第4話 大人になって
大学を卒業できていたら、やりたいことができたかもしれない、それにはやはりお金のないうちに生まれたせいでと、堂々巡りの思いはずっと続いていました。
当時で偏差値は58から65をウロウロする成績で、みなと同じように塾に行って、お金もあれば大学にも行けていたはず。
3姉妹の長女に生まれ、何故か私ばかりが暴力を受け、大学にも行けなかったのに、次の妹は私立のしかも学費も入学金も高い私立の短大に行かせてもらった。この時も、本当に親を恨み死ねと思いました。何故そんなことになったのか、最後まで聞くことはありませんでした。
そんな親も、私が20代前半に父に耐え兼ねた母から離婚を望み、仕事もろくな仕事をしていなかった母に、ちゃんとした仕事に就いて、まだ学生だった1番下の妹を養うと約束させましたが、次女が仕事をして、母は安いパートしかできず、結果離婚後はいつも妹達が愚痴っていたことを覚えています。金遣いもおかしく、借金もあり、父に押し付けて出てきたと後で知ることになります。
その母に言われた言葉が、私が家を出て、父の暴力が母と妹に向かったそうで、そのせいで別れるしかなかったと。
はあ?と思いました。じゃ、私が代わりに暴力を受けていたのはいいのかと。まじクズだ、この母親と思いました。でもまだ、母を見放せなかった。この時は。貸したお金ももう返ってくることもありません。
この時点で、母は大人の発達障害だとは知るよしもなく、後に全てが結びつきます。
大学を出た妹よりも稼げる仕事につけていたことだけが、私の支えでした。でも、男のように、大卒のように稼げる訳でも無く、高校で取得した簿記3級のみでは限界がありました。
これも何度も思うことですが、今のようにスマホが普及していて、情報が簡単に得られたら、もっときっと、違う人生を歩めたのではないかと、DVも今みたいに問題視されていたら、色んなことが違っていたのではないかと。
自閉症スペクトラム障害、発達障害、これも今みたいに社会に浸透していれば、きっと違う今があったと、今でも悔しくてたまりません。
色々あり、最終的には結婚することで逃げたかったのだと思います。仕事を続けたかったのですが、当時は同じ会社内での結婚は暗黙の了解で女性が辞めざるおえませんでした。後に組合と戦って残った女性の話を聞き、悔しかったのを覚えています。
そんな結婚が長続きするはずもなく、娘が生まれたので、何とか続けようとしていましたが、女性が苦手な私には母親同士の交流も苦痛でしかなく、相手の収入も少なかった為働き始めました。
子供を預け働くことは簡単ではなく、相手に不満もあった中、雪の日に車を貸して貰えず、娘を抱いてバスに乗った時に、離婚を決めていました。
今思えば、我慢が足りなかったと心底思っていますが、その時の私は相手と同じ空間にいることがもう無理でした。
娘は後で迎えに行くつもりでしたが、相手が渡してはくれませんでした。安い給料で、狭いアパートにいる私ではと思い自信も失っていた為、娘の幸せをその時は思い無理に引き取ることもできませんでした。
いまだに後悔をしています。
その相手は、離婚後2度再婚して、その度に間に子供が生まれていると噂を聞き、最初の継母に娘は階段から突き落とされ、腎臓破裂で手術をしたと噂も聞きました。本当に後悔しました。心臓が引きちぎられる思いでした。
ただ、その時には私も再婚後離婚、シングルマザーになっていた為、どうすることもできませんでした。
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