第175話 逃亡した実験体
明かりが一切存在せずまるで洞窟のような暗い部屋の中、顔を俯かせた少女が静かに座り込んでいた。
その少女は小汚い布の服を着用しており髪の色は珍しい黒色だ。
「………」
気が付いた時にはこの牢獄に連れられておりそれ以前の記憶は少しもない。
自分が誰かという唯一の手掛かりはたまにこの場所を訪れる派手なローブを纏った青年が自分に向けて言ったサードという言葉。
それが自分の名前だと理解するまでにそう時間は掛からなかった。
サードが手を動かすとそれに合わせてじゃらじゃらと金属の擦れる音が聞こえてきた。
目を向けると両手は鎖で繋がれており足にも枷が嵌められて逃げられないようになっている。
サードが少しで身体を動かす度にその音が耳に入ってくる。
それがまるでここからは逃げられないと言っているようでサードは再び顔を俯かせた。
食事を持ってくる鎧を身に纏った兵士らしき者たちの雑談で暴走したとき暴れないようにするためだと言っていたがサードには何のことだか理解できるはずもない。
そして、先程の派手なローブを身に纏った人物のことをウェルム・フーズム総団長と敬意を込めて呼んでいた。
その人物こそがサードをこの場に閉じ込めた元凶。
何もサードは始めから無感情で何もせずにこの場に閉じ込められているわけではない。
最初に目を覚ましたときは泣き叫び、記憶にもない両親のことを呼び続けていた。
しかし、次第にそれも無駄と悟りなによりウェルムの姿を初めて見たときサードは恐怖で身震いした。
笑顔の中に隠されている狂気を感じ取ったのだ。
人がこうも悪意を内側に隠せることができるのかと自分の目を疑ったほどだ。
同時にこの者からは決して逃げることはできないと確信した。
それに逆らえばどれ程の目にあうのかもサードの頭では想像ができなかった。
ただ形のない恐怖が脳裏を蠢き続ける。
そして、サードは恐怖に負け、何も動じない人形と化してしまったのだ。
誰の言葉にも反応せずただ言いなりになり続ける毎日。
定期的にウェルムにどこかの部屋に連れられるがその後の記憶はなくいつの間にかこの牢屋に戻ってきていた。
あるとき、また目を覚ますと牢屋の中の見慣れた光景が目の前に広がる。
もはや、真っ暗だからと言って驚くことはなくなった。
それよりもサードは自分の身体に違和感を覚えていた。
前よりも身体に熱が籠もっており奥には漲る力がいつ弾け出ようかと踊っているような感覚だ。
昨日までの身体とは全くの別物になったと言われても何も不思議ではない。
それがサードの無感情になっていたはずの心に深く恐怖を与えてくる。
「フテイルに送った魔物が全滅? カハミラ、どういうことだい?」
突然、ウェルムの心から驚いた声が聞こえてきた。
「我々はジョーカーの実力をまだ見誤っていたようですわ。ラングートが勝手に動かしたというのもありますが私もあの力は長持ちできないと考えてそのまま魔物を向かわせました。ですが、私の予想以上にあの力は凄まじく魔物が力を発揮する前に全て……」
「まさか、今まで作り続けてきた魔物がこうもあっさりと……。量産だけでなく質の向上にも努めてきたのに……これは計画に大幅な遅れが出るね」
「申し訳ありません」
「いや、謝らなくて良いよ。むしろ、今分かって良かった。ジョーカーは魔物ではなく僕たち天騎十聖で当たらなければ勝ち目はない。無駄に戦力を浪費するだけ。とはいえ魔物の軍団の制圧力は馬鹿にはできない。ジョーカーがイレギュラーなだけで並みの軍団ならば魔物を向かわせればすぐに片が付くからね」
「では、私は魔物の軍団の立て直しに集中しますわ」
「うん、任せたよ」
「……ウェルム、少しは休んだらどう?」
「いや、戦力の増強はできるだけした方が良い。これは僕らにとっても負けられないんだよ」
「そう……」
最後のカハミラの言葉は固い言い方ではなく親しみを込めた口調になっていた。
そうして、足音とともにカハミラの気配はなくなった。
「……ジョーカー。くっ、どれだけ僕の邪魔をすれば……失敗作のくせして」
どんっと机を叩く大きな音が響き渡る。
「……ジョーカー」
サードはポツリと呟いた。
それからしばらく経ったあるときサードの身に更なる異変が襲った。
目覚めた瞬間、針を深く突き刺されたような痛みが身体中、それこそ頭から足まで広がってきたのだ。
それに合わせて身体の熱も急上昇し意識を保つことが精一杯で身体が一切動かすことができない。
今となっては手足に嵌められている枷が無くともサードは逃げることができないだろう。
「あ、あ……」
しかし、サードはそんな呻き声を上げるだけで泣き叫ぶことはなかった。
そもそも涙はとっくの昔に枯れ果てている。
幼い子どもでは考えられないような感情の欠如。
そのとき、サードの左の目頭が熱くなった。
「え……」
涙など出るはずがないと思い込んでいたサードは驚き思わず声を出してしまう。
恐る恐る頬まで手を近づけるとどろっとした何かが触れた。
「!?」
涙の感触ではない。
では、何か?
