第115話 人格破綻者

 

 目の前のひ弱に見える少女はフォロノミに目を向けた。


「十回」


 少女はそう一言呟くがフォロノミは首を傾げる。


「何の数字だか分かりますか?」

「知らんな。興味もない」

「あなたが僕の骨を折った回数ですよ」


 アリルはにこやかに笑って答える。


 それに対してフォロノミは口を歪め気持ちの悪い笑顔を見せた。


「今にもっと面白いことをしてやる。集団脱獄とはな。これでお前らを殺しても誰も文句言わない」


 フォロノミは短剣を巧みに回すがすぐに腰に携える。


 それもそうだ、その短剣はフォロノミの体格からすればあまりにも小さい。


 フォロノミは背後に飾ってあった大きなハサミを取り出した。

 それも二本。


 大きいとはいえフォロノミからすれば丁度良い大きさだ。

 しかし、アリルを両断することができるほどの大きさでもある。


 アリルは嘆息する。


「まぁ、いいです。無能には身体で分からせるしかありませんからね。それと僕が言いたいことはそんなことではありません」


 そのときアリルの空気が変わる。

 フォロノミに殺意の波が次々と押し寄せて来る。


「僕が一番怒っていることは……よくも、よくも、よくも! デルフ様が死んだと騙したな!」


 アリルの気迫は凄まじかった。


 思わずフォロノミは小さい少女に対して後退さってしまう。


「僕のことをいくらいたぶろうとも馬鹿にしようとも僕はデルフ様さえいれば満たされていた。デルフ様が生きているだけで力がわいてきた。神と呼べる存在をたとえ僅かでも死んだと……僕に絶望を与えたことを死んで償え」


 フォロノミに冷ややかな声が突き刺さる。


(な、なぜこんな小娘に……俺は天騎十聖になる男だぞ!)


 そして、アリルが走り出した。


 フォロノミは片手で持ったハサミでその小さな身体に向けて突くが寸前で躱される。


 さらに躱して無防備となったアリルに続いてもう片方に持ったハサミで挟み込もうとする。


 空中だと身動きが出来ないアリルは鉄の板に囲まれる。


 真っ二つにできると確信したフォロノミは勢いよく指を合わせる。


 しかし、予想外のことが起きた。


 アリルは急激に迫り来るハサミを踏み台としてさらに上に跳躍したのだ。


 あり得ないほどの身体能力。


 これほどの能力があるとはフォロノミも考えに及んでいなかった。


 アリルが王都を賑わせた殺人鬼だということは知っていたがその詳細を調べてはいなかった。

 どうせ、姑息な手段を用いたのだろうと勝手に決めつけていたのだ。


 それというのもろくな反撃もせず受け身ばかりで泣き叫ぶ様を見れば想像にもしない。


 しかし、だからといって死刑囚を甘く見ていたフォロノミの落ち度であることには変わりはない。


 呆然としていたフォロノミだったがアリルから何かがとんできた。


 フォロノミは痛みのする腕に目を向けると制服が切り裂かれそこから血が浮き出ていた。


 それはかすり傷程度で狼狽える必要もない。


 しかし、さらに数え切れないほどの斬撃が飛んでくる。

 目視ができない以上、避ける術はない。


 いや、フォロノミは避ける必要はなかった。

 大した傷にはならないのだ。


(そうだ。何を迷っている! いくら身体能力が高かろうとそれは考えていたよりも僅かに上だっただけだ! この程度の攻撃、妨げにはならん!)


 フォロノミはアリルのちまちまとした攻撃に構うことなくハサミで切ろうと手を伸ばす。


 だが、アリルはまたもそれを足場としてフォロノミに近づいてくる。


 アリルからすればフォロノミの攻撃は遅すぎるのだ。

 いくら当たれば即死の攻撃でも当たらなければ意味がない。


 しかし、それを気付かないフォロノミではなかった。


 フォロノミは口元を釣り上げる。

 すると突然、手に持っていたハサミを地面に落とした。


 そして、空となった手を力強く握りしめてアリルに思い切り振る。


 アリルもそれは予想外だったようで頬に直撃した。


 そこには確実な手応えがあった。

 少なくとも直撃した箇所の骨は砕けている感触だ。


 アリルは横に吹っ飛び本棚に衝突する。

 本棚は破壊されそこから落ちた本にアリルは埋もれていく。


「ひっひっひ。馬鹿め。俺がなぜ武器を使うか知っているか? それはな、すぐに玩具を壊さないためだ!」


 思うようにいったフォロノミは興奮して笑い声を出す。

 しかし、顔は笑っていない。


(なぜだ。なぜ、震える……)


