道を聞く人

ある日の昼飯時、人の往来の激しい都心に、一人の若者が居た。


なんてことの無い普通の大学生である彼は、たまの休日、ぶらりと街中を歩き回るのが趣味だった。


するとある時、その若者が、一人の男性に声を掛けられた。


「ちょいとすみませんな」


若者は、声のした方へと振り返る。


見たところ、歳は50か60と言った所だ。


若者は、少しきょとんとした顔で受け答えた。


「なんですか?」


「お手間で無けりゃ、ちょいと駅までの道を教えて頂けませんかね」


「ええ、構いませんよ」


若者は、その男に、駅までの道を説明する。


しかしその間、若者はちっとも説明に集中出来ていなかった。


その理由というのが、その男の【癖】である。


事ある事に、右の口角を、イーっと釣り上げるのだ。


若者はその癖が気になって仕方が無かったが、初めてあった人間にいきなり癖を指摘するというのも気が引けると思い、言葉にはしなかった。


「…と言った感じです。この辺りは建物が多いので、ここから徒歩だと駅までは少しかかると思います」


「そうですかそうですか。いやはやありがとうございます。」


「いやね、この辺りは道が入り組んどってまぁ…。本当に右も左も分からんちゅう感じですわ」


「まぁ、少し複雑ですね」


「いやしかし助かった。ありがとうございますな」


そう言うと男は、若者の方へ手を振りながら人混みへと消えていった。



しかし、その日からというもの、若者はなぜだかその男の事が頭から離れずに居た。



道を歩いていても、飯を食っていても、床についていても、片時も忘れられなかったのだ。


そしてそれから数日が経ち、彼が所属しているサークルの飲み会で、皆にその男の事を話した。


彼はなんてことなく、ただ、飲みの話のタネになればいいと思い話しただけだったが、向かいの席に座っていた女の同級生が、彼に向かってこう言った。


「そ、それってもしかして、○✕駅の△通りで…?」


彼は、目を丸くして驚いた。


「ど、どうして知ってるんだい…。」


すると、彼女はこう答えた。


「私もこの間、同じ場所で駅までの道を教えて欲しいって、変な癖の人に声を掛けられたの…。」


彼女がそう言うと、席の端に座り、大人しくしていた男が言った。


「…俺もだ。」


そのセリフを聞き、その場に居た全員の視線がその男に向けられた。


「ついこの前、△通りを歩いていたら、右の口角を上げてる男に、駅までの道を教えてくれって…。」


皆、その奇妙な偶然に、変質者なのでは、若者を狙っているのではと、不安の声を口々に上げた。


そうしてその日の飲み会を終えた、次の日。


問題の男の事は、彼の頭から離れるどころか、いつもよりも一層意識してしまっていた。


喋り方、妙な癖、何者だったのか、何故自分に話しかけたのかと、どんな時でもその男の事を考えてしまい、様々な用事がまるで手につかなかった。


次第に彼は、その男の事を考えるのが普通になっていった。


その男の仕草や声は、思い出すまでもない。


いや、仕草や声どころか、その男のコートの生地から、手や足の大きさに至るまで、事細かに思い出す事が出来る。



いつしか彼には、男の癖も移っていった。



気が付くと、右の口角をイーっと上げている。


そして、家に帰って鏡を見る度、喋り方や格好までもがその男に近づいているような気がした。


自分が自分で無くなっていくような恐怖は、なかった。


それも当然だ。


きっと自分は、あの男に憧れていたのだろう。


あの男のようになりたいと、心の奥でそう、願っていたのだ。


そういえば、最近見かけないが、あの男に声をかけられたと言っていた二人は、今、何をしているのだろう?



少し気になる。



しかし、心配はしていない。



あの男に出会えた二人なら、きっとあの男の素晴らしさに気付いたはずだから。



さて、今日は休日だ。




さっさと準備を済ませて出かけるとするかの。



そういえば、あの駅まではどうやって行くんだったかな?





まあいい、行く途中に、道行く人にでも声をかけて聞いてみるかね。

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