ススキイロ
nanairo
第1話 回想
色々なことがあり過ぎて消化できない。さらっとこなしている様に見えるかも知れないが、常に心と身体はギリギリだ。
周りが見渡せず、さらには目の前の容易な事柄さえも理解し難いから大変だ。何となく空気が重く、青空だというのに、低気圧のど真ん中。絡みつく湿気とグレーな景色に囚われる。思考を切り替えなければならないんだ。そうでもしないと涙が頬を滑り落ちてしまうかもしれない。
だから、考えるな。他に思考を向けろ。
夕暮れ時、夏の終わりはまだ明かるい。二つの高等学校が北口と南口にそれぞれ1つある駅。そこの北口側に勤め先があるのだが、まさか北口にある高校が母校で、その隣りに会社の支社があるとは転勤が決まるまで全く知らなかった。近くにあるだろうことはもちろん分かっていたのだが、その土地一帯が区画整理により昔の面影はなくなっていた。
僕が通学した当時の校舎は、現在の校舎から東へ約2キロ程先の薬師堂神社の道路を挟んで向かい側にあった。聞いたところによると10年程前、学校の改築工事をしていたら土器やら勾玉やらがでてきたそうだ。そんなことから工事が中断となり、直ぐに県が発掘調査をすることとなり、当初の計画よりも3年程遅れた。
だが、県が新たな土地や資金を援助してくれるという運びとなったようで結果的には学校側としては良かったのかもしれない。
そして、やっとの思いで2年前の4月から新校舎での学園ライフのスタートとなった。
新校舎はコの字型をした白いタイル張りの4階建で芝生が敷き詰められた中庭がある。校門から入ってすぐ左側には礼拝堂があり、幸いにも礼拝堂のステンドグラスとパイプオルガンは昔のままと聞いた。さらには制服も当時のままのため、僕にとってはなんとなく母校としての懐かしさは繋ぎ止めることが出来た。中高一貫で6年間も通った学校だから思い入れは強い。そして何より、あの6年間が今の自分の基盤やそして繋がりになっているのだから。
「すみません」
ハリのある大きな声。2人の高校生が駆け込み乗車をしてきた。
「ギリギリやったなぁ」
「ホンマや」
2人は満面の笑みだ。
夏休みの部活や塾帰りなのか、駅前のコンビニでよく見かける賑やかな男子高校生も、決まってこの時間この車両に乗ってくるようだ。賑やかとはいえ何故か然程気にならなかった。むしろ、今の自分にとって学生の会話は現実逃避すらできるのだ。
出入口近くの長座席に座る僕の横で2人は少しだけ小さな声で話し出した。
「ススキの季節やな」
「そろそろかぁ。まあ、噂やけどなんやワクワクするやん。願いがかなうグリーンの少女さんやろ。会えたらラッキーやんなぁ。なんやこう言う話しはおもろいからネタとしてでもええから会いに行こうや」
「お前、そんなええ加減やとヤバいやろ。バカにすると、願い事が絶対かなわんくなるらしい」
「そうなん。なら真剣に願い事するわ。内容は言えへんけどな。もう、だいたい決めてんねん。願いごと」
「なんやねん。おしえろや。やっぱあれか?」
「違うわ。そんなん、告るとか小さい事ちゃうねん。もっと、夢あることや」
「なんやねん、夢って。アーティストになる的なかぁ」
「そやな。アーティストもえーなぁ。一緒にやるかぁ」
「何のアーティストやねん」
「まあ、シンガーソングライターとかええやろ」
「なんやねんそれ初めて聞いたわ。まあ、ええわ。とにかく、ススキいかなぁあかんな」
2人の話しはしばらくテンポ良く続いたのだが、学生だったころ噂になっていたことが、まさか今だに続いているという事実に驚いた。そして、瞬く間に不思議な体験をした記憶が蘇ってきたため、即座に納得もしてしまった。