サードはゆっくりと何かに触れた手を見てみると手は真っ黒に染まっていた。
「……!!」
思わず顔を背けてしまうがその事実は消えない。
この黒い何かはサードの目から流れ落ちてきたものなのだ。
「はぁはぁ、はぁはぁ……」
未だに信じられない事実にサードの呼吸は激しく乱れる。
そのサードの異変に気が付いた見張りの兵士の一人が牢屋に近づいてきた。
「どうした!? ……ひっ!」
サードが顔を上げると兵士は顔を歪ませて後退りを始めた。
徐々に鼓動が落ち着きつつあり平常に戻ると今までの異変が嘘であるかのようにさっぱりと消えてしまった。
サードは立ち上がり鉄格子に手を伸ばす。
「動くな!!」
外から見ていた兵士が剣を抜きサードに怒鳴りつける。
鉄格子が間にあるというのに剣を構えていることからその兵士に冷静さはない。
しかし、サードにとって目の前の兵士など眼中になかった。
(あのひとが……くるまえに、にげない、と)
サードは左目を大きく見開き右手をゆっくりと持ち上げて突き出した。
掌を大きく開き、そして勢いよく握りしめる。
すると、牢屋と外を阻む鉄格子が勢いよく折れ曲がり子ども一人簡単に抜けることができる隙間ができた。
サードはその穴に向かおうとするがまだ両手両足の自由を奪う枷が残っている。
「じゃま…」
瞬く間にそれらの枷はぱきっという音とともに地面に落ちる。
ようやく完全に自由の身になったサードは鉄格子にできた隙間に足を進める。
だがまだ阻む存在、剣を構える兵士がいた。
「ち、近づくな!! その目……くっ、化け物め!!」
サードが目を向けると兵士は怯えが絶頂に迎えた表情をしながら震える手で剣を振り下ろした。
だが、そのときサードに頭痛が襲う。
「うっ……」
その頭痛の激しさに剣が振り下ろされているにもかかわらずその場に蹲ってしまう。
そして、サードの意識は途切れてしまった。
だが、意識が途切れた時間は僅か数秒ですぐに目を覚ます。
(……?)
周囲を見渡すが先程の兵士はどこにも見当たらない。
不思議に思ったがもしかすると人を呼びに行ったのかも知れないと考えサードは走り始める。
だが、一歩目を踏み出したとき何かどろっとしたものを踏んでしまった。
何とか転ぶことは避けることができたが足下に目を向ける。
真っ暗で分からなかったがようやく赤い水溜まりができていることに気が付く。
しかし、その発生源らしきものは何もない。
「かんがえている、ばあいじゃ、ない」
それからサードは走り続け運良く警備の目を掻い潜り抜け出すことができた。
さらに走り続けとある草原でようやく足を止めた。
今まで牢屋にてあまり動かない生活をしていたのにも関わらずここまで一度も止まらず走り続けた体力。
息切れもない。
(ばけもの……)
サードはふとすぐ近くに流れる川を見つけ顔を洗おうと近づき水面を覗く。
「え……」
自分の顔を見たときサードは激しく動揺してしまう。
化け物の一文字が脳裏に過ぎる。
「い、いや……」
サードは慌てて左目に長い前髪を下ろして隠し逃げるように走り始める。
そこでサードにふとした疑問が生じ動きを止めた。
「逃げるって……どこに?」
両親や親しい者などいない。
そもそもあの牢屋の連れられて来られた以前の記憶が無いのだ。
それに今の化け物となった自分を受け入れてくれる者などいるはずがない。
そう考えたとき、ある名前が浮かび上がった。
「……ジョーカー」
サードはポツリと呟く。
その名前はウェルムとカハミラの会話から出てきたものだ。
幼い頭で考えようやく絞り出した名前。
それが誰だかは分からない。
だが、サードはその者に頼ることにした。
(あのひと、きらってた。つまり……いい人)
そして、サードはまたも左目を大きく見開き周りを見渡す。
「あっちに……なにか、かんじる」
そして、サードは長い時を経てとある洋館に辿り着いた。
さらに数週間経った後に川に黒コートを纏った青年が流れ着いていたのだ。
サードは一目見て確信した。
この人があのジョーカーだと。
自分の身体に異変が起きたあのときから漲る魔力と殆ど同じような魔力を身に纏う青年。
サードは側にいるだけで安心という暖かな気持ちになった。
父親のことは一切知らないがもし居たとしたらこんな気持ちになっているだろうかと何回思っただろうか。
忘れてはいけないことだがサードはまだ子どもだ。
こんな幼い頃から両親を失いずっと孤独を耐え続けてきた。
そんな少女がごく一般的な愛情を求めることに何の不思議があるだろうか。
サードがその青年デルフに対して心を完全に許すまでそう時間は掛からなかった。
僅か数週間だったがデルフと過ごした日々はサードにとってかけがえのない物になっていた。
しかし、サードは自分の秘密を言えないでいた。
自分が化け物だと知ればもしかするとデルフはどこか行ってしまうのではないかと考えずにいられないのだ。
それでもいずれは言わなければならない。
だが、その前に小さな足音で楽しかった生活は終わりを告げる。
こちらに向かってくるウェルムの姿を見たサードは震えが止まらない程怯えてしまっていたが隣にいるデルフの姿で勇気が出てきた。
今のデルフは記憶を失い体調も万全ではない。
はっきり言って戦える状態ではない。
サードは熊のぬいぐるみを抱いている手に力を入れてデルフの前に出る。
(かぞくごっこは……もう……っ! ……もう! おし、まい。まえを、むかないと!!)
たとえ、デルフが自分を見限ったとしてもサードは守るため力を使うことを決意する。
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