵に相当する強さだと思う。


Carnageのゲーム知識によると、エリート兵は同種族の一般兵の3〜5倍程度の実力を持つという。


もし目の前にいる女将校が今回の奇襲部隊の指揮官なら、エリート兵を率いる将校クラス以上の実力者ということになる。

その戦力は、エリート兵の3〜10倍にも達するらしい。


さらに、将校クラス以上のNPCの中には、シナリオ上の役割を担わされた「ユニークキャラクター」が存在する。


その戦闘力は、多くの場合一般将校を上回る。


しかも、ユニークキャラクターには固有スキルを持つものも多い。


目の前にいるアリシアも、ゲーム内ではユニークキャラクターの一人だった。


もっとも、アリシアが「一般兵より強いエリート兵より強い一般将校」よりも強いかと言うと微妙だろう。


強力な治癒魔法が使え、固有スキル「運命の鼓動」がある点では、そのくらいの希少価値はあるはずだが、戦闘能力だけを見れば、トラキリアの一般兵に普通に負ける。


ゲーム知識にはないのだが、俺の長兄マクシミリアンは、実力的にはユニークキャラクターに該当するはずだ。

グレゴール兄さんも、ゲーム内に登場していたらまずユニークキャラクターだったろう。


それに比べると俺は、固有スキルを持たないNPC扱いだったとしてもおかしくない。


まあ、「セーブポイントが見える」ようになったことが俺の覚醒した固有スキルなのかもしれないが……。


もちろん、ゲーム知識の中に、「セーブポイントが見えるNPC」なんてものは存在しない。


当然だ。

セーブをするのはあくまでもゲームのプレイヤーだ。

NPCが勝手にデータをセーブするゲームなんてありえない。


実際、この世界ではセーブポイントなんてものは知られてない。


ともあれ、俺は一般兵に敵わない程度の戦闘力しかないし、アリシアも治癒魔法を除けば同じである。


対して、あの女将校は、おそらくはユニークキャラクターだ。

さっき声に聞き覚えがあったのは、王子としての俺の「聞き覚え」ではなく、ゲーム知識のもととなったプレイヤーの「聞き覚え」だったのだろう。


それが誰の声だったかをさっきから思い出そうとしてるのだが、


「⋯⋯くそっ、思い出せないな」


「ゲーム知識のもととなったプレイヤーの記憶」は、通常の「ゲーム知識」(スキルの習得方法やセーブポイントの位置など)と比べると、はるかにぼんやりしてるのだ。


「ここから声を聞いてるだけじゃ厳しそうだ」


あの女将校の顔を間近で見ることができれば、記憶が蘇るかもしれない。


だがもちろん、そんな状況になれば、次の瞬間には殺されてる。


まあ、殺されてもロードすればいいだけなのだが、わざわざ痛い思いをすることはない。


女将校が、アリシアの疑問に答えて言う。


「たしかに、おまえの言う通りだ。精鋭とはいえ寡兵では、この城を守り抜くことは不可能だ。だが、もともと籠城するつもりなどないのでね」


「⋯⋯どういうことです?」


アリシアが食い下がる。


アリシアは、たぶん時間を稼ごうとしているのだろう。


王族の誰かが脱出に成功し、近辺で兵をまとめて王城を取り戻そうとする可能性はまだあった。


王が脱出できれば王が、それがダメでもグレゴール兄さんが。


それすら無理でも、遠くにいるとはいえ、マクシミリアン兄さんは確実に無事だ。


⋯⋯一応、大穴として、第三王子ユリウスという人物もいる。


アリシアが、この女から話を聞き出してくれるのはありがたい。


アリシア自身は知らないことだが、この場でアリシアが殺されることはありえない。


Carnageのシナリオに唯一登場するトラキリアの王族はアリシアで、今から一年後に魔族の虜囚として生きていることが、ゲームの知識からわかってる。


だからこそ、俺もすぐには飛び出さず、女将校がアリシアから離れる機会をうかがってるのだ。


女将校をなんとか討ちたい気持ちはあるが、俺はもちろん、グレゴール兄さんでも荷の重い相手だろう。


だが、強いからといってまったく隙がないわけじゃない。


食事やトイレ、睡眠のためにはこの場を離れるわけだから、そのタイミングを見計らってなんとかアリシアを連れ出せばいいだけだ。


タイミングを見計らうのには「気配察知」のスキルがある。

もしそれでも難しければ、セーブ&ロードでいろんなパターンを調べればいい。


アリシアを連れてここから脱出できるか?

難しいところだが、これも試行錯誤で解決できるだろう。


なにも、アリシアを「城から」連れ出す必要はない。

最寄りのセーブポイントにタッチダウンを決めさえすれば、ファストトラベルで別のセーブポイントに逃げられる。

具体的には「地下隠し通路」の北か西に出て、そのまま洞窟経由で逃げればいい。


途中でグレゴール兄さんを回収する必要があるが、それこそセーブ&ロードで問題ない。

兄さんには城内のセーブポイントを教えてあるから、そのどれかの近くに隠れてるだろう。


もし見つからなかったらアリシアと先に脱出してほしいと、兄さんからは言われている。

リスのままなら身を隠すのには困らないので、無理に合流しようとするよりも隠れていたほうが安全だ。


その場合ですら、外でセーブポイントを見つければ、いつでもファストトラベルで城内に戻ってくることができる。


だから、今大事なのは、アリシアが引き出してくれる敵兵の情報をきっちりと覚えておくことだ。


この先死亡することがあったとしても、その情報は俺の頭の中には残るわけだからな。


と、そんなことを考えていたので、俺は星見の間で起こったことを見逃した。



「フン……これ以上姑息な時間稼ぎに付き合っていられるか。来る気がないなら――ここで死ね」



その声に、俺は星見の間へと目を戻す。


その視界に飛び込んできたのはーー



回転して宙を舞う、アリシアの首だった。

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