第114話 緊急事態

 

 地下牢獄のさらに奥。


 しばらく進むと牢獄の小汚さが打ち消されるような豪華な木の扉が立ち塞がっている。


 扉を開けるとそこは宝石や高価な骨董品が多数置かれた煌びやかな部屋が広々としていた。


 平均的な個室が四つ分と言っても差し支えない広さだ。


 扉から直進した先には成人男性よりも一回り二回りも大きい巨体の男がこれまた見ただけで高価だと分かる机の前に座って何かを磨いていた。


 服装は看守の制服を身につけているが普通とは全く違い悪趣味な金をふんだんに使った装飾品がいくつも付けられている。


 この者がこの刑務所の看守長のフォロノミだ。


「ひっひっひ。次はどのようにあの小娘をいたぶってやろうか」


 フォロノミは何年も前に入獄した桃色髪の少女の怯えた顔を想像してにやけが止まらなかった。


 フォロノミが大きな手で磨いている小さな物、それは拷問器具だ。

 手が大きすぎて拷問器具が小さく見えていたのだ。


 よく見るとそれには薄い赤色がこびりついている。


 フォロノミは囚人たちをいたぶるのを趣味に持っている。

 情報を聞き出すのが目的ではない。

 ただただ、いたぶることが目的なのだ。


 その行為は規則違反であるが表にでない死刑囚を使っているため看守内では暗黙の了解となっている。

 そもそもフォロノミに指図できる者などこの監獄内には一人しか存在しない。


 フォロノミはあることを思いだした。


「ちっ。所長のやつめ一つ階級が上だからと言って偉ぶりやがって。しかし、今に見ていろ。俺はもうすぐで大出世だ」


 看守長であるフォロノミは隊長に匹敵するほどの実力を持っていたがなれなかった。


 なぜならあのドリューガを越えるほどの人格破綻者だったためだ。


 上からの命令に従わない、気に入らなければ誰であろうと攻撃するなど例を挙げればきりがない。


 何より囚人を自分の玩具にしていることからも明らかだった。


 しかし、そんな者を放っておくことはできなく刑務所の看守長という地位につけたのだ。

 いざという時は即座に牢に入れるため。


「それもこれも全てはジュラミール様のおかげ」


 フォロノミはジュラミールからもうすぐ天騎十聖の末席に加えてくれるという話を持ちかけてくれたことを思い出す。


「前王のハイル様よりも話が分かる御方だ。ひっひっひ、ようやく表立って殺しができるようになる……。所長の奴も顎で使えるようになるのか……」


 フォロノミは自分が出世する想像をしながら不気味な笑いを続ける。


「しかし、あの小娘はいい。ずっと怯えて頭を下げ続けるあの様。いくら見ても飽きない」


 最初は小娘があまりにも副団長で現在では反逆者と堕ちたデルフのことを特別視しており生意気だった。

 なのでデルフは死んだと小娘に伝えたときからずっと狂ったように泣き叫び面白くなった。


「頑固な奴だったが蓋を開けてみればなんと脆い奴よ」


 フォロノミは己の手を見る。

 そこには細かな斬り傷の跡が多々あった。


 だが、フォロノミの手の大きさからしたら小さすぎる傷だ。


「最初は抵抗を繰り返していたが、ひっひっひ。心を折る快感は唯一無二のもの」


 拷問器具の粗方を磨いたフォロノミは自身が大事にしている短剣二本を机から取り出した。


「本当にこれはいつ見ても惚れ惚れする」


 フォロノミが保管庫で一目惚れし盗み出した短剣だ。

 元々は囚人の誰かのものだろうがフォロノミには関係ない。


 暇があればいつも磨き込んでいるほどこの短剣に惚れ込んでいる。


 フォロノミは嬉々としてその短剣の手入れを始めた。


 そのとき、フォロノミの気分を壊すように外から走ってくる騒がしい足音が響いてきた。


 そして、扉が思い切り開けられ看守の一人が息を切らしながらフォロノミに視線を向ける。


「看守長! 緊急事……」


 大声で怒鳴る部下のすぐ隣に何かが飛んできて壁に突き刺さった。


 それは一本の短剣。

 もちろん、気に入っている物を投げるはずもなくそれはどこにでもありそうな果物ナイフだ。


