第166話 英雄との衝突
「立てるか?」
デルフは片手を地に座っているフレッドに差し出す。
「ええ、もちろん」
フレッドはその手を握りゆっくりと立ち上がった。
そのとき、デルフの背後からどんっと何かが落ちてきたかのような音が風圧とともにデルフたちを通り過ぎる。
背後に視線を動かすと不敵な笑みを浮かべたジャンハイブが立っていた。
「ジャンハイブ」
ジャンハイブが舞台に降りてきたことで決勝戦が終わったときを越える大きな歓声が轟いた。
「フレッド!!」
その歓声の中から際立つ高い声が聞こえてきた。
いや、観客席からではなくその声はすぐ近くからのものだ。
デルフがその方向に視線を向けるといつの間にかサフィーが舞台の場外まで駆けつけていた。
「お嬢様」
フレッドの言葉を待たずサフィーは舞台によじ登ってフレッドの下に急ぐ。
その途中で躓いてしまい転びそうになるがそれを事前に察知していたフレッドは既にサフィーのすぐ近く移動しておりその身体を支える。
「た、助かったわ。フレッド……」
自分が心配で迎えに来たはずが逆に介抱され顔を真っ赤にするサフィー。
「あれは、モラーレン殿のご令嬢か……」
先程までの笑みを忘れて顔を曇らせたジャンハイブは低い声でポツリと呟いた。
「それでフレッド、大丈夫なの?」
「ええ、見ての通り動作に何一つ不自由はございません」
「そう、それならよかったわ……」
そう安心した顔を見せたのも束の間、気が付いたようにサフィーはジャンハイブを睨み付ける。
ジャンハイブは何も言わずにその視線を真摯に受け止めた。
そして、サフィーとフレッドは舞台から下がって行く。
その最中、デルフの隣まで来て囁くようにサフィーが口を開く。
「フレッドに勝つなんて中々やるわね。あなたのこと……少しは認めてあげるわ。だけど勝ったからには必ず勝ちなさいよ! ふんっ!」
サフィーはそのまま小走りで走り去っていく。
「お気を悪くしたのなら申し訳ありません。ですが、お嬢様なりの褒め言葉ですので」
「ああ、分かっているさ」
「では、ジョーカー様。ご武運を」
そう言ってサフィーの下を追おうとしたフレッドに観客席からパチパチと一つの拍手が聞こえてきた。
その拍手に連れられて少しずつ増えていきやがて闘技場全体を覆った。
「こ、これは……」
デルフは観客席に佇む変装をしている主人に目を向けて微笑む。
「まぁ、お前もこの国の民に認められたってことだ。受け止めておけ」
戸惑っていたフレッドはなんとかこくりと頷き観客席に向けて一礼をする。
その後、場外で座っているサフィーの下に戻っていった。
どうやらそこでデルフとジャンハイブの戦いを見届けるようだ。
フレッドが危険だから観客席に戻ろうと言っているようだがサフィーは頑なに止まっている。
やがて、フレッドも諦めてサフィーの斜め前に移動する。
そうして舞台の上に今いるのはデルフとジャンハイブだけになった。
サフィーたちが下がったのを見計らいジャンハイブは大きく息を吸い込んだ。
「これによって優勝はこの者に決まった! この者には優勝賞金が与えられる。だがそれだけではない! もう一つ! 皆も知っての通り、この俺への挑戦権が与えられる!」
その言葉で歓声は最高潮に達する。
ジャンハイブはデルフに視線を移動させ尋ねる。
「どうだ? 戦うか?」
「ああ、もちろん」
デルフは頷くとジャンハイブは口元を釣り上げた。
「そうこなくてはな! それでは!