30年ほど前の話しだ。高校へ通っていた頃、中学入学当初から連んでいる2人の親友がいた。生物部という名ばかりのゆるい部活が一緒だったため、毎日、行動を共にすることが常であった。
祐司は明るく、クラスでもムードメーカーの学級委員長。湊は身体に弱いところがあったが、誰が見てもおそらくは見惚れるほどのイケメンだ。高3の学園祭で第1回王子様コンテストがあり、ナンバー1に選ばれたほどだ。近めの女子学生はよく学校まで見に来たし、街中へ買い物に行けば、スカウトを何度もされていたほどだ。そして自分はというと、見た目も性格もパッとしないもんだから、勉強だけは負けまいという意識が常にどこかにあったのだろう。成績だけは良好だった。
帰り道、3人で海辺のススキへ向かうことにした。もちろん、願いを叶えてくれると言う噂を聞きつけてのことだが、ちょっとした興味本位と暇つぶしだけだったように思う。
名目上は生物部の「ススキと共存する生き物研究」ということにした。
海辺はこの季節、霧に覆い尽くされる時がある。ススキと相まって、少し怖さも感じてしまう景色だが、その状況こそが少女に会う可能性が高いとも言われていた。そして、まさにその日でもあった。
線路の下にある昼間でも暗い地下道を通り、さらにひと1人が歩ける幅の小道を20メール程抜けると、一面のススキが見える。
「なんだか、気持ちわるいなぁ。この霧の深さ半端ないんとちゃう。絶対離れんといてな」
祐司がススキをかき分けながら先頭を進む。満潮の時でも波打ち際から100メートル程ある砂浜の3分の1がススキになっている。要するに、ススキを抜けると完全な砂浜で、その先は海になる。
「もう、砂浜に出るぞ」
「だな。砂浜からススキを見渡そう」
深い霧に藍色と鼠色の海が遠くに覗き、周囲を囲むススキは白いモヤの中で頬や首にあたり、わずらわしく感じた。
砂浜に出ると急に湊が咳き込みだした。
「湊、大丈夫か」
大丈夫と手を上げて、前を指差した。
「わかった。急ごう」
ススキから離れ、波打ち際の近くまできた。不気味な景色の中ではあるが、湊の咳き込みが酷く、グリーンの少女どころではない。
「水飲むか」
「ありがとう」
湊が水を少し飲んだ後、カバンの中からゴソゴソと薬を取り出し、呼吸を整えてから吸入をした。その後、ペットボトルの水で何度かうがいをする様子を二人して見守った。
「最近、落ち着いてたのになぁ」
湊がつぶやいた。
「そやな。でも、落ち着いてきたやん。準備ええし、さすがやな」
「そうや。さすがや。でも、まあ少し休もうか」
「ごめん。落ち着き過ぎてて、油断してたかもしれん」
はにかみながら笑顔で応えてくれたが、見るからにまだしんどそうだ。
湊を真ん中にして海を眺めるように砂浜へ座った。霧深い静かな海は、映像で観たことがある「あの世」のようだったが、怖さなんて吹き飛んでいた。
「大丈夫か湊。しんどいやろ。落ち着いたら帰ろな」
「ほんま大丈夫。せっかく楽しむところ。気を使わせて楽しさ半減させてしもうた」
祐司と目を合わせ、湊の背中に2人で手を当てた。
「別に、噂の何かに会いに来たと言えばそうやけど、多分、3人で今日の今の時間をいつもと違う感じで共有したかっただけやから。なあ、祐司」
「そうや。3人で行動できたし、いいんちゃう。深く考えなくともええ。ススキと共存の生物研究はただの名目やろ、何となくの寄り道やしな」
「ごめん。ほんまありがとう」
静かな砂の上へ力ない言葉が落ちた
いつの間にか霧もなくなり、少しだけ雲の切れ間から夕陽が海に沈みかけているのが見えてきた。30分程座っていただろうか。
