第13.5話 名無し

 人払いを済ませた私は、地下牢の一画に腰を下ろす。目の前には、先ほどまで私や御剣の命を狙ったあの無名と呼ばれた暗殺者がいる。


 よく見れば、本当に小さな子供だった。歳は、身体からして小夜よりも下だろうか。そんな子供が、身体を多く露出する服の上に、黒い外套を羽織っている。

 特徴的なのは、この子の顔の左側に刻まれた呪詛痕だろう。


「ねぇ、ここから出して!」


 そんな子どもが、呪術の結界を必死に叩いている。私は、その子の目を見てゆっくりと話し始めた。


「あなた、名前はあるの?」


 すると、結界を叩くのをやめ、私の顔を睨みつけてきた。


「名前なんかない」

「生まれたところは?」

「知らない!」


 そんな問答を続けていると、無名は小刀を抜き結界を斬り付けはじめた。しかし、呪術の恩恵を受けていない武器でいくら攻撃したところで、斎ノ巫女である千代が作り出した結界は破られない。


 話したところで、この子の精神にびっしりと絡みついた暗殺者としての蔦を取り除くことは出来ない。


 それでも、私は救いたかった。まだ小さな子どもを、人を殺すことでしか生きる価値を見出せない閉ざされた世界から。


 その気持ちに呼応するかの様に、私の口が自然と言葉を発していた。それは、私が唯一、呪術として会得した、触れた人の心の中を見ることが出来るものであった。


 流れ込んでくるのは、無数の情景。


「お母さん、お母さん…」


"これは、この子?"


 目の前に広がるのは、ただの闇。少しの光もなく、ただ暗闇の中に私はいた。


「暗いよ、怖いよ、出して、ここから出して、お母さん…」


 弱々しく、怯えた声でそう言うも、光が見えるどころか返事すら返ってこない。どうやら、物心ついた頃には、すでにこの暗闇の中に閉じ込められたらしい。

 理由は恐らく、左目の周りに現れた呪詛痕のせいだろう。御剣の様に、手の甲に現れるのではなく、嫌でも人の目につく眼の周りであったことが、親を畏怖させたのだろう。

 暗闇の中、何も食べることなく、空腹を堪え、眠りにつく。それが二回ぐらい続くと、遂に気が狂い始め、暗闇の中で出口を探すために壁という壁に手を叩きつける。


 何度も、何度も。


 それは、とてつもなく壮絶なものだった。親の勝手で暗闇に閉じ込められた子どもが、手から血が噴き出そうが、骨が軋み折れようが、ただひたすら壁を叩いているのだ。


 そして、遂に壁の一部が壊れ、外から光が差し込む。穴から何とかして脱出した無名は、狂ったまま、自らを暗闇へと閉じ込めた母親を、笑いながら殴り殺した。


「あはっ、あはははは!」


 母親を殴り殺した後は、その場に座り込み壊れた笑みを浮かべる。


「はは、は…」


 そして、そのまま涙を流す。心を満たしているのは、憎しみ、悲しみ、そして喜びが複雑に混じり合ったものであった。

 故に、心が崩壊していったのだ。


「ふぅ…」


 呪力の使いすぎによって乱れた呼吸を元に戻し、前を見据える。

 記憶に触れて分かったこと。

 それは、この子が暗殺者となり、無差別殺人を繰り返す様になったのには、壮絶な過去を経験していたということだ。


「あなた、寂しかったのね」

「え…?」

「私も、昔は一人で寂しかったの。でも、今は御剣や千代、みんなと出会って、寂しくなくなった」


 私は結界に手を触れ、結界越しに無名の頭に手を触れる。


「まだ間に合う。こっちに戻って来なさい。あなたの寂しかった心。誰かを殺すことよりも、とても楽しい事をして満たしてあげる」

「…」

「私はあなたを産んでないから、お母さんにはなれない。だけど、あなたのお姉さんにはなれる。あなたさえ良ければ、私は今からあなたのお姉さんになってあげる」

「お姉…さん?」

「ここで暗殺者として死ぬか、私たちと一緒に新しい世界を見るか、選びなさい。新しい世界には、自由があるわ」

「自由…」


 手が、結界に添えられていた。


 私はその手に合わせる様に結界に添える。すると、剣で破壊できなかった千代の結界が、ゆっくりと消滅する。


「お姉さん!」


 私に抱きついてくる。その手は、剣の代わりに私の服の裾を握っていた。


「あなたの名前は、無名」

「無名…」


 最初は泣き顔だった無名は、自分の名前を呟くと、普通の女の子の様に笑顔になる。

 私は、花のような笑顔を見せる無名の頭を、ゆっくりと撫でてやる。


「へへ、くすぐったい」


 少し恥ずかしそうにする無名の身体を、優しく抱きしめてあげた。

 無名はとても暖かかった。


「無名、これからずっと私の妹よ。ずっと…」

 

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