第113話 信仰心

 

「久しぶりだな。アリル」


 デルフは牢屋の中で蹲っている少女に向けて言った。


 桃色髪の少女はゆっくりと顔を上げてデルフを見詰める。


 目元は腫れて隈ができており瞳には光が灯っていない。


 しかし、徐々にその光を取り戻していき次第に大粒の涙を目尻に溜めていく。


「まさか、デルフ様……?」

「分かるのか?」


 デルフの姿は前とはかなり変わっているためすぐに気付かれるとは思っていなかったため思わず聞き返してしまう。

 様付けに関しては何も言わない。


(殿呼びもされているのに今更な……)


 アリルは嗚咽を堪えながら震えた口で言葉を紡いでいく。


「お姿がお変わりになっても僕には分かります。生きておられたのですね……」


 デルフを見詰めながら静かに涙を零しながらそう呟いた。


 デルフはその狂気染みたアリルの様子に恐怖を感じ後退りをしそうになるが寸前のところで踏みとどまる。


(アリルは戦力になる。俺の気分で手放すには惜しい力だ)

『なるほど、こやつのことじゃったか』


 合点がいったリラルスはそう呟く。


 アリルとはデルフが騎士団に入団した直後に王都を騒がせた殺人鬼の正体である。


 見た目だけだと殺人鬼というのが嘘だと思いそうな少女だが騎士までも簡単に屠る実力を持っている。


 アリルが仲間になるだけで打てる手が枝のように伸びていく。


 デルフは息を大きく吐き自分の率直な願いを口にする。


「アリル、俺に手を貸してくれないか」


 アリルはそのデルフの言葉を聞いた瞬間に目を大きく見開きさらに大量の涙を零す。


「そのお言葉、どれほど待っていたことか……」


 アリルは俯き嗚咽を繰り返している。


 その様子にデルフは言葉をなくして二、三歩後退ってしまう。


(なんなんだ……いったい)

『ふむ。これは……ふふふ、面白いのう』

(おい。リラ、他人事みたいに)

『お前のことじゃろう? 私は知らん』


 少し楽しげな雰囲気を醸しながらリラルスはそう言う。


(一心同体じゃなかったのか!?)


 デルフ渾身の心の中の叫びは一方通行でリラルスから何も返ってこない。

 どうやらリラルスは完全に観覧モードに入ったらしい。


 もはやリラルスの助けは期待できない。


 デルフは覚悟を決める。


「それでどうなんだ? 嫌か?」


 デルフとしては少し下手に回って聞いてみるがアリルの反応は予想外であった。


「とんでもございません!! 必ず! デルフ様のお役に立って見せます!!」


 あまりにも大声で叫ぶアリルに顔を引きつらせるデルフ。


「た、助かる」


 言葉を詰まらしてしまうのも仕方がないというものだ。


「しかし、まずはここから出ませんと鍵が……」

「ああ、そうだったな」


 アリルの言葉の最中でデルフは遮るように声を出して右手で鉄格子に触れた。


 そして、“黒の誘い”を発動し鉄格子は灰となって消えてしまった。


 アリルはさっきと打って変わってキラキラとした目でデルフを見詰めている。


「流石、デルフ様です!! あのときの目、僕の見立てに狂いはありませんでした!!」


 尊敬の視線はウラノからうんざりするほど浴び続けられてきて慣れたと思っていたがそうではなかったらしい。


「僕はデルフ様をお助けするために生まれてきたのですね」


 視線が痛い。


 ウラノとはまた違う視線だ。


 どちらというと……

 デルフがそう考える前にアリルの一言から真実を告げられる。


「僕の騎士様。いえ、僕の神様……」


 デルフはそれを聞いてあからさまに眉をひそめる。


『あっはっはっは。やっぱり信仰心じゃったの。なんでお前の周りの人物たちはこんなにも愉快なのじゃ』


 リラルスの笑い声がデルフの頭の中に響く。

 正直、痛いくらいだ。


(う・る・さ・い)

