第52話 理想の形

「終わったね……」

「あぁ……」


 僕達はミュージカルを終えて、2人で夜の教室にいる。


 クラスメイトはグランドで行われている後夜祭に参加しているので誰もいない。


 結果から言うと、我がクラスのミュージカルが文化祭の出し物で見事総合1位を獲得した。


折羽おりはの歌……泣きそうになったよ」

「いやなぎさは泣いてたね! チラッと目が合った時に光ってたからな」

「そういう折羽だって……泣いてたじゃん」

「あれは汗だッ」

「強情だなぁ」

「渚ほどじゃないさ」


「ふふっ」

「ははっ」


 屋外から音楽が聞こえる、そして騒がしい喧騒も……ただ、2人でいる教室は別空間のような静けさをしていた。



「ねぇ折羽……話があるんだ」

「……うん」


 僕は穏やかな空気を変えるように真剣な声音で彼女に問いかける。

 その空気が伝わったのか、彼女も表情を変えて答える。




 すぅーはぁーすぅーはぁー


 今までの彼女との思い出を胸に刻みながら、言葉を紡ぐ。





「キミの事が好きです!僕と付き合って下さい!」






 高校入学と同時に彼女に言った言葉だ。彼女を知るきっかけは沙苗さなえだったかもしれない。


 あの時の優しい彼女、黄金のお姫様の彼女に近づく為に僕は精一杯頑張ってきた。


 そして今は手を伸ばせば届きそうな所まで。


 何度もフラれ、それでも諦めず、突撃し、また振られ、それでも一直線に突き進む。周りから見れば滑稽だったかもしれない。それでも僕は諦める事はしなかった。



 



 そして、その行いは決して無駄では無かったと自信を持って言える。

 妹が命を持って教えてくれた、愛してるを伝える気持ち。届かない場所にあるからこそ手を伸ばす勇気が必要だ。


 ありったけの想いで、彼女に伝える事ができた。……そんな彼女の反応は



「………………」





 沈黙





(これでも、届かないのか……)


 彼女の顔をまともに見る事ができない。

 時計の音だけが、僕と彼女を置き去りにしている。


 永遠とも思える時間の中、ゆっくりと彼女が動き出す。


 テクテク……


 扉へ向かう彼女を僕は追うことができなかった。





 ガラガラッ……ピシャッ






 虚しく響いたその音だけだ、僕の心に響く……





「ダメだったよ……さな」


 独り言のように呟く僕は、床に崩れ落ちた。


 ………………

 …………

 ……


 どれくらいの時間が過ぎただろう。今の僕には分からない。

 だから、そんな時に教室に入ってきた人物の事なんて覚えていない。



「……お……ぃ」

「お……ぃ」

「おい渚ッ!」


「へっ?」


 僕の肩を揺すっていたのは、さっき出ていった折羽だった。


「どう……して?」


「あ? どうしてじゃねぇよ、返事持ってきたんだよ」

「……返事?」


 僕は思考が追いつかず、何を言われているのかわからなかった。だってたった今振られたばかりではないか。


 しかし、彼女はと言った。一体何を?


「……ん」


 ピラッ


「えっ?」

「んんッ!」


 目の前に差し出された紙を眺めていると、強引に僕に押し付けてきた。


「……これが返事だ」


 ますます何を言っているのか理解できなかった。ポケ〜っとしている僕に再度彼女からツッコミが入る。


「いいから早く読めよッ」

「え……あ、うん」


 渡された紙を見てみる。

 そこには書かれていた内容とは……




 誓約書

『わたくし黒江渚は藤宮折羽と正式にお付き合い致します。○月✕日』


「これって……」

「渚が以前書いたやつだ……そしてもっと下を見ろ」


 そして、その紙の下の欄には……




「……藤宮……折羽…………ッ!!!!!」


「……まぁ、そういう事だ」


 誓約書の下の欄には彼女の名前が書かれていた。


 ポリポリと頬をかきながら彼女はモジモジしている。


「じゃ、じゃあさっき教室から出ていったのは……」

「あぁ、体育館に鞄を置き忘れてたからな、取りに行ってた……あっはは」


 その一言に僕は再度崩れ落ちた。



「もう、ダメかと思ったよぉぉぉ」

「一緒にいて私の気持ちに気づかなかったのか?」

「気づかないよー! いっつも僕が告白しても軽く流すじゃん」


 僕は折羽にギャイギャイ文句を言う。今まで溜まっていたアレコレを吐き出すように。そんな僕を見て彼女はケラケラ笑っている。


「折羽だけ紙なんてズルいよー! 僕はいっつもドキドキしながら告白してたのに〜」


「いやドキドキは嘘だろ……息をするように毎日告白してたじゃん」

「嘘じゃないよ! ドッキドキだったもん」


 ブーブー続ける僕の正面に折羽がしゃがむ。


「確かにそれだけじゃ卑怯かもな……」

「…………えっ……ちょっ……どうしたの」


 僕を床に押し倒した彼女の顔は蒸気して赤らんでいる。そして、未だに衣装を着ている彼女の胸元から覗く柔肌はシルクのように美しい。


「私も、ずっとドキドキしてたよ……渚」


「おり……んぐぅ……」



 彼女の顔が目の前にきたかと思えば、黄金のカーテンが視界を奪い、唇に暖かな感触と甘い蜜の味が広がる。


 数秒間身動きができない程、僕の唇は塞がれていた。


 そして、黄金のカーテンが開けられ、淡い月明かりが差し込む教室の風景を確認して初めて気づいた……




 キスをされたのだと。




「お、おりおりおり……」


「なんだよ、足んなかったのか?」


 そして彼女はもう一度、僕の唇へとその薄紅の唇を近づける。今度はその艶やかな唇と舌で僕の中に入ってきた。


 とても甘い味がした。きっとミュージカルが終わって一緒に食べた蜂蜜パイの味。


「ぷは……なんか……これはヤバいな」

「おおおおお……」


 僕のキャパシティは限界を超えていた。そんな姿を見た彼女は妖艶な笑みを浮かべて言葉を紡ぐ。


は渚だから……渚の理想に近づく為に、もっと頑張る……」



 彼女は小悪魔な笑みで続ける。




「これからは、もっともーーっとキミの事ドッキドキにしてやんよぉ」



 3度目の口づけは、僕から折羽に捧げた。





 この日、月明かりが照らす教室で、僕と彼女の理想が1つの形になる。





 理想の名は…………『愛』










 そして季節は何度も繰返す。








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