第176話 真なる心臓
「ククク、サード。僕とやる気かい?」
前に出てきたサードを見てウェルムはせせら笑う。
「どれだけ君が頑張ろうと結果は既に決まって……ん?」
ウェルムはサードからその後ろにいるデルフに目を向けた。
「あれ? ジョーカーじゃないか。なんでこんなところに……困ったな」
少し面倒くさそうな表情をするウェルムだがそれに対してデルフは呆然と眺めているだけだ。
しばらく沈黙が続きウェルムはすぐにデルフの様子に疑問を持った。
「あれ? 君らしくないな。あれは相当やばかったんだよ。カハミラたちを転移させたまでは良かったけど僕は吹き飛ばされたんだよ。まぁ、おかげで居なくなったサードが見つかったわけだけど。……君がいるんじゃまた一筋縄ではいかないようだ」
デルフは目の前の男が何を言っているのかさっぱり理解できず口を開くことができていない。
当然、それをウェルムが不審に思わないわけがなかった。
「やっぱり何か変だね。……!? もしかして、僕が誰か分からないのかい?」
(だめ、きおくないのがばれる)
核心を突く質問にサードは内心、もの凄く焦る。
自分に注意を引くためサードは動こうとしたが身体が思うように動かなかった。
「今、良いところなんだ。少し止まっといてくれ」
いつの間にかサードの足下には魔方陣が浮かび上がっていた。
それが自分の動きを阻んでいる原因だというのは嫌でも分かるがどんな効果までは分からない。
ウェルムは未だに返答のないデルフを見て口元を釣り上げた。
「ふふ、アハハハハハ!! これは良い。あの大魔法を受けて流石の君でも深手を負っているとは思っていたけど記憶がないなんてね。これは思わぬ収穫だ」
高笑いするウェルムは再びデルフに視線を戻す。
サードは自分に向いていないのにも関わらずその瞳から不気味な殺気が伝わってきた。
「サード、君は後だ。まずはジョーカー、君だ。君さえ倒せば後は烏合の衆。この場で死んで貰うよ」
そうして、ウェルムは地面を蹴り動けないでいるサードを無視してデルフに急接近した。
逃げることを不可能だと感じたデルフは応戦する。
だが、記憶をなくし戦い方すらも忘れているデルフに総団長にまで昇ったウェルムに対抗できるはずなく一方的に殴られ続けていく。
殴られる度にデルフの呻き声が次々と森の中を木霊する。
「やめて……」
デルフの呻き声が自分の痛みのようにずきずきとサードの心を深く抉っていく。
「まさか記憶をなくした君がこれほど弱いとは……呆気ないね」
一発が重い拳をもろに受け続けたデルフはその場に倒れてしまった。
それを侮蔑の視線で眺めた後、ウェルムは帯刀している三本の内の一本の剣を抜く。
「これで君の夢はおしまいだね」
そして、ウェルムは大きく振り下ろした。
「だめ!!」
そのときサードの左目を覆っていた髪がぶわっと舞い上がった。
同時に自身を縛っていた魔方陣がぱりんと音を立てて砕け散る。
自由の身となったサードは子どもとは思えないほどの速度で瞬く間にデルフの前にまで移動した。
そして、サードの左目の見開く力がさらに増しウェルムの剣の刀身を粉々に砕いた。
「へぇ〜」
ウェルムは後ろに下がりサードとの距離を取る。
そして、改めてサードに視線を向けた。
するとウェルムの顔は狂気染みた笑顔に変わった。
「素晴らしい。その目か……。どうやって逃げたかと思っていたけど、やっぱり成功していたようだね。魔眼、素晴らしい力だ」
「そんなのしらない! ジョーカー……まもる!!」
サードはさらに左目に力を入れた。
頭がひび割れそうな激痛が襲ってくるがサードは力を入れ続ける。
「おっと、何か嫌な予感が……」
ウェルムは素早く移動して見えない何かを避け続けている。
実験体としてのサードの身体を弄ったウェルムにはこの力の種を知られている。
しかし、知っているからと言って避けられるものないでない。
全てはウェルムの身体能力と危機察知能力が成す技だ。
「くっ……」
左目には熱が籠もり頬にどろっとした何かが伝うが気にせずに力を使い続ける。
「もっと、もっと、力を……モット、モット!!」
サードの周囲の雰囲気が一変した。
口調も片言となり左目の視界が暗くなるが敵であるウェルムは白い光で強調されて見えている。
ウェルムがいくら素早く動こうともはやサードの反応速度はそれを凌駕する。
「……これは少し遊びすぎたか」
ウェルムが宙を飛んだとき、予めそれを予測していたサードは透かさず左目に力を入れる。
宙に飛んだウェルムの動きが突如としてピタリと止まってしまった。
「ツカマエタ……」
「ちっ……」
そして、サードは開いていた右手を一気に握りしめる。
すると、ウェルムの右足の膝から下が潰れ弾け飛んだ。
ウェルムは片足で着地すると顔をしかめる。
「あーやめだやめだ。粗方、力は分かったしこれまでにしよう」
ウェルムはわざとらしく首を振る。
隙だらけであるがサードは警戒を緩めない。
サードは嫌な程、ウェルムの恐ろしさを知っているからだ。
「確かに強力な力だ。その魔眼に宿る力、念動力は。しかしサード、一つ聞くよ。その力、どうやって手に入れた?」
不気味な笑みを浮かべるウェルムにサードは恐怖を抱く。
素早くウェルムは掌をサードに向けると魔方陣が浮き出てきた。
その魔方陣が高速に放たれサードは躱そうと動くが間に合わず胸の中に吸い込まれる。
直後、サードは身体に違和感を覚えた。