ジャンハイブは着用していたマントと煌びやかな服を投げ捨て半裸となった。
そして、玉座の近くに控えている兵士に目配せをする。
その兵士が腕を上げると試合開始のゴングが鳴り響く。
いよいよ、この武闘大会最後の試合が始まった。
「今思えば……この戦いは無理があるな。連戦を重ねた後では満足に戦えもしないだろう。何せ初めての試みだ。許せ」
全く心配してなさそうな表情で言ってのけるジャンハイブ。
「だからといって手加減をしたら痛い目を見るぞ」
「ハッハッハ。そんなつもりなどない。むしろ逆だ」
デルフは首を傾げる。
「あの黒の魔法。一度も攻撃に用いていなかったな」
「あの魔法は加減が難しいんだ。下手をすれば殺してしまう」
「構わん。この戦い、お前の全力を見せろ!」
「……本気か?」
「俺が死んでも負けは負けだ。ボワールはフレイシアと同盟を結ぶ」
「無茶言うな」
デルフとしてはまだジャンハイブに死んで貰うわけにはいかない。
王権が変わったばかりのボワールは脆くジャンハイブという王の存在によって成り立っている。
その王が不在となればどのような行動を取るか予想も付かない。
死んでも同盟を結ぶとジャンハイブはそう言うが王の仇との同盟は快く思わない者が殺到するだろう。
(厳密には陛下との同盟であって俺は関係なしということになるが……重臣には俺の事を伝えているだろうしな)
間違いなくジャンハイブがデルフの手によって命を落とせば今後フレイシアとボワールの間に遺恨が残ってしまう。
(それを見通せないジャンハイブではないが、どうやら戦いの高揚感で舞い上がっているようだな)
『それほどお前との再戦を心待ちにしておったようじゃの』
そのジャンハイブの期待を裏切るようで悪いがデルフはこの戦いで“黒の誘い”を攻撃に用いるつもりはない。
これ以上言葉を続けてもデルフが折れないと察知したのかジャンハイブは構えを取る。
「ならば、出させるまでだ!」
そして、ジャンハイブは地面を蹴った。
迫ってくる最中にジャンハイブの姿に異変が生じる。
「“
半裸だった身体は鋼色の鋭利な鱗で瞬く間に埋め尽くされた。
「紋章術……? 始めから全開でくるか!」
ジャンハイブは大きく振りかぶって拳を放つ。
もちろんその拳にも鱗がびっしりと敷き詰められている。
デルフは両手を交差させそれを防ぐがその衝撃は凄まじくあっという間に場外に飛び出して壁に衝突した。
壁に大きな穴を作ったほどの威力だがデルフは倒れることはなくすぐに舞台に戻る。
だが、そのとき腕に激痛が走った。
「動揺して左を上にしてしまったか」
攻撃を受けた左腕は折れ曲がっていた。
それだけではなく鋭利な鱗によって酷い裂傷も付けられている。
もし、交差させたとき右腕である義手を前にしていればまだ軽傷で済んだだろう。
「ちっ……これは俺のミスだな」
デルフは右手で折れた左腕を掴み意を決して思い切り引く。
「……ッ」
ほぼ直角に折れ曲がっていた左腕を戻してしばらくすると痛みが引いてきた。
その次には何も不自由なく動かせるまでになっている。
それを見たジャンハイブは目を細める。
「なるほど、薄々感じていたが並大抵の攻撃じゃすぐに治ってしまうようだな」
「今度は俺の番だ」
そう言ってデルフが走り出す。
しかし、ジャンハイブはその速度を目で追ってくる。
だが、追うと防ぐのでは勝手が違う。
デルフは更に速度を上げジャンハイブの背後を取った。
そして、首元へ全力の蹴りを飛ばす。
その足は間違いなくジャンハイブの首にへと直撃した。
「ぐっ……」
デルフの身体能力はボワールとの戦争のときよりも数十倍は跳ね上がったがそれでもジャンハイブの鱗を砕くまではいかなかった。
精々は僅かに罅を入れたくらいで微塵もダメージを受けているようには見えない。
むしろ、跳ね返ってきた衝撃がデルフの足を蝕む。
僅かな攻防だったがそこで両者の動きが止まる。
今まで見たこともないレベルが高い戦いに観客たちの熱気は凄まじい。
歓声の渦に捕らわれてしまったみたいだ。
だが、デルフはそれを気にするどころではない。
守りが一番薄そうな首元を狙ったのだがそれをも防がれるとなると何処を狙っても意味がないだろう。
デルフは頭を悩ます。
「見事だ。魔力を込めていないただの蹴りで俺の鱗を傷付けるとはな。だが、それだけでは俺を倒せないぞ!」
「仕方がないか」
デルフは両手の拳に力を込める。
すると、そこから黒い力の大きな渦が出現した。
見るだけで禍々しいそれは観客たちの言葉を奪い沈黙に導く。
だが。ジャンハイブは笑みを浮かべていた。
「ようやく使う気になったか」
デルフは冷静になって集中を保つ。
(リラ、効果を最小限まで弱めることはできるか?)
