第228話 回避不可能

 

 フレイシアたちと分かれたデルフはウラノと共に王城の長い廊下を走り続けていた。


(これだけ走っているのに人の気配が一切しない)


 感じるのは巨大なウェルムの気配だけだ。


『必要最低限、あの門番たちを除いて他は戦場に回したのじゃろう。流石に理解しておるな。“くろいざない”の前に数は無意味。無駄に兵を失うだけと』

(つまりここに残っているのはウェルムとジュラミールだけか)

『デルフ!! 後ろじゃ!!』

「殿!!」


 突然、リラルスとウラノの大声が同時に耳に響く。


 デルフは即座に背後に振り向くとそのときには五本の刃が目の前まで近づいていた。


 このままでは顔に刃の全てが突き刺さってしまうのは自明の理。


「くっ、間に合わない!」


 デルフは即座に“黒の誘い”を発動させようとするがその前に刃は届いてしまう。

 だが、無理を押してでも続ける他に手段はなかった。


 デルフは一か八かに賭けて魔力を込める。


「!?」


 しかし、その前に一つの影がデルフの視界を遮った。


 その直後、金属と金属が衝突するキーンという甲高い音が耳に入る。


「ご無事ですか。殿!」


 その影はデルフよりも早くその攻撃に反応し目の前に飛び出したウラノだ。


「すまない。ウラノ。助かった」


 改めて前方に目を向けるデルフ。


 そこでようやくその五本の刃の元凶が目に入った。


 黒スーツ姿の暗い紫髪の青年。

 天騎十聖の一人である“暗殺王”シフォードだ。


「ちっ、千載一遇の機会を逃しましたか……」


 軽くシフォードは呟くが表情は余裕が一切なく真剣そのもの。


 シフォードの伸ばした右腕の先には五本の指をなぞるように五本の刃が伸びている。


 その鉤爪が今まさにウラノが防いでいる代物だ。

 そんな鉤爪を左手にも装着している。


「ぐっ……」


 ウラノの苦しげな表情を見逃さなかったシフォードは防がれている鉤爪にさらに力を入れ押し出た。


 それをウラノはギチギチと音を立てて何とか短刀で受け止め続けているがいつ押し負けてもおかしくないほど力が強い。


「ぐっ……」

「雑魚が邪魔をしてくれましたね。もう満足でしょう。死になさい」


 シフォードがもう片方の鉤爪でウラノの身体を八つ裂きにしようと振り下ろす。


 ウラノは今防いでいる鉤爪で精一杯だ。

 そのため新たな鉤爪に対処できる力は残されていない。


 それを判断したデルフはすぐにシフォードの真横に回り蹴りを放つ。


 シフォードはその蹴りを見るや鉤爪に入れている力を抜き後ろに下がった。


「ジョーカー、唯一この世でウェルム様を脅かす存在。できることなら今の攻撃で消したかった」


 先程の門番していた天兵たちよりも数倍の存在感を宿しているシフォードにデルフは警戒を強める。


 ウラノも短刀を構えて警戒を怠らない。


「……申し訳ありません。ウェルム様、私の役目はジョーカーをあなたの下に行かせないこと。ご命令を無視したことは後で罰を甘んじて受ける所存。今だけはお許しを」


 遙かに小さな声で懺悔ざんげするシフォードの声はデルフたちに届いていない。


 デルフたちは目を一切離さずにシフォードを注視していた。

 だが、そのときシフォードの姿が突然掻き消えた。


「!?」


 デルフは周囲を凝視し耳を澄ませシフォードの気配を辿る。

 だが、シフォードの気配は先程まで立っていた位置から完全に途絶えていた。


「……逃げた? いや、そんなはず……」

「殿!!」


 デルフがシフォードの気配を探っているうちに突然背後から金属音が響いてくる。

 背後に目を向けるとウラノがまたもシフォードの鉤爪を寸前で防いでいた。


「なっ……」


 デルフは驚きで声が出なかった。


 気配は今の今までずっと探り続けていたはずだが背後を取られたのだ。


『デルフ、気が付いているか? この者から全ての気配がしない』


 リラルスに言われてようやくデルフは気が付いた。


 目の前にいるはずのシフォードからは一切の気配が感じなかった。

 先程の存在感の大きさが嘘のように消失しており何一つ音も立てていない。


 聞こえてきた金属音もウラノの短刀からだけだ。


 シフォードのことを目で見える透明人間と矛盾した名詞がデルフの頭に浮かぶ。


 “暗殺王”という二つ名は伊達ではなく大抵の者ならばシフォードの存在に気が付くことなく命を奪われるだろう。


(多少、無理をしなければならないが“黒の覚醒”を使うしかないか)