 そのときアリルはむくりと本を落としながら起き上がった。


 フォロノミの顔は疑問に染まる。


 アリルの口元から血が流れ出る。

 アリルはそれを手で拭った。


 それを見たフォロノミは目を見開き驚く。

 自分の攻撃に耐えたからではない。


 確かに手応えに相応しいダメージは与えられなかった。

 だが、少なくとも骨には罅が入っているはずだ。


 それだというのにアリルは笑っていた。


(どういうことだ!? なぜ、なぜ笑っていられる!?)


 フォロノミは嫌な予感に駆られた。

 そして、その予感は的中する。


「確かに返してもらいました」


 そう言ってアリルは両手に持った二本の短剣を見せてきたのだ。


 フォロノミは片手で自分の腰を触る。

 そこに合ったはずの短剣がなくなっていた。


「ああ、この痛み。夢ではないのですね!」


 アリルは目を輝かせてうっとりとした表情で短剣を眺めている。

 その刀身に映る何かはアリルにしか見えない。


「初めてあなたにお礼を言いたいと思いましたよ!」


 口元は釣り上げているが完全に笑っていない視線がフォロノミに突き刺さる。


 フォロノミの額に冷や汗が伝う。


(なぜ、怯える! あいつは玩具だ!)


 フォロノミは拳に力を込める。


「俺は、俺は囚人お前たちの主だ! 俺に逆らうな!!」


 短剣を手にしたからなんだ。

 アリルの攻撃では俺に負傷と呼べる負傷を与えることは不可能だ。


 そうフォロノミは自分に言い聞かせる。


 そして、フォロノミの渾身の拳が振り下ろされた。


 だが……


「は?」


 フォロノミは何が起きたか分からなかった。


 しかし、目の前にはしっかりと映っている。


 振り下ろしたはずの腕が、肘の先からなくなっていた。


 巡るはずの血液が空しくその断面からこぼれ落ちる。


「は?」


 理解ができないフォロノミは同じ反応を繰り返してしまう。


 そのとき横からべちゃっと卵を叩きつけたような音が聞こえてきた。


 フォロノミは恐る恐るその音の方向に首を向ける。


 するとそこには大きな腕、自分の腕が落ちていた。


 フォロノミの目は恐怖で染まる。

 反射的に絶叫を上げそうになるのを寸前で必死に止める。


 だが、気持ちに反して身体が逃げようとしてしまう。


「やはり切れ味は断然こちらの方が上ですね」


 アリルは短剣を惚れ惚れとする目で眺めながら呟く。


(どういうことだ。あいつの攻撃はかすり傷しかできなかったはずだ……)


 そして、アリルは短剣からフォロノミに視線を変える。


「どうですか? 痛いですか? まだ諦めないでくださいよ! 必死に抵抗してください! まだまだこれからですよ!!」


 そのアリルの顔はどんどん歪んでいく。


「ひっ」


 その表情を見て笑い声ではなくフォロノミは悲鳴に似たような声を上げる。


「あなたは散々楽しんだのです。こんどは僕の番ですよ。僕が受けた絶望のほんの一握りをプレゼントです!」


 アリルが徐々に歩いて近づいてくる。

 両手で器用に短剣を弄びながら近づいてくる。


 その一挙手一投足、アリルの動作の全てがフォロノミの恐怖を底上げしていく。


(お、怯えるな!! あ、あいつの攻撃は真空波だ! それに気をつければ! まだ片腕がある!)


