第229話 根付いた支配

 

 長年、気掛かりだったファーストもといカリーナを前にしてデルフは強く拳を握る。


『幼馴染みとはいえカリーナは奴の支配の中じゃ。躊躇なくこちらの命を取りに来る。実力からしても手心を加える余裕がないことは分かっておるな』

(ああ。もちろん)


 そして、デルフはリラルスに尋ねる。


(リラ、カリーナにかかっているウェルムの支配を壊すためにはどうすればいい?)


 言わずもがなデルフの目的はファーストを倒すことではない。

 ウェルムの支配を取り除きファーストをカリーナに戻すことだ。


『カリーナの身体のどこかに触れてくれ。それからは私に任せろ』


 魔力の扱いに関して言えばデルフよりもリラルスの方がずっと上だ。

 デルフだとウェルムの支配もろともカリーナを灰に変えてしまう恐れがある。


(頼む)


 そのとき、ファーストが地面を蹴って一直線にデルフに向かってくる。


 ファーストの全身は高密度の輝きを放っており並大抵の攻撃では弾かれてしまい逆に攻撃に変わるとどれもが必殺の一撃となり得る。


 一直線に向かってくるファーストにデルフは拳を繰り出すが光の壁に阻まれて触れることすらできない。


『デルフ……』


 そして、そこにファーストの拳が飛んできてデルフは義手である右腕で防ぐ。

 だが、カリーナの拳が触れた瞬間、義手は粉々に砕け散った。


 さらに拳は義手を壊した後も突き進みデルフの右頬を捉えた。


「がっ……!!」


 弾き飛ばされたデルフは頭から壁に衝突する。


 倒れたデルフは起き上がろうとするがファーストは飛び跳ねた。

 そして、すぐに急落下しデルフの背に両足を突き立てる。


 背骨が軋む音がデルフの脳内に響き言葉にはできない痛みに悶える。


『不味い!』


 ファーストは攻撃を繰り出そうとするがデルフの身体から黒の瘴気が滲み出たのを見るや攻撃を中断し後ろに下がった。


 だが、“黒の誘い”を使ったのはデルフではない。

 デルフの中にいるリラルスだ。


『もう分かったと思うがカリーナ相手に魔力無しでは戦うのは無謀じゃ。言ったじゃろ手心を加える余裕はないと』

(分かっている。……分かっているんだ。だけど……)


 デルフはファーストに対して“黒の誘い”を使ってはいなかった。

 つまり、魔力を使わずにファーストの攻撃を受け止めていたことになる。


 実際には受け止めることも許されずに直撃していたが。


『デルフ、気持ちは分かる。じゃが、ここでお前が倒れたら全てが終わりじゃ。カリーナもずっと苦しんだままになるんじゃぞ』


 デルフは距離を取ったファーストに目を向ける。

 その心臓部に。


「……あれが」


 デルフの目に映ったのは心臓部に雁字搦めに巻き付いている蛇のような黒い魔力だった。

 それこそがウェルムの支配の正体。


 今もカリーナは苦しんでいる最中だとデルフは改めて実感する。


「やるしか……ないか」


 デルフは“黒の誘い”によってカリーナが死んでしまうことを危惧している。

 だが、カリーナはウェルムの魔法によって縛られている。


「……相当なリスクをもって当たらなければ打ち砕くことはできない」


 デルフはぐっと全身に力を入れて立ち上がる。

 だが、デルフの手は震えていた。


『安心しろ。低出力ならばカリーナほどの魔力なら攻撃を捌くことしかできん。危害はなしに等しいじゃろう』


 だがデルフは、いやデルフだからこそ“黒の誘い”の恐ろしさは承知している。


 使わないと待っているのは死だとしてもとても一番仲の良かった友に向けられる物ではない。


 それでもやらなければならないと自分に言い聞かせる。


『お前はいつも通り戦うのじゃ。魔力に関しては私が制御する。全く世話のかかる奴じゃ』

(……助かる)


