第6話 子供たちの次々の異変、反抗期では済まされませんでした。

娘の網膜剥離は、私の気づかなかったせいだと、もっときちんと見てあげていたらと思いましたが、時すでに遅く、手術しても片方の目は回復しないと言われました。ほとんど見えませんと。

泣き崩れました。どうしてこんなことになってしまったのかと。

それでも、現実を泣き崩れもせず受け入れている娘を見て、私も毅然としなければと気を何とかもち、手術をし、何年も通院することになりました。

あとから思えば、普通なら泣きわめくような現実に、あまりに冷静な娘に疑問を抱いた理由が分かります。

生まれて少しして、普通の子供と何かが違うと思っていたのですが、個性であり性格だと思っていました。

この頃は小学校高学年、夕食は2時間以上かかり食べ終わり、学校では、普通なら見て真似をして覚えることができず、オロオロする娘を見ることもありました。障害だなんて欠片も思いませんでした。

同時に、息子も学校に行きたがらず休みがちになり始めます。

どちらかと言えば大人しいし、活発な子ではなく、心配ではありました。毎朝お腹が痛くなり、休みます。

何度か精神疾患ではと小児科に行きましたが、その時は障害を見つけてはもらえませんでした。

私は、逃げるようにパチンコに時々行くようになってしまいます。子供たちには残業と言い、帰宅が遅くなることもありました。お金が無いからこそすべきでは無いのに、生活の足しになればと自分をごまかし、逃げていました。

これも、自分の障害がわかってから、逃げるための依存性だとわかりました。

体を壊す前は、お酒とタバコで逃げていましたが、それもできなくなり逃げたのがパチンコでした。

ひとりで何も考えず、逃げる時間が欲しかったのだと思いますが、今になると酷い母親だと思います。自分なりに、精一杯やっていたつもりでしたが、今の私からすると、今の現状になるに至るであろうと分かります。


娘の網膜剥離の手術は、その後再度行われ、手術費用に困ることもありました。

少し前から、疎遠になっていた父が子供たちに会いに来て、月一で会いに行くようになっていました。子供たちのためになればと、父も老いて助けが必要になったのだと、二十歳の頃家中髪をつかみ、私を引き回したことを謝罪してくれたこともあり付き合い始めます。

これも後に、大波乱の引き金になります。

息子も中学になり、私は何とか収入を増やすために転職に成功し、大変ながらも何とか生活していました。

息子は中学入学数ヶ月でいじめにあい、ある日学校に行かずに行方不明になり、自殺でもするかのような状況で、学校には行かせないことになり、不登校になりました。

娘は、少ないながらも友達もいて、普通の子と違うと思いながらも 、自閉症スペクトラム障害など知る由もない日々を送っていました。

息子のいじめには学校に抗議をしました。転校も考えましたが、行きたがらないので不登校のままでした。

娘は既にこの頃、自分の障害に気がついていました。




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