第225話 一方的な因縁
東西中央の戦場よりデストリーネ王国寄りのとある陣中。
その本営の中は赤に染まっていた。
立っているはただ一人。
この場に似合わない膨らんだスカートと上半身には袖が大きなドレスを着用している桃髪の少女。
“白夜”の一人であるアリルだ。
刃こぼれ一つないが血が付着した短剣を両手にそれぞれ持ち下に転がっている死体に目を向けている。
地面に転がっている死体の数は五。
その中の四人は全員鎧を着用した護衛の兵士であり残る一人は煌びやかな服装を身に纏っている貴族だ。
「今思えばこの子たちの初陣が暗殺になるとは、ソナタに申し訳ないですね。……大物前の試し切りということで良しとしましょう」
アリルは短剣二本を軽く振って血を払い袖の中にしまう。
その後、懐から四つ折りにされている文を取り出し横に広げる。
元々、その文には少なくない貴族の名前が並んでいたが今はもう二つの名前しか残っていない。
その他の名前は赤黒い線で塗り潰されていた。
「あと一人ですね」
アリルはそう呟いて自身の顔に付着した返り血を指で拭った。
その生乾きの血が付着している指で残る二つの名前の一つをなぞり赤い線を付ける。
パタパタと文を振り再び折り目に沿って折り直し懐にしまう。
「邪魔をしなければ無関係な人に危害は加えなかったのですけどね。……護衛が役目なのですから仕方がありませんか」
アリルは倒れている貴族の最後を思い出す。
「自我があるように見えましたが狂った目でジュラミールを王と仰いでいました。ああはなりたくないものですね」
この場にウラノがいたのならば呆れたような目でアリルを見詰めていただろう。
アリルはこの陣で何が起きたかすら気が付いていない兵を置いてこの場から立ち去った。
次の、そして最後の標的の下に向かうために。
残る暗殺対象の貴族の名前は大公爵ヒューロン・ハイサ・デストリーネ。
前王ハイルの実の弟でありフレイシアの叔父に当たる人物だ。
デルフの勧めでフレイシアがデストリーネから抜け出す前に頼ろうとしていた人物でもある。
しかし、そのときは既に洗脳され敵の手に落ちてしまっていた。
そこでフレイシアと長い付き合いになるアリルに疑問が生じる。
(今までのフレイシア様ならばどうにか助けようと動くはず)
それでもアリルの持つ文には確かにヒューロンの名前があった。
いや、そもそも貴族の暗殺を命じることすら今までのフレイシアならばあり得ないことだ。
一体なぜなのか。
その理由はヒューロンが前王ハイルの存命時から王位を狙っていた疑いがあるからだ。
そして、この文に書かれているヒューロン以外の他の貴族たちの名前はヒューロンに賛同している者たちの名前だ。
他の誰も気が付いていないようだったがフレイシアは気が付いていた。
時はデストリーネとボワールの戦争にまで遡る。
元四番隊隊長ソルヴェル率いる四番隊がボワールに数に開きがあると知りながら立ち向かったときのことだ。
そのとき、ハイルに任せられ各地の報告書に目を通していたフレイシアはヒューロンがいつでも兵を出せる準備ができていたことに気が付いた。
だが、ヒューロンが兵を出すことはなかった。
大公爵という地位にあるヒューロンの戦力は大きく、もしも兵を出していれば四番隊が壊滅することはなかっただろう。
しかし、これだけでは反逆と決めつけるにはまだ早計にフレイシアは感じていた。
そのため、デルフに話していなかったがフレイシアはヒューロンの領地であるアサリシンに訪れたときその真意を見極めようとしていたらしい。
結果は洗脳されていることで分からないままで終わったが。
だが、ハイルが治めていたデストリーネに協力的ではなかったことだけは明らかだ。
そこでフレイシアは洗脳されているうちに戦死として消してしまおうと考えた。
デストリーネを奪還した後、戦争に疲弊している隙を狙ってヒューロンが乗っ取りを図ろうとしても不思議ではない。
国は一つにならなければ脆くすぐに崩れてしまう。
一番、無駄なことは敵と争うことではなく味方と争うことだ。
