第177話 黒の帰還
サードがずっと隠してきた左の瞳は白の部分は一切なく黒で染まっていた。
瞳だけに止まらず目の周りにも黒い亀裂のようなものができており一層禍々しく見えてしまう。
サードが隠したがるのも無理もない。
だが、デルフにはそれを見て恐れや恐怖は全く感じなかった。
むしろ、最近の生活の中でサードと一緒に眺めた夜空のように見え綺麗に見えた。
だから、決して綺麗という言葉はお世辞ではなく本音を包み隠さずに出たものだ。
サードは信じられないと言った表情で見詰めてくるがデルフはそれに微笑みで返す。
これから起きる出来事によって生まれる心の傷を少しでも和らげるために虚勢を張らなければならない。
むしろ逆効果かもしれないがデルフにできること、考えつくことはそれしかなかった。
目の前にいるウェルムという名の男の強さは桁違いでデルフの大振りの攻撃など掠りもせず、さらにはサードの身体を操りその心に深い傷まで残そうとしているほど狡猾さも兼ね揃えている。
そんな人物相手に勝つ未来など見えるはずもなくデルフは大丈夫だとサードに向けて微笑むことしかできなかった。
(サードには深い傷を残してしまうが、もう僕には何も……)
全てを諦めゆっくりと目を瞑るとサードが右手を握り始めたと同時に謎の負荷がデルフを襲い身体の至る所から軋む音が頭に響き始めた。
(ぐあ……ッ!!)
呻き声をだすことすら許されない激痛がデルフを襲う。
しかし苦しみの中、内心でデルフはこれでいいと思っていた。
自分ができることは全てやった。
これ以上は何もできることはないと。
穏やかな心のままデルフはサードによる念動力に抵抗もせず身体の力を抜いた。
(これでいい。これで……)
掠れ行く意識、徐々に真っ暗な世界へと落ちていく。
しばらく経ち目を開けるとそこは前にも来たことの覚えがある真っ白な世界だった。
「……ここは?」
デルフは周囲を見渡すが何もないただの白に染まった空間だ。
地面も白、空も白、その彼方を見ても白しか見えない。
大きな白い箱に入れられたと言っても納得できるぐらいだ。
『また逃げるのか?』
その声の主はいつの間にかデルフの目の前にいた。
それ以上に驚いたのはその人物が自分自身だったことだ。
しかし、その姿はデルフの知る元の姿ではなく失った記憶の中で大きく変化した自分の姿だった。
黒コートを身につけ長髪で中性的な顔立ちの男性。
右手には禍々しい黒の義手が光で輝いている。
その鷹のような黄色く鋭い瞳で見詰められると殺気のような寒気を感じてしまう。
そこでデルフはようやく気が付く。
自分の身なりと身体が変わっていることに。
いや、元に戻っていると言ったほうが正しいだろう。
右手がありその甲には紋章が描かれている。
慣れ親しんだ村人の姿だ。
この世界は?
なぜ自分が目の前に?
この姿は?
など、色んな疑問が次々と生じるがそれよりも先程目の前の自分が言っていた言葉が気になっていた。
「また逃げる……また?」
『まだ忘れているのか。思い出せ。お前の大切なものを。それは決して忘れてはならないもののはずだ』
「大切な……ぐっ!」
デルフの頭にひび割れたような痛みが突如として襲ってきた。
『弱い者、困っている者を助ける。そのために強くなる。それがお前があのときに立てた誓いなのだろう。たとえ姿が変わってもその誓いだけは守り続けていた』
目の前の自分が放つ言葉の一つ一つがデルフの奥に眠る核心を突いてくる。
だが、あと一歩が思い出せない。
そのとき雪のような白い髪の女性が頭に浮かぶが顔が鮮明には映っていない。
自分を呼びかけているように感じるがそれも遙か彼方から呼ばれているかのようにもの凄く小さな声量だ。
そのとき白の世界に佇むデルフの姿が徐々に色褪せてきた。
『さぁ、行ってこい。最後まで諦めるな。お前は強い。誓い通りにあの娘を助けてやれ』
しかし、デルフは久しい頭痛と耳鳴りからそれどころではない。
必死に痛みに耐えているうちにこの白の世界から姿を消した。
一人、その場に残った黒のデルフはふうと息を吐く。
その瞬間、見た目が少しだけ変化した。
『全く世話が焼ける奴じゃ。じゃが、そろそろじゃろう』
面倒くさそうにそう呟く女性だがその表情はそこはかとなく笑みを浮かべていた。
目を覚ますとデルフはサードが必死に抵抗している姿が目に入った。
不思議と今は先程襲ってきた耳鳴りはない。
サードの念動力の骨ごと押し潰そうとする激痛はあるがそれは先程まで感じていた頭痛とはまた別だ。
(あれは夢? いや、夢じゃない。しかし、どうやって助けろっていうんだ!? 俺は弱いじゃないか!)
