第45話 最初の観客

「なぁ、私のアレを歌にするって本気か?」


 二学期初日に僕が言った事を未だに疑っている折羽。とはいえ嫌な感情ではなく恥ずかしさが勝っているみたい。


「もちろん! 詩は出来てるんだから後は曲を作るだけだね」

「そ、そうなのか」


 僕の強引な物言いに半分諦めたように返事をする彼女。

 しかし、一緒に歌うといいつつ僕は少しだけ意地悪をしてしまう。


「僕がピアノを引きながらコーラス部分とかを作って歌うけど、メインは折羽だからね」


「なッ! 聞いてねぇぞ」

「うん! 今言ったから」

「卑怯だぞッ渚」


 グリグリと僕の頭に拳を当てる折羽。そのスキンシップが嬉しくて僕はニヤけてしまう。


(……彼女ともっと一緒にいたい)


 僕と彼女の関係が出会った頃より進展している事は確かだ。しかし、まだ男女交際には発展していない。


 ずっと僕からアプローチはしているが、彼女からOKを貰った事が1度もないのだ。


 ここの所、僕も押すばかりではダメなんじゃないかと思ってしまう。しまうんだが、それでもこの気持ちは止められない。


「折羽、おっぱいが柔らかくて気持ちいい。よし結婚しよう」


「〜〜ッ! 三途の川へ行ってこいッこの色欲魔がぁぁぁぁ」


 ドグシャッ


 最近の彼女のお気に入りの映画は、「燃えよド○ゴン」


(ヌンチャクが……幻視でき……た)





 ◆

「バラードに仕上げてみました!」

「……バラードかぁ」


 あれから何度も折羽と話し合い、打ち合わせという名のデートをして、ようやく曲が完成した。


「僕と折羽の!」

「なんか言い方がいやらしいが、まぁそうだな」


 今日は土曜日。そして今は僕の家に折羽がいる。夏休みにも何度も僕の家に来ていた彼女は躊躇うことなく部屋の中で当たり前のように座っている。


 その当たり前が嬉しくて、ありがたくて少しだけチクリと心に針を刺す。


「……できたな」

「うん……ねぇ折羽?」

「なんだ、渚」


 どこなくいつもより優しく感じる彼女の声音こわね。その優しさに今日は僕の想いを乗せてみよう。


「今から歌わない?」

「……いいよ」


 微笑む彼女の横顔は、昔見た聖母像のように慈愛に満ちた表情をしていた。だからこそ、僕は更に1歩を踏み込む決意ができた。


「……この歌を最初に聞いてほしい人がいるんだ」

「……最初に?」


 僕の問いかけに少し眉間にシワを寄せる。その姿までもが美しい。


「うん……ちょっと待ってて」

「……あぁ」



 僕はリビングから立つと、今迄として訪れていた1つの部屋の前で立ち止まる。


 ふすまを開けようとする手が震える

 真実を知ってなお彼女は傍にいてくれるのか?

 嫌な汗が出る。

 祭りの時に話したハズだろ?

 彼女なら大丈夫……

 妹に優しくしてくれた、彼女なら……




 僕は動けずに、ただ立ち尽くすだけだった。


(怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い……)




 真実を話せば僕の日常が壊れる気がした。足が鉛のように重い。手が針金で固定されているかのように動かない。夏なのに異様に寒い。



 ………………ピトッ


 僕の右手に不意に温もりを感じた。その温もりはまるで静かな湖に落ちる一滴の雫のように僕の心を暖かな波紋で満たしてくれる。



「大丈夫だから」



 ただ一言、その言葉だけで救われた気がした。だから僕は彼女の手を握り返し、お願いをする。


「一緒に開けてくれない……かな」

「あぁ、一緒に……」


 スルりと襖に2つの手を添えて、僕と彼女はその部屋の入口を開け放つ。この日が僕のもう1つのターニングポイント。

 ………………

 …………

 ……


「…………渚、この子は」


「……僕の妹……黒江沙苗くろえさなえ



 折羽は僕の視線の高さまでしゃがんでささやいた。


 正座をして、彼女の髪と同じ黄金に縁取られた扉に向かって。


 ………………具体的には、に向かって。



「折羽……これ覚えてる?」


 僕は仏壇から1つの思い出の品を彼女に手渡す。


「ッ!!! ……このリボン」


「折羽……いや藤宮折羽さん」


 僕は改まって彼女の正面に正座をして頭を下げる。


「ぅ……妹に……沙苗に……優しくしてくれて……最期の……思い出をくれて……あり……ありがとう……ございました」


 もう我慢が出来なかった。


 妹の最期を彩ってくれた

 楽しい時間をくれた

 美味しい物を食べさせてくれた

 プレゼントまでくれた

 妹にとって、彼女にとってのお姫様

 憧れた黄金のお姫様が目の前にいる

 そして、今こうして沙苗に会いに来て



「……そっか、そういう事だったのか」


 笑顔で映る沙苗の写真とを手に彼女は何かを想うように、上を見上げる。



「………………」

「………………」



 お互い何も言えないまま静寂だけが辺りを包む。



「妹は……沙苗ちゃんは、笑っていたか?」


 不意に彼女からの声が聞こえる。


「……うん、最期まで笑顔だったよ」

「……そっか」


 再びの静寂。


「……また会おうって約束してたんだがな」


 彼女の声も震えているのがわかる。


「……もっと……話した……かったなぁ」

「……うん、ありがとう折羽」


「うぅ……ぐす……ずるいぞ……渚」



 彼女も僕と同じで目に一杯の雫をためて、落ちないように必死に上を向いていたのか。しかし僕の最後の言葉でどうやらその堤防も決壊したらしい。


 写真とリボンを握りしめて泣く彼女を見て、僕は改めて思う。



「ありがとう……折羽」



 ………………

 …………

 ……

 ひとしきり泣き終わった後に、僕と折羽は写真とリボンをもってリビングに戻り、準備をする。



 初めて人前で自分のうたを披露する折羽。

 初めての観客は僕の妹、沙苗。



 きっと僕はあのうたを貰った時から……ううん、彼女に初めて会った雪の日から、この光景を夢見ていたのかもしれない。

 ………………

 …………

 ……

 旋律と歌声が木霊する室内。2人だけの空間のハズなのに、確かにそこには……もう1人の存在がいた。


 旋律が止む。歌声も……僕と折羽は見つめ合い互いの瞳から一筋の雫が落ちるのを見送った。


 冬の日に出会ったほんの一瞬の奇跡は、今こうして暖かな光となって繰返される。

 ………………何度でも。








「ありがとうお兄ちゃん、折羽さん」



 僕と彼女の耳に沙苗の最期の想いが聞こえる。その声は暖かな光となって二人の胸の中に吸い込まれていった。

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