第13話 霧

「霧が濃いな…」


 霧に包まれた都、人の気配はない。

 ふと、この景観に薄気味悪さを感じた。


 敵は、あの暗殺者は何処から狙う?


 全方向へ注意を払う俺の隣を、真っ直ぐな目で前を見据えて歩く瑞穂。

 しかし、その身体は気のせいか、少し震えているようにも感じた。


「ねぇ、御剣」

「なんだ」


 瑞穂は緊張した顔つきで俺を見る。


「今度、私に剣を教えてくれない?」

「いきなり何を聞くかと思えば。剣なら可憐姉さんに教えて貰えばいいじゃないか」

「お姉様、激務で今は忙しいって」

「俺がサボってるような言い草だな」


 俺は瑞穂に本音を漏らした。


「正直、俺は瑞穂に剣を学んでほしくはない」

「どういう意味?」

「お前は、この国の皇なんだ。そして、俺は従者。従者は主を守るのが仕事だ。瑞穂は武器なんて持たず、どっしりと椅子に座っていてほしい」

「御剣の気持ちもよくわかる。でも、私は気づいたの。自分の無力さ、自分の身すら自分で守れない。先の戦でも、私が強ければ助けられた命もいくらでもあったはず」

「心配しなくても、誰もお前を責める奴なんていない」

「じゃあ、私は皇として崇められるだけの人形でいいって事?」

「誰もそんなこと言ってない。教えないとも言ってない。お前は俺の主なんだ。主が従者に何かさせるのは、お願いじゃなくて命令だ。命令さえあれば、それに従うのが従者の務めだ」