 立ち上がったデルフは地面を蹴ろうとするが身体が蹌踉めいてしまった。


『大丈夫か?』


 リラルスの心配はデルフの身体の損傷に移る。


 デルフの息はかなり切らしており負傷も自然治癒が追いつかないほど酷い。


 ファーストの攻撃を受けた部分はもれなく骨折、悪ければ砕かれている。


(……直近で受けた攻撃よりも完全な不意打ちだった出会い頭の攻撃の方がダメージが大きい)


 痛みに鈍感になっているデルフだからこそ立てているのが現状だ。


(だけど、カリーナの苦しみに比べれば全く問題ない)


 デルフは砕けた義手を再び作りだし両腕を上げて構えを取る。

 すると、拳に黒の薄い膜が浮かび上がった。


「行くぞ。カリーナ」


 デルフは地面を蹴って一瞬でファーストの目の前に移動した。


 そして、腰を入れた右拳を全力で放つ。

 それに合わせてファーストも拳を繰り出した。


 “羅刹一打”同士の衝突によって生まれた衝撃で壁に罅が入る。

 さらにその風圧は砕けて地面に転がっている石程度ならば簡単に吹き飛ばす。


「……なんて力だ」


 デルフは既に全力を出しているがファーストにはまだ余力があるようで徐々に押され返されてきた。


 しばらく粘っていたがまたもデルフの義手が砕け散ってしまった。


「威力はカリーナの方が上か」


 低出力だが“黒の誘い”で魔力を削っても尚、削がれない威力。

 削ることができている魔力は上辺だけの魔力なのだろう。


「魔力なしじゃ勝てないわけだ」

『デルフ、今のようにできるだけ義手を使え。義手ならばいくら壊されたところで元に戻せる』


 デルフは再び義手を作り出し構え直そうとファーストに目を向ける。

 するとデルフの拳と衝突したファーストの拳は黒く染まり始めていた。


「!? カリーナ」


 だが、そのときファーストは普通では考えられない行動に出た。


 黒く染まった拳を軽く振り侵食された魔力を切り離し床に落としたのだ。

 床に落ちた魔力の塊は急激に黒く染まり始め一瞬で消失してしまった。


(極少量の魔力を犠牲に“黒の誘い”を……。そもそも魔力を切り離すなんてことできるのか)

『……どうやら“黒の誘い”を対処されているようじゃ。一瞬でも油断をするな』


 そう話しているうちにファーストが地面を蹴った。


『来るぞ!』


 そうして再びデルフとファーストは殴り合いを始めた。


 ファーストには低出力の黒の誘いは通用しないがそれはデルフにとって願ってもないこと。


 侵食によってファーストは灰になることなく魔力の消耗だけができているからだ。


 だが、それでファーストの拳と蹴りの威力が弱まるわけではない。


 そのとき、気が付いた時にはファーストの拳はデルフの真横に迫っていた。

 そして、直撃する。


「がっ……」


 一瞬、頭が真っ白になり意識が飛んでいる間にファーストはもう一撃を加えようと膝蹴りを繰り出した。


 それを放心していたデルフは急に視界が元に戻り右腕の義手を犠牲にして防いだ。


 防ぎ方、雰囲気ともにデルフとは別物に変化している。


 そして、ファーストの顔に蹴りをぶつけ弾き飛ばした。


 先程までのデルフの攻撃の癖とは違うためファーストの反応が遅れたのだ。


 デルフは力を抜いてゆっくりと目を瞑るとまた雰囲気が変化した。

 いや、戻ったと言ったほうが正しい。


(リラ、すまない。助かった)