そのときサードの抵抗も限界に達しサードが右手を全力で握りしめようとした。
「だめーーッ!!」
サードが泣きそうな顔で叫びデルフもここまでかと諦めかけたとき、デルフはもう一人の自分の言葉を思い出す。
(最後まで諦めるな……か)
デルフはその言葉を飲み込み死ぬ恐怖を押し退けてサードの後ろにいるウェルムに向けて不敵な笑みを浮かべる。
ウェルムはデルフが何かするのではないかと警戒しているようだがこれはあくまで虚勢だ。
策などなにもない。
だが、気持ちは誰よりも強かった。
そのとき、上空から何かが落ちてきた。
「なんだ!?」
その何かはウェルムの目の前までに降り立つと両手の短剣を振り回してウェルムに斬り掛かった。
「ちっ!」
ウェルムはそれを容易く躱すがその弾みにサードの制御を手放したらしくサードの力が抜けその場に倒れ込んだ。
しかし、少し遅くデルフの義手である右腕が砕かれてしまった。
だが、それはあくまで義手でありデルフ自体にダメージはない。
まさに九死に一生を得たと言って良いだろう。
「さすがは敵の首魁。完全に虚を突いたと思いましたが……。では、これでどうでしょうか」
桃色髪の少女は両手の短剣を高速に回し始めた。
「“
その回転から放たれた二本の竜巻は真っ直ぐそれでいて目にも止まらない速度でウェルムに向かっていく。
「面倒くさいな!」
ウェルムは両手を突き出しそれを受け止める所作をする。
その行動に少女は少し顔をしかめる。
「まさか……」
二本の竜巻はウェルムの両手に衝突したが少女の危惧通りしばらく経つとその威力を弱まっていきやがて完全に消失してしまった。
少女の全力の攻撃はウェルムが両手に付けていた革手袋を引き裂いただけに過ぎなかったのだ。
「これでも駄目ですか」
「全く、次から次へと邪魔ばかり!」
不機嫌な様子を露わにしたウェルムは殺気を少女に飛ばす。
反射的に少女は後ろに下がるがそれは悪手であった。
その瞬間にウェルムは右手を突き出した。
「本当に邪魔だよ!」
その手から放たれた衝撃を一直線に下がっている少女に避ける術などない。
少女は次々と木々をなぎ倒すほどの勢いで後ろに弾き飛ばされてしまった。
だが、ウェルムも少し顔色が悪くなり少し立ち眩みをしている。
「……思いのほか魔力を使いすぎてしまったようだね」
サードの念動力から自由の身となったデルフは這いずってサードの下まで近寄っていく。
「サード。大丈夫か」
サードは意識はまだあるようだが随分と疲弊し言葉が出てこない様子だ。
左頬には目から流れ出た黒い涙の跡があった。
それを見て狼狽えるがサードが言葉の代わりにこくりと頷いて返答したことで一先ず安堵する。
「あの少女のおかげ助かったが……」
デルフは桃色髪の少女を心配するが飛ばされた先を見てみると先が真っ暗になるほど木々が薙ぎ倒されていた。
デルフの視力を持ってしてもその少女の安否を確かめることはできない。
だが、今は色々と確認している場合ではない。
まだ全てが終わったわけではない。
デルフはウェルムへ目を向ける。
いや、正確にはその右手に目が行ってしまった。
「…………」
言葉が出なかった。
ウェルムの右手、その甲にある紋章の形。
それはデルフにとって見覚えがあるものだったからだ。
そして、今までに比べ物にならないほどの激痛がデルフの身に降りかかった。
耳鳴りももはや外の声が聞こえなくなるほど、鼓膜が破けそうになるほど大きくなり頭の中がぐるぐると駆け回るように動いていく。
「ぐっ、ああああああ!!」
『……フ! ……ル……!』
その場でのたうちまわるデルフ。
ようやくウェルムはデルフたちに再び目を向けた。
「どれだけ……どれだけ邪魔をしようと、何度もするだけさ!」
再びサードに向けて魔方陣を放つ。
「いや……ッ」
またも無理やり立たされたサードはデルフの身体を念動力で持ち上げた。
