登る、登る。

そうして彼はまた登り続けた。


目の前にある巨大な塔を。


まるで断崖を登るかのように。


下を見ても雲がかって見えない。


上を見ても雲がかって見えない。


自分が何故登っているのかなど、その男はもう覚えてはいなかった。


ただ1つ、感覚的に覚えている事は、自分は塔を登らなければならないということだけだった。


ただひたすらに、手を掛け、足を掛け…。


そうして男は登り続けた。


無心で登り続けて居ると、目の前には大きな岩の出っ張りを見つけた。


男は、ここで少し休もうと考えた。


その岩にたどり着き、よじ登る。


岩の出っ張りは、ちょうどコンテナ1つ分くらいの大きさがあり、横になったりするには十分な広さがあった。


男はごろんと寝転がる。


果てしない上を見ながら、常に考えている、考え尽くした事を思う。


この塔の頂上には、何があるのだろう。


そして、


何故自分は、この塔を登っているのだろう。


今の彼にその疑問の答えを知る術は無かった。


ただひたすら、虚無と見つめ合い、


この永遠とも言える塔を、登るだけだった。


しかし、そんな彼も、たまには別の事を考える。


いつもは登ることを考えているが、例えば、ここから下へ落ちてみたらどうであろう。


上に永遠が続いて居るように、下にも永遠が続いているのだろうか。


今まで登り続けて来たように、落ち続けるのだろうか。



下へ、落ちてみたい。



男は、そんな好奇心を持った。


何日も落ち続けて、いずれは地面へ着くのだろうか。


それとも、落ちるだけ落ちて、奈落の様に終わりが無いのだろうか。


そんな彼の好奇心は、どんどんと強まっていった。



そうして、一体どれだけの時間が経っただろうか。



男は、ついに決断をした。




下へ、落ちてみよう。




と。


男の脳は、正常に考える力など無かった。


ただ、「登る」と言う動きを書き込まれた、ロボットに過ぎなかった。


男は思った。


もしこの塔が神の産物であり、自分は登るだけの人形なのだとしたら、ここから飛び降りるという事は、神への些細な反抗なのであろうか、と。


男は、何も思い出せない。


希望も絶望も無く、ただ登り続けるだけの存在。


そんな彼に、落ちるという行為は、まるで暖かな希望の様に感じられた。


1歩、また1歩と、男は断崖の端へと歩みを進める。


踏みしめるように大地を感じながら。




そして、男の体は空中へと出た。




体に感じる激しい浮遊感。




自分の些細な好奇心で起こしてしまった出来事だが、これはひょっとしたら神の奴隷から解き放たれたのかもしれない。



そうして、男は落ち続ける。



下へ下へと、落ち続けて行く。


長時間落下していると、まるで自分が浮いているような感覚になった。


そうして落ちていると、頭の中に音が聞こえた。




キーンコーン、カーンコーン。




それはまるで、学校のチャイムの様だった。


男は上を見上げた。


上から音が聞こえているような気がした。


見上げても、そこは虚空の空間。


視界には、いつもの通り空一面の雲が見える。


しかしその時は、いつもと少し違った。


暖かなビジョンが見えるのだ。


きっとそれは、空に写って居るのではなく、自分の視界にだけ写っているもの。


男は、これは天国に近付いて居るのかもしれないと、根拠の無い高揚感を感じた。


しかし、彼の高揚感は全くの無駄。


その感覚もまた、虚空へと消えたのだ。


その暖かなビジョンの中には、




1人の、少女が居ただけだった。




それが見えた瞬間、男は不思議とある事を理解した。




あれは、自分なのだと。




男はたしかにそこに存在する。



しかし、この世界は、彼女のなんてことの無い妄想から生み出された世界だったのだ。



全ては、彼女の脳内によって生み出されていた。


この塔も、空も、空気も、空間も、そして、登る男自身も。


そして男は、同時に別の事を理解していた。


自分は、もしこのまま塔を登っていたらどうなっていたであろうか、という事を落ちる直前まで考えていた。


だから、その世界も存在しているのだ。


別の宇宙の、ここでは無いどこかで。


男が、未だ登り続けている世界が。


きっと、このビジョンに映る彼女の住んでいる世界も、彼女自身も、また別の誰かの脳内でなんてこと無く産み出された宇宙だったのだろう。


それを理解した時、男は感じ続ける浮遊感の中、そっと目をつぶり、眠りに着いた。


次に彼女は、また塔を登っている男を考えるのか、それとも、別の事をしている別の人間を考えるのか。


そんな、意味の無い興味を抱きながら。






そうして彼はまた登り続けた。



目の前にある巨大な塔を。



自分が何故登っているのかなど、その男はもう覚えていなかった。



ただ1つ、感覚的に覚えている事は、自分は塔を登らなければならないということだけだった。



ただひたすらに、手を掛け、足を掛け…。





そうして男は登り続けた。


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