 フォロノミは残っている腕に力を入れようとするがその実感がなかった。


 その原因は何か真っ白になりそうな頭を回転させる。

 しかし、目で見るという答えにはたどり着かない。

 いや、身体がその答えに行き着くことを否定している。


 そんなフォロノミを嘲笑うようにまたも横から先程と同じべちゃっという音が耳に響く。


 それを反射的にフォロノミは見てしまった。


「へ? あああああ!!」


 我慢の限界が訪れフォロノミは絶叫する。


 両腕の先から空しくこぼれ落ちる赤い濁流。


 腰を抜かしそれでもアリルから逃げようと足を動かす。


「あはは、鬼ごっこですか? 待ちませんよ〜?」


 後ろから笑いを堪えた声が聞こえるが耳を貸さない。

 ただひたすらに逃げるだけだ。

 だが、途中で躓いてこけてしまった。


 恐怖によって足が縺れてしまったのだ。


 違う!


 片足の感覚が失っている。

 もう二回も経験した感覚、間違うはずがない。


 コツコツと自分に近づいてくる音。


「ほらほら、頑張ってください! 頑張って! 頑張れ〜」


 我慢の限界を超えアリルの笑い声が響き渡る。


 それから逃げるように片足を必死に動かしナメクジのように少しずつ這いずって距離を取ろうとするがそれもできなくなってしまった。


 もう感じたくない感触。

 またそれが襲ってきたのだ。


 身体をくねらすもその場で動いているだけで進むことはできていない。


 それに対してそんなこと知ったことではないと嘲笑うように止まることのない足音。


 フォロノミにとってそれはもう死神の足音に他ならない。


 振り向いてはいけない。


 そんな身体の警告を無視してフォロノミは振り向いてしまった。


 長い桃色髪で小汚い麻の服を着た少女。


 しかし、そんな姿は目に入っていない。


 フォロノミの目に映ったのは裂けるのではないかと言うほどの笑みを浮かべた口、まるで玩具を見ているような無垢な瞳。


 歪みを通り越したような表情のアリルだった。


(!!)


 フォロノミは絶叫にならない絶叫を上げ恐怖からか目に涙を溜めていく。


「さぁ、僕をもっともっと楽しませてください。さぁ、さぁ」


 背中を短剣で撫でられて傷を付けられるフォロノミ。


 もはや両手両足を失ったフォロノミは抵抗することはできない。


(あれは何だ? 俺は何と戦っていたんだ……。あの目、俺と同じ。いや、もっとどす黒い何か……化け物)


 眠れる猛獣を刺激してしまった末路かとフォロノミはそう感じた。


「どうですか? 楽しいですか? もっともっと!! もっとです!! さぁもっと!!」


 アリルの短剣が何度も襲いかかり喉が潰れるほど絶叫を上げ続けるフォロノミ。

 痛みで叫んでいるのではない。

 アリルに対する恐怖心がフォロノミの心を埋め尽くしているのだ。


「まだ潰れないでくださいよ! 僕の絶望はこんな物じゃありませんでしたから。さぁ懺悔しなさい。そうすれば神様もお許しになってくれるでしょう!」

(そうか、これが遊ばれる感覚か……)


 そして、死ぬまでの間フォロノミは自分の身体を解体され続けた。




「うーむ。これしかありませんね。……趣味が悪い服」


 アリルは看守長室を漁りまくり自分の身嗜みを整えていた。


 戦って辺りは血が飛んだ跡が多々あったが幸いフォロノミの所持品までは及んでいない。


「これは持っていた方が良いですね」


 アリルは小袋を懐に忍ばせる。


 傍らには肉塊となった看守長が横たわっているがもはやそれにアリルの興味はない。


「しかし、これは……」


 アリルは自分が着た服を見て唸る。


 主は黒色だが縁は赤のドレスを着用していた。

 スカート部分がとても盛り上がっておりお姫様のような格好だ。


「動きにくい。女性用の服があったのは良かったですがなんでこれが……」


 しかし、四の五の言っても仕方がない。


 アリルはポジティブに考える。


「もしかしたらデルフ様はこちらの方が好みかも知れません。それならこの格好もアリですね……」


 アリルは二本の短剣を袖の中に隠した。


「冗談はさておき、とにかく布一枚よりはマシですね」


 そう呟いたアリルは改めて実感した。


「デルフ様が……生きていた。ふふふふふふふふふふふふふふ」


 アリルは顔を赤らめ興奮して独り言を続ける。


「さらには! 僕を僕を! 必要としてくれている! なんとしてもお役に立たなければ!! 間違っても失望されないように気をつけないと!」


 アリルは長い髪を揺らしながら楽しげに看守長室から飛び出した。

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