既にデルフは苦痛に歪む声は消え去り黙りこんでされるがままになっている。
逆にサードの顔は涙で溢れており気持ちだけの抵抗を必死にしているが身体は勝手に動いてしまう。
「さぁ今度は苦痛を与える暇なんてないよ! もう一思いにやって……なっ!」
ウェルムが驚くのも無理はなかった。
念動力で拘束されたデルフの姿がいつの間にか消えていたからだ。
「どこだ!?」
ウェルムは慌ててデルフの姿を探す。
上空や背後、その周りも。
しかし、デルフはサードのすぐ隣にいた。
それに気が付いたウェルムは怒りが最大まで溜まったらしく拳を握りしめている。
「何をしている! サード! さっさとジョーカーを……」
「黙れ」
デルフの鋭い殺気によりウェルムは怯みその顔色に警戒が色濃く増す。
そんなことお構いなしに興味がなさそうにウェルムから目を逸らし今の殺気が嘘のように柔らかくなり黒い血の涙を左目から溢れさせているサードに優しく語りかける。
「サード。大丈夫だ」
デルフは膝を突きそっと左手をサードの心臓部に近づける。
すると、サードの身体は力が抜けたように崩れ落ちた。
それをデルフはすぐさま支える。
「もうお前が操られることはない」
その言葉を聞いたサードは戸惑っていたがすぐにデルフの服に顔を隠してしまった。
デルフはほっと胸をなで下ろすが頭の中からさっきまでは耳鳴りだった声が突き刺すような声量で怒鳴りつけてくる。
『全く心配させよって。遅いんじゃ。お前は!』
(すまない。心配かけた。だが、もう大丈夫だ)
やがて、デルフの胸に顔を隠していたサードは自らデルフの支えから離れ自分で立ち上がった。
それに合わせてデルフも立ち上がる。
そして、警戒しているウェルムに目を向けた。
「皮肉なものだな。まさか記憶が戻るきっかけがお前だとはな」
その言葉を聞いたウェルムは引き攣った笑みを浮かべる。
「ククク、全くだね。少しむかつく皮肉だ」
「これでお前の勝機はなくなった。覚悟は良いか? どうせそれも分身だろうがな」
「ご明察。だけど勝機がないとは心外だね。天人の能力であるこの分身体は本体の力に等しい。勝負はこれからだと思うけどね」
しかし、デルフは余裕げに笑う。
「気付いていないと思ったか?」
「……」
ウェルムの顔に笑みが消えデルフを睨み付ける。
そこに余裕は一切なかった。
デルフの目には見えているのだ。
ウェルムの内在する魔力量の著しい低下を。
しかも回復する兆しが全くなかった。
「どうやら分身体には失った魔力を回復する手段がないようだな。いくら強くても魔力がなければお前は常人だ」
「ほざいたね」
「褒め言葉で言ったつもりだが?」
そして、デルフとウェルムは戦闘態勢に入った。
(残っている全魔力が蠢いている。これは本気でやらなければ不味いか)
『とはいえ“黒の誘い”は病み上がりの身体じゃと負担が大きい。できるだけ早く始末をつけるぞ』
(そうか)
そこでリラルスとの会話を打ち切りチラッとサードの様子を窺うとデルフのコートを掴みウェルムを睨み付けていた。
(戦意はあるな。強い子だ。それだけに悲しい子だ)
強いと言うことはそれだけの経験をしてきたということ。
数年しか生きていないこの少女がだ。
本来ならば後ろに下がらせるべきなのだろうが今のデルフは本調子ではない。
頼りたいというのが本音だ。
(情けない話だ)
『ふっ。下がれと言っても聞きそうにないからのう。どちらにせよ同じ事じゃ』
一先ず、デルフは先程潰された右手を作り直す。
開いたり握ったりを繰り返して動くことを確かめているとデルフの隣に先程の桃色髪の少女が降り立った。
顔を見ずにデルフは口を開き捲し立てる。
「詳細は後で聞く。まずは敵を片付ける。アリル、いけるか?」
「もちろんです!」
「サード」
こくりとサードが頷く。
そして、デルフとアリルは同時に走り始めた。