 それを聞くと、先ほどまで緊張していた瑞穂の表情が和らぐ。


「じゃあ、御剣。帰ったら私に剣術を教えなさい」

「喜んで」


 その時、ふと背中に悪寒が走った。右側の建物の角から気配を感じ、何も考えずに瑞穂を抱きしめてしゃがみ込んだ。

 頭上を空気が切り裂く音が通過し、反対側の建物の壁に苦無が数本突き刺さる。


「あーあ、外れちゃった」

「その声は!?」

「来たな…」


 刀を抜き、建物の陰に意識を向ける。深い霧の中では、視覚で相手を捉えるのは至難の業である。


「瑞穂、走るぞ」

「うん」


 俺は瑞穂の手を握り、城に向けて一気に駆け出す。後ろは見えないが、何かが追いかけてきているのは感じる。


「あはは! 逃げるの? 逃げちゃうの!?」


 何本もの苦無が道に突き刺さる。命中しそうになった苦無だけを刀で弾き、俺たちは一心不乱に城へと向かった。


「鬼ごっこ楽しいね!」


 趣味の悪い鬼ごっこね、と瑞穂が口にする。俺も、自分の命を狙う暗殺者から逃げる鬼ごっこなんて、ちっとも楽しくない。


 突然現れる暗殺者の攻撃を刀で弾く。


「見えた!」


 開かれた城門が見える。作戦のために無人になった城門を抜け、中庭から地下へと続く通路へと滑り込む。


「はぁ、はぁ、はぁ」

「あと少しだ、頑張れ」


 息を切らず瑞穂を肩で抱え、通路を進むでいく。


 ◇


 苦しい、こんなに走ったのは久しぶりだった。それも暗殺者、無名から逃げるために走っている。

 御剣に手を握って貰わらければ、今頃息を切らし捕まっていたと思う。やっと城についた時には、私の息は上がっていて呼吸が荒れていた。


「あと少しだ、頑張れ」


 息の荒れる私に御剣が肩を貸してくれる。 疲労が溜まった足に鞭を打ち、作戦の最終目的地である地下牢へと走り続けた。


「お兄さん、お姉さん、鬼ごっこはもう終わり?」


 地下牢に到着した私たちは、不気味な笑みを浮かべながら近づいてくる無名を見据える。

 外套を脱いだ無名は、両手に持った小刀をゆらゆらとさせながら近づいてくる。その姿は、生気のない幽鬼の様だった。

 私と御剣は近づいてくる無名に対して武器を構えた。


「ねぇ、もう終わり? もう、私と遊んでくれないの?」

「残念だけど、あなたとはもう遊べないわ」

「えっ?」


 一歩踏み出した無名の周りに、緑色に輝く術式が浮かび上がる。やがてそれは円柱状に頭上へと伸び、無名の身体を包み込んだ。


「何これ、何これ、何これ!? 出られない!」


 無名は何度も何度も武器を叩きつけたり、壁を切り裂こうとするが、一切傷はつかない。


「流石は斎ノ巫女殿、これ程まで強力な結界を創り出すとは…」

「私たちが出る幕はなかったみたいね」

「その様だな」


 千代に続き、仁やリュウ、ローズ、右京が兵士を引き連れて地下牢へと踏み込んでくる。

 私と御剣は武器を納める。

 そして、結界に閉じ込められた無名を見据える。


「みんな、少しここから出てちょうだい。私はこの子と少し話があるの」

「で、ですが…」

「いいから、ほら早く」


 地下牢に私一人を残し、他の面々は出て行く。私はゆっくり深呼吸をして、結界に包まれた無名のすぐそばまで歩み寄った。


 ◇


「全く、御剣様はお馬鹿さんです。あんな無茶をして、傷口が開いているじゃありませんか」


 開いた傷口を千代が文句を言いながらも治療してくれる。瑞穂に地下牢から締め出された俺たちは、入り口の扉の反対側で待っていた。


「ふぅ、疲れました…」

「ありがとう千代」

「少し眠ります。自分から起きるまで起こさないでくださいませ」


 そう言うと、千代は俺の肩にもたれかかり、ゆっくりと寝息を立てた。要は、呪術の使い過ぎだ。


「巫女さん、寝ちまったな」

「起こすなって言われたんだが…」

「そのまま寝床に運んでやったらどうだ? ここは俺たちに任せとけ」

「分かった」


 俺は千代を抱きかかえ、彼女の部屋へと向かう。千代の身体は重さを感じず、まるで人形を抱きかかえている様な感じだった。


「ここか」


 千代の部屋へと入る。異性の部屋に入るのは(瑞穂のおかげで)慣れているが、それでも少し緊張する。

 腕の中ですやすやと眠る千代を、起こさない様に寝床に寝かせる。千代の綺麗な髪がボサボサにならないよう、気をつけて寝かせる。


「んっ、んん」

「ッ!」


 突然、千代が無意識に腕を引っ張り、体勢を崩した俺は千代に覆い被さるように倒れる。


 目の前まで迫った千代の顔、寝息を肌で感じるほどに近い。


 心拍数が上がる。


 もしここで千代に手を出せば、俺は従者としての信頼を失うことになる。理性を保ち、腕の拘束を解いて千代から離れる。


 ただの幼馴染。これまで千代のことは異性として見てこなかった。しかし、今寝床ですやすやと眠る千代を、俺は一瞬女として意識してしまった。


「まだまだ修行が足りないな…」


 立ち上がり、千代の部屋を後にした。


 地下牢に戻ると、すぐに瑞穂が中から出てきた。何もなく安心したのもつかの間、瑞穂の横にあの暗殺者がいることに驚きを隠せなかった。

 周りにいる面々は何もしない。


「戻ったようね、御剣」

「瑞穂、これは一体…」


 俺は警戒して暗殺者を見据える。


「待ちなさい。無名は私に忠誠を誓ったの。彼女は今から私たちの味方よ」

「信用できない」

「それは仕方がないわ。でも、私を信じなさい。この子、本当は無差別に人の命を奪う子なんかじゃない」


 瑞穂から説明を聞く。


 どうやら、この無名という暗殺者は孤児だったらしく、捨てられて身寄りがない時に暗殺者に拾われたという。


 おそらく、呪詛痕があったためだろう。普通の親から俺たちのような人間が生まれれば、呪われた子として捨てる。そこにつけ込まれたのだろう。


 そうした汚れ仕事ばかりさせられてきた無名は、ほんのちょっとした弾みで自らをここまで仕立て上げた暗殺者を殺してしまったらしい。


 理由はどうであれ、親代わりでもあった暗殺者を殺したことで、これまで培ってきた能力に制御が効かなくなり、無差別殺人に手を染めていたという。


「この子にとって本当に必要なのは家族なの。大切なのは、私たちがこの状況を受け入れるかどうかなの」

「受け入れろと言うのか?」

「お兄さん…じゃなくて、御剣お兄さん。さっきはごめんね…」


 小さな少女は深々と頭を下げてくる。周りの奴らの顔を見るが、誰も異論は唱えず頷いてくる。

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