 “黒の覚醒”は常に身体全体を黒の誘いで纏っている状態だ。


 これならば敵の存在に気が付かなくても攻撃を全てに灰に変え傷を負う心配はない。

 だが、身体にかかる負担はかなりの物になる。


 以前に使ったときはボワール王国の武闘大会の乱入者を追い払うときだ。

 あのときも数日は目を覚まさなかったことを思い出す。


『あのときよりは身体も慣れたかもしれぬが。過度な期待をすると痛い目を見るじゃろう』

(だが、使うしかない)


 デルフはすぐさま魔力を集中させる。

 だが、それを遮るようにシフォードの攻撃を受け止め続けているウラノが声を出す。


「殿! ここは小生に任せて先を急いでください!」


 デルフはウラノの言葉に戸惑うが自身が出した命令を思い出す。

 ウラノに出した命令はデルフの動きを阻む者の阻止。


 ウラノがそう言ってくるのは予め決めたことであり驚くことはない。

 そもそもデルフがそう命令を出したのだ。


 鍛練を積みウラノの実力も上がったこともあり命令を出したときは天騎十聖が相手でも微かにでも勝つ可能性があると考えていた。


 しかし、待ち構えていたのが天騎十聖の中でもウェルム、カハミラの次に実力を持つ“暗殺王”シフォードだ。


 この一連の攻防を見ただけでもウラノの実力ではシフォードに勝機がないことは明らか。


 だが、それはウラノ自身がよく理解している。


 受け止めている現在も防御に全ての力に回しており反撃などもっての外だ。


 それでもウラノは声を張り上げる。


「たとえ勝ち目がなくても小生の役目は時間稼ぎ。大丈夫です。こんな簡単な役目を果たせずして殿の一番の忠臣とは名乗れません!」


 確かに全く歯が立たないというわけではない。

 現にウラノはデルフが反応できなかったシフォードの攻撃を防いで見せている。


 デルフはぎゅっと拳を強く握る。


『デルフ! ウラノの覚悟を無駄にするな! こやつを倒しても元凶を倒さねばこの戦いは終わらぬ!』


 リラルスの言う通りウェルムが生きている限りこの戦いは終わらない。

 ウェルムが生き残れば天騎十聖の面々を倒したとしても蘇生されてしまう。


 シフォードを倒すために力を使い果たしウェルムとの戦いで敗北すれば本末転倒もいいところだ。


「……ウラノ、ここは任せたぞ」

「お任せを!」


 デルフは後ろに背を向けウラノをこの場において走り始める。


 それを見たシフォードの力は急激に跳ね上がりウラノもさらに力を捻出して対抗する。

 だが、突然腹部に飛んできた足がウラノを弾き飛ばした。


「行かせるものか! 貴様はこの場で私が殺す!」


 シフォードは石の床を蹴り恐るべき速度でデルフに迫る。

 石の床が抉れるような踏み込みだがその際も音は一切していない。


 まさに無音のシフォードの接近にデルフは気付くことができていない。


 いや、もし気が付いていたとしてもデルフは足を止めていないだろう。


 デルフは自身の一番の忠臣であるウラノを信じている。


(俺は任せたと言った。そして、あいつは頷いた。もうここはウラノの決戦場。俺はただ足を進めるだけだ!)