 ファーストの一発一発は全て必殺になり得る攻撃だ。


 天人となり身体能力が跳ね上がったデルフでさえも当たり所が悪ければ今のように一瞬気を失ってしまうほどの威力を持っている。


 リラルスが入れ替わってくれなければ危ういところだった。


『謝罪は後じゃ。今はカリーナにどうやって魔力の壁を掻い潜り触れるかを考えるんじゃ』


 普通に手を伸ばしても魔力の壁で押し返されてしまう。

 低出力の“黒の誘い”ではその斥力を多少緩和するだけに止まりファーストまで到達しない。


「もっと出力を上げるしかない」

『いけるか?』


 リラルスが聞いているのはデルフの心に対してだ。


「ああ」


 デルフが既に覚悟を決めている。

 その理由はファーストが黒の誘いを対処して見せたからだ。


 この能力は触れるだけで死を確実にもたらすものだとデルフは考えていた。

 だが、その考えをファーストは見事に覆してくれたのだ。


「俺はカリーナを過小評価していた。そうだよな、昔は俺を守ってくれたんだ。この程度じゃ死なないよな」


 デルフは魔力を集め黒の瘴気が両腕を覆い尽くす。

 そして、全力で地面を蹴った。


 一直線にファーストに向かっていく。


 もちろん、ファーストが何もせずに黙って見ているわけがなく球体上の魔力で全身を囲む。


 だが、デルフはその球体の魔力に義手の掌を置く。


「ぐっ……」


 全力で踏ん張らなければ弾き飛ばされてしまうほど球体の魔力の斥力が大きい。


 その力にデルフは抗いながら魔力を集中させる。


 すると、ファーストの魔力は次第に黒く染まり消失していく。

 だが、底が見えない魔力量に今の出力の“黒の誘い”ではいくら削っても削りきれない。


「もっとだ」


 さらにデルフは出力を上げ球体の魔力を押し退けて次第にファーストとの距離が近づいていく。


 そんなデルフにファーストは豪速の拳を放つがデルフは顔を軽く逸らして真横を通り過ぎた。


 それでも僅かに掠りデルフの頬からは黒い雫が流れ出る。


 だが、そんなことデルフは気にも留めずに“黒の誘い”で魔力の壁を壊し続ける。


 そしてパリンとファーストを守る魔力が砕け散った。


「!!」


 デルフは残していた左腕を伸ばしてファーストの肩に触れた。


「リラ!」

『よくやった!』


 デルフの声と共にリラルスはファーストの心臓部に向けて緻密に制御した“黒の誘い”を流し込む。


 だが、すぐにファーストの拳がデルフの腹部に突き刺さりそのまま弾き飛ばされてしまった。


「がはっ……はぁはぁ、駄目か」

『いや、上手くいったぞ。見ろ』


 デルフはすぐに目を凝らしてファーストの心臓部に目を向ける。


 するとファーストの心臓に巻き付いていた蛇のような魔力は粉々に砕け散った瞬間が目に映った。


 そして、ファーストは力なくその場に倒れてしまう。


「……成功したのか」

『ああ、奴の魔法は完全に砕いた。頑張ったなデルフ』


 デルフは立ち上がりゆっくりとファーストの下に近づいていく。

 目の前まで来ると膝を落としファーストを抱きかかえた。


「待たせたな、カリーナ」

『!? デルフ! 離れろ!』

「?」


 そのとき、デルフの腹部にどんと小さな衝撃をデルフは感じた。


「ゴホッ、ゲホッ!」


 突然、身体の奥から何かが込み上げ濁流のような黒の血を口から吐き出した。


 そこでようやくデルフは気が付いた。

 小さな衝撃の後、何かが腹部に残り続けていることに。


 そして、デルフは自身の腹部に目を向けると刃物のような形に変化した魔力が突き刺さっていた。


 その魔力の刃を辿っていくとそれは虚ろな目でデルフを見続けているファーストの左腕から伸びていた。


 吐き出した血が抱きかかえられているファーストに落ちるが一切気にした様子はなくさらに魔力の刃を押し付ける。


「なぜだ……」


 デルフの疑問も当然のことだがそれよりもリラルスの方が酷く驚いていた。


『なぜじゃ……確かに破壊したはず』


 デルフは黒の瘴気を生み出し自分の身体に侵入する異物を取り除こうとする。


 それを見たファーストはすぐさまデルフの手を振りほどき距離を取った。


 体力と魔力ともに底がないのか疲れた様子は一切見せず速度に衰えが見えない


 自然治癒が始まったデルフの身体は血が溢れ出す開いた穴を塞ぎ始めた。

 しかし、傷は治るがファーストと違いデルフの体力は限界に近い。


 だが、今はデルフにとってそんなこと些細な問題で視線がファーストに向いている。


 そして、信じられないような物を見て瞳が揺れ動いた。


「……戻ってる」


 確かに壊したはずの蛇のような魔力が再びカリーナの心臓部に巻き付いていた。


『まさか……』

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