左目に入っていた力が抜け舞い上がっていた髪は再びサードの左目を覆う。
さらにその力に溺れていた意識も元に戻ってしまった。
「うごかない……」
サードは身体を動かそうとするが全くビクともしない。
先程、自身を縛っていた魔方陣はまだ身体を揺らすことまではできた。
さらに不思議なのは力を入れようにも思うように操れないことだ。
「な、なんで」
動揺しているサードを見てウェルムは目を丸くしていた。
「驚いたよ。まさか意識がまだ残っているなんてね。この身体に残っている魔力量じゃ足りなかったのかな。まぁ、遅いか早いかの違いだけで時間の問題だろうけど」
「なにを……」
サードは反射的に尋ねると意外にもウェルムは嬉しそうに説明を始めた
「ふふ、動物を魔物に変える“
さらにウェルムの言葉は続く。
「真なる心臓は黒血を作りだす。つまり、
それを聞いたサードは言葉が出なかった。
嫌な予感がぐるぐると頭の中を飛び交っていくが淡々と言ってのけるウェルムの言葉をただ聞くことしかできない。
既に身体は動かないのだから。
「前の実験ではジョーカーのような失敗作が生まれてしまった。いくら天人を作りだしたと言っても僕の思い通りに制御ができなかったらそれはもう失敗作だ。同じ轍は踏まない。……制御の術式を発動する前に逃げ出したと聞いたときは本当に焦ったよ。ククク、これで君もようやく成功体、いや完全体となれるね」
力が思うように入らず意識もずっと集中しておかなければどこか果てまで行って二度と戻ってこられないような気がしていた。
まるで自分の身体が自分のものでなくなるような感覚にサードは襲われているのだ。
「ぐっ……」
逃げだそうと身体を踏ん張るがやはり動かない。
そもそも力が入らない。
(どう、すれば)
「しぶといね。やはり魔力量が足りなかったのか? いや、何かが君をそうさせている?」
そう言ってウェルムは倒れているデルフに目を向ける。
意識はまだあるがウェルムの拳のダメージがまだ残っているようで小刻みに震えて立ち上がる気配は一切ない。
そして、サードとデルフを交互に見て何かを思いついたようにウェルムの顔が明るくなった。
「そうか、そういうことか。じゃあサード、君の希望を砕いてあげるよ」
「なに、を」
サードは嫌な予感に駆られる。
いや、元々ウェルムは始めからデルフを狙っていた。
立ち塞がったサードは既に無力化されている。
ならばウェルムの行動はただ一つ。
サードの予測通りウェルムはデルフの下にゆっくりと近づいていく。
右足をサードに潰されておりぴょんぴょんと飛んでウェルムは向かっていくがサードの前で煩わしそうに立ち止まる。
「歩きにくいな。仕方がない。だいぶ魔力を使うけど……」
そう言うとサードが潰したウェルムの右足の残った断面から肌色の何か飛び出てうねうねと動く。
そして、それが徐々に形を取りなし新たな右足となった。
あまりにも奇怪な出来事に目の前の男は本当に人間なのかとサードは疑問を抱く。
ウェルムは生えてきた右足に満足しデルフに向かうことを再開したが突然その足を止めた。
サードは何かがデルフを守ってくれたのかと期待したがすぐに裏切られる。
それも最悪な方向に。
「あっ、サードの心を壊すならもっと良い方法があるじゃないか」
そして、ウェルムはサードに顔を向ける。
「精神は抵抗しているけど幸い、身体は言うこと聞くようだし。サード、こっちを向いて」
サードの意志とは関係なしに身体が勝手に動き身体ごと振り向いてしまう。
そして、ウェルムはサードにとって最悪の命令を下す。
「さぁサード、ジョーカーを殺せ」
何の躊躇いもなくそうすっぱりと微笑んだまま言ったウェルム。
(えっ……)
理解が追いついていないサードだがそれでも身体は勝手に動く。
左目に勝手に力が入り右手を突き出してデルフは無理やり立ち上がらせる。
「い、いや…」
こんな惨い命令はあるだろうか。
さらにサードはこのままではデルフに隠していた左目を見られてしまうことにも気が付いた。
自身がデルフの命を奪い、さらにデルフの口から自身に向けて化け物という言葉が飛び出す事を思うと耐えることなどできるはずがない。
しかし、普通なら恐怖で震えるはずの足も自分の意志とは関係なくまるで人形のように直立している。
そして、見えない力で立っているデルフはゆっくりと顔をあげる。
しかし、サードの左目を見たはずのデルフは笑顔を向けた。
化け物と罵られる、もしくは侮蔑の視線を向けられるのではないかと恐怖していたが実際は全くの反対。
(な、んで……)
「大丈夫だ。サード、何も怖がることはない。たとえ僕が死んでもお前のせいじゃないよ」
デルフはそう小声で囁き諦めたような微笑みを向ける。
「それと、気にしていたその目。化け物なんかじゃない。綺麗じゃないか」
そのデルフの言葉がサードの心に突き刺さる。
(き、れい? なんで……)
だが、そのとき痺れを切らしたウェルムは再度サードに命令する。
「遅いよ。本当にまだ不完全だな。もう一回言うよ。さっさとジョーカーを始末しろ!」
サードは右手を少しずつ握りしめていく。
「ぐ、ぐぁ……」
右手が拳に近づくほどデルフの身体も嫌な音がし始め折りたたもうと見えない力が働き始める。
「早くしろ!!」
ウェルムの怒鳴り声でサードの身体は反応し一気に握りしめようと動く。
「だめ!!」
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