『元々、手加減をするような力ではないからのう。上手くいくとは限らぬが……もしかすると逆に多くの魔力を消費するかもしれん』
(頼んだ)
『ふふ、了解した』
デルフの身体を飲み込まんと膨れ上がっていた。
だが、やがて収束し拳の周辺を渦巻くだけとなった。
「さぁ、第二回戦だ!」
そして、ジャンハイブが動く。
しかし、動くと言ってもその場から拳を振りかぶっただけだ。
「?」
だが、全力で拳を振ったときそこに纏っていた鱗がさらに増幅し浮かび上がってきた。
増え続け密集した鱗がそのまま拳の形となりデルフに襲いかかる。
頬に掠りはしたもののデルフは寸前で躱しその鱗を隠れ蓑としてジャンハイブに迫っていく。
ジャンハイブが気が付いた時には既に遅い。
デルフはジャンハイブに向けて拳を放つ。
それをジャンハイブは左手で受け止める。
そのとき左手に纏っていた鱗に異変が生じる。
「!?」
デルフの拳を防いだ鱗は黒く染まり始めていたのだ。
しかし、その黒く染まる速度は今までとは限りなく遅い。
それでも放っておけばジャンハイブの死は決まっている。
「これか……」
そう呟くとその鱗がぽろっとその身から離れ代わりに新たな鱗が生えてきた。
地面に落ちた鱗はやがて黒に染まりきり灰となって消え去ってしまう。
「やはり、かなりやばい代物を隠していたな」
ふっと笑いジャンハイブはデルフに視線を戻す。
デルフもほっと胸をなで下ろして構えを作る。
(賭けだったがこれでさすがジャンハイブだ。これで心置きなく戦える)
デルフは両手に込めた魔力が暴走しないように集中する。
リラルスも手伝ってくれているが念には念をだ。
(しかし、今思うと……信じられないな)
『ん? 何がじゃ?』
(元を正せば俺はデストリーネの辺境の村の村人だ。まさか、他国の英雄と張り合うまでになるなんてな)
『今更じゃのう。この力がなくとも副団長とやらまで登り詰めたくせに。しかし、全てはお前の実力じゃぞ』
(そう……いいや、俺たち二人の実力だ)
『ふふ、嬉しいことを言ってくれる』
そう二人で会話をしているとジャンハイブが言葉を掛けてきたためすぐさま意識を向ける。
「打撃だけではない。……いわゆる浸食か。これは俺の鱗でも防げんな」
絶対的優位が崩れてしまったはずなのにジャンハイブは笑みを崩さない。
「どうだ。ジョーカー。もはや小細工はなしとしよう。全力で殴り合うのみ」
「受けて立つ」
そして、二人は同時に走り出した。
ジャンハイブの武術には何処か見覚えがあった。
「これはロールド殿の……」
「確かにあの爺から指南を受けたが俺は免許皆伝している。その差は……感じ取れ!」
ジャンハイブの拳がデルフを吹っ飛ばす。
「ちっ……」
ロールドの武術に加えジャンハイブの純粋な力と紋章術である鱗。
まさにロールドの弱点を全て補っている。
しかし、それでもロールドより劣っているところがあった。
それは防御の甘さだ。
デルフはジャンハイブの隙を突き脇腹に拳を入れた。
鱗を次々と灰に変えその衝撃は生身に到達する。
「……なかなか」
ロールドは魔力を使っていないとはいえデルフの攻撃を全て防ぎきるほどの体術だったがジャンハイブはそれに比べるとまだ甘い。
恐らく防御の面は鱗に任せっきりだったのだろう。
しかし、デルフの魔法はそれを掻い潜る。
そして、お互いがその場に立ち止まり怒濤の攻防が始まった。
二人とも全てを出し切るかのように一歩も引かずにただ殴り合う。
デルフは拳を放ち続ける度に鱗を黒に変えていき、ジャンハイブは“黒の誘い”が浸食しきる前に鱗を剥がし再度鱗を生やす。
鋭利な鱗の攻撃によってデルフは防ぐだけでも裂傷は免れない。
“黒の誘い”を発動させているとは言っても触れてから効果を発揮するため一回は受けきらないといけないのだ。
しかし、辛いのはデルフだけではない。
ジャンハイブも鱗を出現させるのに膨大な魔力を使うらしく段々と疲労が目に見えてきている。
やがて両者ともに後ろに下がった。
魔力が共に底を尽き、デルフの手に纏っていた黒の瘴気は消え失せジャンハイブも鱗が全て剥がれ落ちた。
溜まっていた息が吐き出されお互いに腰を折って息を整える。
「はぁはぁ……。まさか全くの互角とはな。いや、違うな。本気は本気だが、試合用の本気と言ったところか。ははは、俺相手に手加減か。……初めての経験だ」
しかし慣れない魔力操作のせいで無駄が多くデルフの魔力も枯渇している。
「どうやら、次で決着だな」
「そのようだ」
そして、デルフとジャンハイブは共に地面を蹴った。
誰もが目を離さずにその決着を見届けようとして固唾を呑んでいる。
しかし、二人の決着は付くことはなかった。
敵はそんなことを知ったことではないからだ。
ただただ己の役目を全うするだけ。
そのとき、二人の間に何者かが立ち塞がった。
「!?」
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