「政治には興味ありませんが……僕はフレイシア様のメイド。お掃除も立派な役目です」
そして、走り続けること一時間ほどしてようやく大きな陣営が見えてきた。
「戦場だけでも信じられないほど多かったはずですが……。まだこんなに兵を残しているのですか」
アリルの目算だけでもその陣の兵は二万を超えている。
「ですが、僕がやることには変わりありません」
いくら兵の数が多くてもアリルの標的は一人のみ。
別に全滅させる必要などないのだ。
アリルは足を止めずそのまま陣の中に潜り込む。
見回りの兵たちの横を通り風が過ぎるがそれが高速で走るアリルだと気付く者はいない。
大きな陣営といえどもアリルの走る速度では数分で目的地に辿り着いてしまう。
案の定、早くもこの陣の大将であるヒューロンの本営と思わしき簡易住居が見えてきた。
「さっさと終わらせてチビの助けに向かなければなりませんからね。……僕が行く前に死んでいたら殺す」
既に短剣を二本とも抜いているアリルはそのまま布の扉を破いて突入する。
そして、目の前にはこれから戦争をしようしている者とは到底思えない贅を尽くした衣服を身につけた小太りの男が立って机に広げた地図を睨んでいた。
だが、アリルの殺気に気が付いたのか顔を上げて酷く驚いた様子でこちらを見詰めてくる。
(……貴族は全員、こんな格好なのですか。趣味、悪いですね)
そう考えつつもアリルは足を動かし静かに短剣から不気味な金属音を立てる。
「僕はあなたに恨みなどありませんがここで死んで頂きます」
「き、貴様……一体何者だ」
「フレイシア陛下の侍女とでも言っておきましょうか」
別に答えずにそのまま斬り掛っても良かったが気まぐれでアリルは言葉を返す。
「フレイシア? そうか、貴様、恩を仇で返すフテイルの者だな。死んだフレイシアを生きていると騙り魔人ジョーカー……デルフ・カルストと共にデストリーネを乗っ取ろうとしている」
それを聞いたアリルはしばらく言葉が出なかった。
「どうやら洗脳されているというのは本当のようですね。もしくはただの無能か。フレイシア様もこんな人を警戒せずともいいでしょうに」
アリルは溜め息をつく。
「そうはいかんぞ。我が甥ジュラミール率いる天騎十聖がお前たちの望みを打ち壊してくれる!! そして、その先にあるのはデストリーネの天下だ!」
「そろそろ、うるさい口を黙らせましょうか。ジョーカーの正体を知っている者はできるだけ消したいですし、そもそもあなたを殺すのは決定事項ですので」
アリルの瞳の色が冷たく変化する。
まだ何か言い返しているヒューロンだがもはやアリルの耳には入っていない。
「“鎌……!?」
技を放とうとした瞬間、アリルはすぐ下の地面から嫌な予感を感じた。
その予感を信じて技を中断し即座に後ろに飛び退く。
それと同時に飛び退く前にいた位置から岩の棘が飛び出したのだ。
「これは……」
アリルは後ろに飛び退きながら回転する。
すると、その回転力から風が吹き荒れ簡易住居を真上に吹き飛ばしてしまった。
中にあった家具も風圧で散乱して辺りに吹き飛んで行ってしまう。
ヒューロンは何とか地面に伏せて吹き飛ばされないように耐えている。
アリルにとってはどこかに飛んで行ってしまって探す手間を考えたら耐えてくれている現在の方が都合が良いが今はそんなこと考えておらず視線も向かっていない。
「あなたは……」
アリルはそこまで言いかけて首を傾げる。
「相変わらず癇に障る人ですね」
その目線の先にいたのは刀身が直角にギザギザに折れ曲がった剣を地面に突き刺している鎧を身に纏った青年。
天騎十聖の一人であるラングートだ。
「カハミラ様が貴族を襲い回っている者がいると聞きその殺し方に心当たりがありましてね。あなたならここに来ると思いましたよ。そして、このときを待っていました……あなたを殺すこのときを!」
口は笑みを浮かべているが視線からは隠すことのない殺気がアリルに向けられている。
ラングートはその昔、王都に出現した殺人鬼であったアリルによって哀れな死を迎えていた。