湊の呼吸が落ち着いてきた。
「ありがとう。もう大丈夫だよ。帰ろっか。」
言葉に張りが出た。
「大丈夫か。無理するなよ」
祐司はしゃがんで背を向け、リュックを前に抱えた。
「いつでも、おぶってやるぞ」
「大丈夫。でもありがとう。」
湊は立ち上がり砂を払った。海を真っ直ぐに見つめてから、もう一度丁寧に「ありがとう」と言ってくれた。もう少し軽くてもいいのだが、そこが湊の長所で尊敬できる中の一つでもあった。
沈みゆく太陽は海にオレンジ色の輝く道を描き、砂浜まで続いている。何かを導くかのようだ。
そして眺めながら、ゆっくりと後ろを振り向くと、太陽に照らされた小学2年生ぐらいの女の子が立っていた。
「うわ、でた」
僕の声に2人も反応し振り向くと、祐司は驚き過ぎて尻もちをついてしまった。その後、3人とも言葉が出てこない。
一瞬の間の後、少女は話しかけてきた。
「お兄さんたち何しているの。私は散歩。海辺を歩いているの。昨日は嵐だったでしょ、だからキレイな貝やガラスが打ち上げられるの。流木もステキなのよ」
ただの女の子なのかはわからない。が、ピンクのワンピースを纏ったその少女から怖さは全く感じない。
「女の子が1人でこんな日が暮れそうな海辺を歩いとったら危ないやんか。早く帰った方がええよ」
湊が話しかけた。
「大丈夫。それに、貝やガラスがなくなっちゃうもの。お兄さんたちも拾いにきたの」
祐司が返答した。
「ちゃうねん。ちょっと用事があってな」
「用事って何」
「大したことじゃないんや。願い事を叶えてくれる噂を聞いてな、帰りに少し寄り道をしてしもうた。まあ、オレ達もすぐ帰るから」
夕陽に照らされた少女は少し笑みを浮かべながら呟くように話し出した。
「知ってるよ。でも教えたくないな。でも...」
少女はじっと僕らを見た後、湊を指差して
「あなたには教えあげる。3人の中で1番タイプだから」
なんとも上からの大人びた言い方と、小さな子供でも一瞬で湊の王子様感がわかるのかと女心に感心しつつも驚いた。といっても、「エッ」ってほどだが。
湊は戸惑いながらも、僕らと目で合図し合い、前へ二歩程歩き、しゃがんで耳をかした。
少女と湊には、夕陽があたりキラキラと輝いていた。ほんの一時ではあったが、とにかく美しいと感じてしまった。
話しを一通り聞いたからだろうか、次に湊が少女の耳に何かを囁いている。
ほんの3、4分だったと思うが、日が沈み薄暗くなってしまった。
すると、直ぐに少女はバイバイと手を振りながら走りだした。
「気いつけなあ、あかんで」
湊も手を振った。
少女は振り返り、見えにくいがおそらく笑顔で指差した。
「ありがとう。近いから大丈夫。ウチはあそこだから」
走りながら指差す先は、一面のススキ。ということはその先に家があるのだろうと、当時の自分たちは受け止めていた。
「湊、何を話してたんだ」
何やら、考えてる様子ではあったが、すぐに答えてくれた。
「わたしが叶えてあげるやって。かわいいなあ」
「まじか。でっ、なんて言ったん」
「2人とずっと仲間でいられたらええよなって」
「それだけか」
「それだけやな」
祐司と2人で顔を合わせ、湊の優しさを感心し、なんとももったいないと笑ってしまった。ただ、祐司と僕も湊と同じ気持ちだと感じていた。
真っ暗なススキの海辺に電車の光があたり、警笛の音と同時にススキが金色に輝いた。何故か心臓がギュッとした。そしてその感覚は一生忘れないだろうと確信したのを覚えている。
ススキイロ nanairo @041400
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