『はっはっは。すまんすまんの』


 しかし、リラルスの笑い声が止まることはない。


 デルフは溜め息を吐き無視をすることに頑張って集中する。


 アリルが立ち上がり牢の中からゆっくりと出てきた。


 ずっと牢獄暮らしだったはずなのにその足取りは軽い。


 アリルの見た目は桃色の髪が腰辺りまで伸びており所々黒ずんだ麻の服一枚と奴隷のような少し小汚い服装をしている。


 それにアリルも気が付いたのかおどおどしている。


「デルフ様。申し訳ありません。このような格好で」

「気にするな」


 そのときアリルが牢獄から出てくる様子を見た囚人たちが嬉々として声を上げていく。


 声が混ざり合って聞き取りづらかったがその主な内容は「ここから出せ」、「俺が仲間になってやる」の二つだった。


 デルフはアリル以外に用はなく無視を続けていると段々と声は罵倒に変わっていく。


 大して気にしていなかったデルフに対しアリルの反応は劇的に変わった。


 先程までデルフに向けていた尊敬の視線は消え去りゴミを見るような目で周囲を睨み付ける。


「はぁ? 良い度胸していますね? 殺しますよ?」


 アリルの並々ならぬ気迫の籠もった声に囚人一同は怯んでしまう。


 そのとき一番大声を出していた者の首から急に血が噴き出しそのまま倒れた。


 アリルは伸びた自分の爪を少し不満げに眺めている。


 囚人たちは顔を青くして完全に黙ってしまった。

 中には身を縮めて頭を抱えている者までいる。


 先程の囚人を殺した張本人はアリルだと分かっているからだ。


 デルフは知らないことだがこの地下牢ではアリルが入獄してから死傷者が見違えるほど増加していた。

 しかし、その波も最近収まってしまい囚人たちは忘れていたのだ。


 アリルがどのような人物か。


 その状態からデルフもこのようなアリルの暴走は今に始まったことではない事は分かった。


 何とか悲鳴を上げずに堪えた囚人たちは一斉にアリルを見る。

 アリルに向ける視線は黙ったのになぜ殺したんだという意味が含まれている。


 アリルはそんなことに気が付くわけもなくただ相当に腹が立っているらしく目が殺意に満ちていた。


「黙れば僕が帳消しにするとでも?」


 さらにアリルの言葉は続く。


「いつも死にたい死にたい言っていたじゃないですか。よかったですね。この際、皆死んでしまいましょうか」


 アリルの目は至って本気だ。


 それを察した囚人たちは怯えた目で土下座し助命を懇願する。

 しかし、そんな言葉を聞いてもアリルは眉一つ動かさず爪を磨いている。


 いや、それどころかさらに苛つきが増えていると言っても良いだろう。


「違いますよね?」


 アリルの冷ややかな声が囚人たちの耳に突き刺さり怯えた目でアリルを見続ける。


 アリルは舌打ちして視線を上げる。


 そのときまたも囚人の一人が突然何かに首を切り裂かれ倒れた。


「やはり切れ味がいまいちですね」


 囚人たちからさらに絶叫が上がる。


 そんな様をアリルは痺れを切らし自ら助け船を出すように言い直す。


「あなたたちがするべき事は命を助けてと叫くことですか? 違いますよね?」


 わけが分からないと言った目で囚人たちは呆然とする。


 そして、また一人倒れる。


「何黙ってるのですか……」


 すると、察しの良かった一人の囚人が答えにたどり着く。


 死の直面したひらめきとも言えるだろう。


 その囚人はデルフに向かって土下座しながら許しを請うてきたのだ。


 アリルはそのことにようやく満足してうんうんと頷いている。


「そうですよね。悪いことをしたのなら謝罪は絶対です。特にデルフ様の侮辱は万死に値します。あなた、他のゴミよりも見所がありますね」


 気分が良くなったアリルを見た囚人たちは一斉に土下座し次々とデルフに謝罪を始めた。


 ここにいる者は全員死刑囚だから別にどうなってもいいと思っていたデルフだが流石に哀れに思った。


「デルフ様。この者たちもこのように反省していますのでお許しを頂ければと思います。しかし、許さないと言うのであれば僭越ながらこの僕が処罰を下します。時間はかけません。すぐに終わらします」


 その言葉を聞いた囚人たちがさらに声を張りデルフに謝罪を繰り返す。


 囚人たちの威勢の良かった姿は消え去り土下座をし続ける囚人たちにデルフは呆気にとられながらも空返事をする。


「あ、ああ。別に気にしていない」


 そのデルフの声を聞いた囚人たちは一斉に安堵の表情をした。


「だそうです。良かったですね。デルフ様が寛大な御方で」


 アリルは満面の笑みで囚人たちに言い放つ。


「ですが、次のデルフ様への無礼は許しませんよ? 分かりましたね」


 アリルがナイフのように鋭い目付きで忠告すると囚人たちは涙を零しながら無言で何度も頷いた。


 それに満足したアリルは囚人たちに興味をなくしデルフに向き直る。


「デルフ様。少しばかりお時間を頂いてよろしいですか?」

「どうした?」

「身嗜みを整えたいのです。特に武器を調達したいと思います。爪ではデルフ様が望むほどの力が出ませんので」


「それと」とアリルは付け加える。


「一人、今までの恩返しをしたい人物がいますので挨拶をしていきたいのです」


 デルフはアリルの目付きを見た。


 先程、囚人たちに向けていたよりも一層とげとげしい目だ。


 デルフは口元を釣り上げて笑う。


「そうか、構わないぞ。思い切り暴れてこい。俺は先に外に出ておく」

「かしこまりました」

「ああ、そうだ。お前たちも役に立ってもらおうか」


 そう言ってデルフは囚人たちを閉じ込めている鉄格子に触れて回った。

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