挟み込むように左右からの二人の突撃にサードが中央でウェルムと対面している形だ。
ウェルムはデルフたちを無視してサードに再び魔方陣を放った。
しかし、サードには何の変化もなくずっと睨み付けたままだ。
「もう、制御は効かないか。サード、どうやら君も失敗作になってしまったようだね。失敗作はしっかりと処理をしなければいけない。……皆殺しだ」
ウェルムは腰に差していた三本の剣をそれぞれに飛ばした。
これはかつての騎士団長ハルザードの“飛繰剣”という技だ。
だが、明らかに威力と速度が少ない。
これからでもウェルムの魔力量は底を尽きかけていることが分かる。
デルフとアリルは容易く躱しサードはその剣を途中で見えなくなるほど捻り潰してしまった。
それを見て煩わしそうにしているウェルムを見てその隙にデルフは姿を眩ます。
ウェルムが気が付いた時にはデルフはその背後にいた。
「ジョーカー!!」
デルフは叫ぶウェルムの背中を有無を言わせずに蹴り飛ばす。
「アリル!」
その飛ばした方向には既にアリルが短剣を構えて待っていた。
「“
タイミングを合わせて放ったアリルの竜巻はウェルムを飲み込んだ後、直角に折れ曲がり上空に連れて行く。
覆っていた木々を細切れにしながら竜巻は直進していき真上は青空が一面に広がった。
ウェルムは体勢を持ち直し竜巻を弾き飛ばす。
そして、空中に佇みデルフたちを見下ろした。
「本当に、本当に! うざったいね! ジョーカー、母上の亡霊が! そろそろ消えたらどうだい!」
ウェルムは右手を上に翳した。
すると、上空一面に魔方陣が浮かび上がり何万何千という刀身が顔を見せた。
「不味いな……」
どんな魔法か予測ができたデルフは即座に動く。
勢いよく飛び上がりウェルムを超え魔方陣のすぐ近くまで迫る。
それに構わずウェルムは構築した魔法を解き放つ。
「神に逆らう悪徒ども、滅ぼす刃は新世界の道となる。降り注げ! “
魔方陣から刀身を見せていた剣がついに地面に向けて降り注いだ。
剣と剣の間に隙間はない。
つまり逃げ場はなかった。
(リラ!)
その言葉に反応してデルフの左手に魔力が籠もる。
『少し身体に堪えるが仕方あるまい。“
デルフは思い切り左手を振るとそこに宿っていた魔力が球体となって魔方陣に目掛けて豪速で飛んでいく。
そして、しばらくしてその球体に闇のような黒い光を放ち爆発した。
その爆発は一度だけではなく連鎖するように何度も何度も起こりやがて魔方陣全体、降り注いでいた剣も全て黒の瘴気が飲み込んだ。
「なんだと……」
ウェルムは唖然とその光景を見ていることしかできていない。
黒の瘴気が晴れたときにはウェルムが使った魔法の痕跡は微塵もなかった。
何とか危機を脱することができたがこれでデルフの魔力も空となってしまった。
しかし、何も考えずに魔法を使ったわけではない。
そもそもデルフは自分がこの分身体に止めを刺すつもりなど毛頭なかった。
「サード!」
何も説明せずとも分かっていたサードは左目に力を全力で入れた。
髪が舞い上がり黒に染まった眼が露わになる。
力を限界まで入れたためか目の周りには黒の亀裂のような線が浮き出てくる。
先程は何度も逃げられていたが疲労も限界に達したウェルムを捕捉することは簡単だった。
そして、右手を突き出しゆっくりと握り始めた。
「ぐっ!!」
最初は抵抗していたが先程の大技で魔力を使い果たしたウェルムに逃げる術など存在しない。
「……ここまでのようだね。まさか、あの状況からここまで追い込まれるなんて。ジョーカー、次、会うときは本体で相手するよ。君は僕の手で必ず……殺してやる」
「勝つのは俺だ。お前の野望はそのときに終わる」
そして、ウェルムの分身体は上下、四方からの圧力によって耐えきれず黒い液体を撒き散らして弾け飛んだ。
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