 口を止められた部下は顔が青ざめてその場に腰を抜かしてしまった。


「君〜。礼儀ってしらないのか?」


 フォロノミは明らかに殺気が籠もっている視線でその部下を睨み付ける。


 もう一つでもフォロノミの機嫌を損なう行為をすれば即座に攻撃すると言う視線に部下も気が付いている。


 しかし、部下もここは退くことができないといった態度で立ちあがり大声を上げた。


 そのいつもとは違う様子にフォロノミも無礼を不承不承許して黙って聞くことにした。


 ただしつまらないことであれば即座にその命を奪うつもりで。


「看守長! それどころではありません。囚人たちが! 脱走し暴れ回っております」


 その言葉の意味が分からずにフォロノミは一瞬時が止まったように感じた。


 唖然としたフォロノミは持っていた短剣を机に落としてしまう。


 それも束の間、フォロノミは両手を握りしめて机を思い切り叩く。

 机は轟音を上げて真っ二つに割れてしまった。


「一体何があった!?」


 部下は言葉を選びゆっくりと報告する。


「一人の侵入者が鉄格子に手に触れると消えてなくなりました」


 部下も自分が見た光景が信じられないようで言葉が弱々しい。


 フォロノミは焦る。


(どうする!? この後に及んで不祥事とは! 上なら所長責任ができるがここなら話は別だ。このまま全員が逃げてしまえば俺の出世の話がなくなる。いや、もしかしたら俺が処罰を受ける!? あの御方ならばやりかねない!)


 フォロノミは即座に決断して二つの短剣を掴む。


 だが、二人はまだ気が付いていなかった。

 外から一人、この部屋に向かってくる者の気配に。


 フォロノミは部下に指図をしようとするが様子がおかしいことに気が付いた。


「どうした!?」


 しかし、部下からの返答は一切なく呆然と目を見開いたまま立っている。


 フォロノミは嫌な予感がした。

 そして、もはや全てが遅いという予感もした。


 そのとき部下の背後から血飛沫が上がった。


 部下は前のめりに倒れて動かなくなる。


 鎧を身につけていた部下の背中は何かに突き抜かれたような跡がありそこから血が流れ続けている。


 だがフォロノミはそんな部下に目もくれず代わりに立っている人物に釘付けになっていた。


 信じられないと言った目でフォロノミは言葉も出ずにその人物を見下ろす。


 それほどその少女はフォロノミからすれば小さいのだ。


「思ったよりもこの鎧は脆いのですね。手で貫けるとは思っていませんでした」


 右手を真っ赤に染めた桃色髪の少女はそう吐き捨てる。


 そして、フォロノミに目を向けた。


 その表情はあの怯えきった者のものではなかった。


(この小娘……戻っている。しかし、ただの雑魚だ。警戒に値しない)


 フォロノミはその娘の脆さをしっているためそう評価する。


 されどその考えは間違いだとすぐに改める。


 知っているからだ。


 小娘とはいえ自分が敵わない強者がいることを。


 フォロノミは頭に浮かんだ天騎十聖の姿を振り払う。


(いや、あの小娘どもは別格だ! 現に目の前にいるやつは今までいたぶっていた奴だ)


 フォロノミはいつも雰囲気を取り戻し目の前の少女アリルに向かって口を開く。


「ひっひっひ。どうした小娘……お前からいたぶられにきたのか」


 しかし、アリルの反応は薄ら笑いだった。

 前と様子がかなり違う。


「あなたには借りがあったので。あと、それです」


 アリルが指さしたのはフォロノミが持っている二本の短剣だ。


「刑務所内を探すのは骨が折れると思っていたのですが丁度良かった。それを返してもらいにきたのです」

「ひっひっひ。笑わせてくれる。俺に対する恐怖心が薄れたようだな! それを思い出させてやる」

「嘗めない方が良いですよ。今の僕の切れ味は過去最高です」


 そのアリルの表情は僅かだがフォロノミを警戒させるには十分だった。

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