ウェルムの力によって蘇ったラングートが持つアリルに対する恨みは尋常ではない。
だが、アリルはそんなこと露知らず溜め息を零す。
「また、あなたですか。懲りないですね」
「この恨み、あなたを殺すまでは晴れませんよ。ここで八つ裂きにしてくれます!!」
ラングートは地面に刺している自身の愛剣の魔剣サタ―に魔力を込める。
「“
地面が揺れ動きまるで蔓(つる)の様に飛び出した無数の岩の棘がアリルに向かってくる。
だが、アリルは退くことなくその場からラングートに向けて走り出した。
走る速度を緩めずに向かってくる岩の棘をいとも簡単に躱していく。
「遅いですね。その程度ですか?」
そして、アリルは両手に持っていた短剣を回転し始める。
回転の速度は持った短剣が見えなくなるほど速くなり次第に空気の渦が出現していく。
「そうですね。そうこなくては!!」
向かってくるアリルに笑みを見せるラングート。
「あなたを……貴様の全力を叩き潰してこそ私の名誉が復活する!!」
ラングートの土を操る魔法は魔剣サタ―を地面に突き刺している間のみ発動できる。
だが、発動している間はその場で止まってしまうため隙が大きい。
だからといって魔剣を地面から抜けば岩の棘は忽ち砂となって崩れてしまう。
しかし、ラングートは次々と岩の棘を躱し迫ってくるアリルを前にしても一向に剣を抜こうとはしなかった。
そして、アリルとの距離が間合いに達したときラングートは腰に差していたもう一つの剣を抜く。
「ハッハッハ!! 自分の弱点をそのままにするわけないだろ! 炎剣サラマンダー!! 全てはこの剣でお前を切り裂くためだ!」
ラングートが抜いたもう一つの剣の刀身は燃え上がっているかのように赤白く輝いており熱が籠もっていた。
そして、ラングートが剣を振ろうとする寸前にアリルは想定外の行動に出た。
「“
アリルが振った短剣から真空波が放たれる。
だが、その標的はラングートではない。
「ぐぎゃ……」
断末魔とドタッと倒れる音がラングートを呆然とさせる。
ラングートは隣に目を向けるとそこにはこの戦闘の隙に密かに逃げようとしていたヒューロンの首を切り裂いていた。
ヒューロンの首からは血が噴出し既に絶命している。
「任務完了。さて、チビの所に向かいますか」
いつの間にか距離を離しているアリルはラングートなど眼中になくうーんと伸びをしていた。
「き、貴様!!」
ラングートの叫びにようやくアリルは目を向けた。
「ああ、勝手に盛り上がっているところ悪いのですが僕の任務にあなたは入っていませんので」
「何だと!?」
アリルはラングートを見てクスッと笑う。
「あなたは僕に恨みがあるようですが僕には何一つ戦う理由がないのですよ。一方的に因縁を押し付けられても……僕、困っちゃいます」
嘲笑の笑みと視線を送るアリルにラングートは顔を真っ赤にして怒りに怒る。
「どこまでも苔にしやがって!! 天騎十聖の一人であるこのラングート様から逃げられると思うなよ!!」
「鬼ごっこですか……はぁ、面倒くさい。……ん? 今、なんと言いましたか? 天騎十聖?」
「その通りだ。俺はウェルム様に力を認めて貰い天騎十聖の地位まで貰っている。今頃、恐れをなしたか!!」
「そうでした。他の方々に比べればぱっとしないので失念していました。……そう言えばあなたは天騎十聖でしたね」
そこでアリルは自分のもう一つの役目を思い出す。
「白夜の役目は天騎十聖の排除。……まだ掃除が残っていました」
アリルは立ち去ろうとしていた身体を戻し正面を向く。
「やっとやる気になったか」
天騎十聖と聞いて驚かずにむしろ戦う気を見せたアリルにラングートは戸惑いならも余裕をなんとか表情に出す。
「掃除が終わった後に埃が一つ落ちてきた気分です。……安心してください。鬼ごっこの鬼が変わっただけです。素直に僕を行かしていたら良かったと後悔させてあげます」
「減らず口を!」
そして、アリルとラングートの両者は激突した。
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