 完全に背後を取ったシフォードはデルフに向けて鉤爪を突き出した。


 だが、そのとき弾き飛ばされたはずのウラノがシフォードの前に現われた。


 頭からは血を流しており額に垂れているが視線は揺るぐことなくシフォードに向いている。


 そして、またもシフォードの攻撃を受け止めた。


「またしても貴様か……なぜ私の攻撃に反応できる」

「あなたの相手は小生です! ジョーカー、いえデルフ・カルスト、一の配下ウラノ! しばらく付き合ってもらいます!」


 そこからデルフは後ろを振り返らずに走り続けた。


 長い廊下や階段を走り続けもはやここが王城のどこなのか一切の昔の面影が残っておらず推測すらできない。


 ただ、ウェルムの気配がする方向に向かい続けているだけだ。


 ようやく廊下を抜け辿り着いたのは広い正方形の空間だった。


 柱が三本ずつ二列で並んでおりさらに目の先には厳重な鉄の扉で閉ざされている。


 デルフは直感で分かった。


(あの先にいる)


 高鳴る鼓動を抑えてゆっくりとその扉に歩き始めるデルフ。


 一歩一歩、歩く度に違う空間に入り込んでいるのではないかと思うぐらい足取りが重い。

 それでもあと数歩で扉に辿り着こうとしている。


 だが、そのとき何かがデルフの懐に潜り込んだ。


『デルフ!』


 先程のシフォードの奇襲もあり警戒を怠っていないかったデルフはリラルスの声が聞こえたと同時にその懐に潜り込んだ影に膝蹴りを放つ。


 しかし、その影は地面にうつ伏せになって容易に躱してきた。


「!?」


 さらに両の掌を地面に置き足を伸ばしてその場で一回転するという無駄のない流れる動作でデルフの足を払った。


「なっ……」


 その後、刺客は立ち上がり拳に魔力を集中させる。

 エネルギーが蓄積と収束を繰り返し刺客の拳は光り輝き始めた。


 そして、体勢が崩れて無防備となったデルフの鳩尾に正拳突きを放った。


 デルフは足払いされ自身の体勢が崩れたことで視界が傾いていることを不思議に思っているときにはその拳が迫っており避ける時間はない。

 いや、そもそも避けようと考える間もなかった。


 そして、防ぐ間もなくデルフの鳩尾に正拳突きが突き刺さる。


「がっ……」


 だが、それで刺客の攻撃は終わらない。

 さらに、デルフが弾き飛ばされる前に右から頭部に膝蹴りを飛びようやく左に弾き飛ばされた。


 デルフは一本の柱をへし折って壁に衝突しその壁に大穴が開く。


 強烈な衝撃に全身が悲鳴を上げる。

 能を揺さぶられ視界もぐらぐらと揺れ動き思考が定まらない。


 デルフの頭部と口元から黒い血が垂れる。


 あまりの痛みに言葉にならず立て直すまでしばらく時間が必要だ。


 だが、刺客がそんな猶予を与えてくれるわけがない。


 瞬く間に距離を詰めてデルフに再び拳を振り下ろそうとする。


 刺客の拳に込めた魔力がまるで太陽のようにデルフの頭上から降り注ぎ照らしている。


(不味い……)


 怯んでいる今のデルフにこの攻撃を防ぐ手段が思い付かない。


『大丈夫じゃ』


 そのとき、デルフの意識とは関係なく身体を黒の瘴気が包んだ。


 刺客はその瘴気を見るなり拳に集中させた魔力を分散させ後ろに下がる。


(すまない)

『案ずるな。このための私じゃ。それよりも……心した方が良い。お前の相手は相性が悪い』

(相性?)


 小細工を弄されるより力押しをしてくる者の方が“黒の誘い”で対処しやすいはずとデルフは考える。


 だが、リラルスは即座に否定した。


『そう言う意味ではない』


 デルフがようやく顔をあげその刺客に目を向けた。


「……カリーナ」


 そこには今は天騎十聖の一人でファーストと呼ばれている人物が立っていた。

 身軽な鎧を着用し金髪の長い髪を揺らしている女性。


 その正体は言わずもがなデルフの幼馴染みであるカリーナだ。


 ファーストと呼ばれるようになってから常に付けていた猫の仮面は付けてはおらずその顔は露わになっている。


 デルフはカリーナをいざ前にして竦んでいたがその虚ろな瞳が目に入った。


 そして、覚悟を決めた表情で立ち上がる。


「カリーナ、待たせたな。……今、助けてやる」

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