第2話
「もう今日は帰るわ」
放課後、自習室として開放されている大きな教室で、席を1つ空けて隣に座っている麻実に小声で伝えた。麻実は元々大きな目をさらに少し大きく見開き、私の動作を真似るように机の上の問題集を鞄に仕舞いはじめた。
センター試験を3週間後に控え、数日前のクリスマスイブの日も、先生が教室の施錠に来る19時半まで学校に残って勉強していたのに、まだ17時にもなっていない。
「久しぶりにあれ、食べていかない?」
教室を出て、昇降口に向かう廊下を歩きながら麻実は言った。
「あ、食べたい」
私はつぶやいた。学校帰りにあるたい焼き屋。私はそこのカスタードたい焼きが好きで、よく麻実と放課後に寄っていた。閉店が19時だから、自習室に通うようになってからは行っていなかった。空腹に集中力を邪魔されないようにと母が持たせるおにぎりが、私の放課後の定番になっていた。
今日はまだおにぎりを食べていない。今日、私の集中力を邪魔しているのは空腹ではない。
埼玉県にある,県立のいわゆる進学校。卒業生の9割以上が大学へ進学する。中学時代そこそこ勉強ができた私は、親友の麻実とともにこの高校に進学した。
あっという間に受験生になってしまった。推薦入試で既に進学先が決まっている者と、センター試験と一般入試を控えている者は半々ぐらいだろうか。やや浮かれている空気と、ピリピリしている空気が混ざり合い、真冬で閉め切った教室の空気は息苦しい。
クラスは違うが一般入試組の麻実と共に毎日自習室に通っていた。不安とストレスの募る日々で、大学でやりたいこと、入りたいサークル、やってみたいアルバイトの話を、暗く冷え切った空気の中で語る帰り道が何よりも好きだった。
「大学生になったらここのたい焼き、仕送りとしてママに送ってもらおうかな」
たい焼き屋の前に自転車を停め、買ったばかりのたい焼きをはふはふと頬張りながら麻実は言った。彼女のお気に入りは定番のつぶあんだ。
「仕送りかあ。あと4ヶ月後、どこに住んでるんだろ」
私はたい焼きに口をつけずにつぶやいた。
「東京でしょ?え、明菜まさか…」
麻実は、さっきまでふかふかと漂っていた白い息を飲み込んだようだった。
「冗談。北海道なんて行けるわけない」
「さすがに遠すぎだよね」
北海道ーー
今日の昼休み、私のクラスに走ってやってきた麻実が耳打ちして告げた衝撃の漢字三文字。
わざわざそんな遠くの大学に行くなんて。
多くの生徒は関東の大学に進み、東北や中部、関西の大学に進む者もいるが、まさか彼が北海道に行ってしまうなんて。
追いかけるにしても、私は彼と付き合っている訳ではない。ましてや、ほとんど会話も交わしたことがない。
1年生のときは同じクラスだったが、2年生のときにクラスが離れてしまった。3年生になるときにはクラス替えがないから、ここ2年間は、彼と同じクラスの麻実に、帰り道でその日の彼の様子を教えてもらうのが日課だった。
「片道1万円以上かかる上に、飛行機なんて1人で乗ったことないし」
「海隔てるなんてね。でもさ、有原、クラスの誰にも言ってなかったんだよ?」
彼は、有原くんは、東京の大学を受験すると周囲に言っていた。だから私も自然と東京の、自分の行きたい看護学部のある大学を志望校としていくつか目をつけていた。
彼は誰にも言わずに、北海道にある大学の推薦入試を受け、合格した。それを今日、クラスの何人かに告げたそうだ。
「これで私が北海道行ったら、立派なストーカーだよね。それはそれで笑える」
北海道という単語を口に出すだけで、胸が苦しくなる。笑えない。たい焼きは手の中で冷たくなっていく。
「もっと早く有原が北海道に行くって分かってたら、明菜は志望校変えてた?」
麻実はたい焼きを食べ終え、手を叩いて生地の欠片を払いながら言った。
「どうだろう。ただの片思いのためにそんな北国に行ったところで、上手くいかなかったら大学の4年間どうしたらいいか分かんない」
第一、私の両親が許してくれないだろう。東京の大学にだって、一人暮らしではなく、実家から通うことを推しているくらいだ。
「やっぱりA大学に行きたいし、お洒落なカフェでバイトしたい」
「うん。バイトしてお金貯めて、2人で北海道旅行行こうよ!」
麻実は笑顔で言った。
私はたい焼きを3口で頬張り、自転車に跨った。
「行くなら夏がいいね」
「ドライブしたくない?じゃあ免許とらなきゃ」
いつもと同じように、妄想が膨らむ帰り道。
今日は息抜きしたっていいかな。明日からまた自習室に行こう。
アネモネ 椎原さわ @noju16
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