第87話 勅命

 

 デルフがようやく副団長の激務に慣れ始めてきた頃。

 今回もまた、ハルザードから呼び出しが掛かりデルフはウラノとともに王都に戻り王城に向かうことになった。


 指定された時間よりも大分早く王都に到着したデルフは久しぶりに姉であるナーシャに挨拶するため家に立ち寄った。


「デルフ、久しぶりね。また少したくましくなったのじゃない?」


 ナーシャは椅子に座ったデルフの肩をバシバシと叩いて嬉しそうだ。


「姉さんも元気そうで安心したよ」


 デルフは出してくれた湯飲みを口まで運ぶ。


 ウラノもデルフのすぐ隣で椅子に座りお茶を啜っている。


「ちっ」


 ウラノは猫舌らしくさらに赤くなった舌を出して念入りにお茶に息を吹きかけている。


「あーそうそう。こないだフレイシアの部屋に遊びに行ったわよ」

「……ぶふっ!! ゲホゲホ」


 あまりに自然にナーシャが口にしたので反応に遅れたデルフはしばらくして口に含んだお茶を噴き出してしまう。


「あーもう!!」


 ナーシャは面倒くさそうに立ち上がり布巾で机の上を拭き始めた。


 デルフはそれどころではなく慌ててナーシャに尋ねる。


「ね、姉さん。フレイシア様の所に行ったって? え、なんで?」

「なんでって言われてもフレイシアから呼ばれたんだもの。王女様のお呼びとあっちゃ行かなくちゃね」


 大体予想が付いてきたデルフ。


(恐らく暇だったのか、自分の部屋を姉さんに見せたかったのか。……まぁ、どちらでもいいか。大事にはなってなさそうだからな)


 王女からの呼び出しなんて外に広まったら何かと目に付いてしまう。

 それを懸念したデルフだがそこはフレイシアもうまくやってくれたようなので一先ず安心する。


 少しの休息を取ったデルフはお茶を飲み干して立ち上がる。


「それじゃ、姉さん。そろそろ行くよ」

「あら、もう行っちゃうの? そっか、あんたはもう副団長だもんね。だけど、忙しいからって理由でフレイシアを疎かにしないこと!」

「わかってるよ」


 ナーシャは笑顔になって立ち上がり「このこの」とデルフの腕に何回も肘で小突く。


「あんたも隅に置けないわね」

「ん? まぁ、仮にも御側付きで陛下にも直々に頼まれたしな」


 すると、ナーシャは不機嫌そうに顔をしかめる。


「ほんっとうに鈍い男ね! いい? たとえ私が危なくてもフレイシアのところにまず向かうのよ!」

「えっ、そ、それは……」

「それぐらいの気持ちでフレイシアを守りなさいってことよ。私だって腕に自信があるんだから自分の身は自分で守るわよ。いい? 分かった?」


 ナーシャは指をピンと立ててデルフに忠告する。


 嫌だとは言わせぬ物言いにデルフはこくりと頷くしかできなかった。


「よろしい」




 城内に入るとデルフの姿を発見した衛兵が会議室まで案内してくれた。


 衛兵はすぐに騎士団長をお呼びしますと言って部屋を退出した。


 デルフは辺りを見渡してから席に着く。


 ウラノも付いてきておりデルフの隣に座った。


 しばらく待つと扉が開かれた。


 入ってきた人物にデルフは驚きを隠せずについ二度見をしてしまう。


 それも束の間、デルフは反射的に立ち上がりすぐさま地面に跪く。


 会議室に入ってきたのはデストリーネ王国国王であるハイル・リュウィル・デストリーネだ。


「よい、楽にせよ」


 ハイルは片手を上げてそう軽く言うと上座に向かう。


 その背後にはハルザードとウェルムもいた。


 ハルザードとウェルムも席に着くとハイルがハルザードに向けてこくりと頷いた。


 それを確認したハルザードが説明し始める。


「まずはデルフ、忙しいところ呼び出して済まない」

「いえ、仕事に慣れてきましたので今はまだ余裕があります」

「そうか。……では、本題に入るとする。単刀直入に言う。お前には挑戦の森に調査に向かって欲しい」

「!!」


 その森の名前を聞いてデルフの顔付きが変わる。


「理由を、聞かせてください」

「それは僕から説明するよ」


 デルフの問いに答えたのはウェルムだった。


「あと、ほんの少しで魔物の弱点が分かりそうなんだ。だけど、その実験サンプルが足りていない。そのサンプルをデルフに取ってきて欲しいんだよ」


 確かに魔物を相手にするのであれば肉弾戦が疎い魔術団では難しいだろう。

 騎士団に声が掛かるのは当然のことだ。


 現に今までも二番隊が魔術団の要望に応えている。


「ウェルム、お前なら容易く倒せるんじゃないか?」

「まぁ、そうだけど。僕一人だけだと流石に辛いよ。それに今はちょっと立て込んでいてね」


 ウェルムは苦笑しながらそう言う。


「隊長にでも任せようかと思ったがデルフの故郷が挑戦の森に近かったことを思い出してな。森に詳しいであろうお前に任せようという話になったわけだ。古傷を抉るようで悪いが」

「いえ、むしろ願ってもないこと」


 あの悲劇からは時間が経ちすぎているがもしかするとあのときの魔物の突然の大量発生についてなにかわかるかもしれない。

 挑戦の森は誰も立ち入ろうとしないから悲劇当初の状態が保っている可能性が高いからだ。


 あのときはまだデルフに挑戦の森に立ち向かうだけの強さはなかった。


 だが、今は違う。


 あのときより断然に強くなり魔物相手でもデルフは負ける気がしなかった。

 たとえ、魔物化した捕食者プレデターが相手であっても。


 しかし、一つハルザードに聞いておきたいことがあった。


「ハルザードさん。なぜ挑戦の森なんですか? 魔物は今では各地に出没しているはず」

「それは至極簡単だ。ウェルムが数年前に挑戦の森に出向いたとき捕食者プレデターの魔物を見たらしい。危険かもしれないが捕食者の魔物は発見例が少なく良いサンプルになると判断した。その点を踏まえて調査する価値は十分にある。それに挑戦の森は捕食者を恐れて未開拓の場所。魔物の確保に合わせて森の調査を行う。まぁ、一挙両得だな」

「なるほど、確かに」


 ボワールとの戦争で平和は終わりを告げたことを国民全員は思い知らされまたいつどこの国が攻めてくるか分からない状況にデストリーネは置かれてしまっている。


 自国の領地である挑戦の森にどのような危険が秘めているかも不明なまま戦に望むのは少々気掛かりということだろう。

 またあのときのように魔物の大群が押し寄せてくる可能性も否定できない。


 余裕がなければ可能性があると言うだけで確定していないことに割く人手はないが今は戦後の立て直しも十分に終え余裕がある。

 今のうちに目の上のたんこぶをなくしてしまうことは得策だろう。


 それにデルフとしてもこの申し出を断る理由はない。

 むしろ有り難かった。


 随分と時は経ったがあの悲劇はそう簡単に振り切れるものではない。

 デルフにとって一生付きまとう悲劇なのだ。


 悪夢こそとっくの昔に見ることはなくなったがそれでも忘れることはなかった。

 何が原因だったかどうすればあの悲劇を避けることができたのか、思い出す度に考えてしまう。


 自分のせいだとは思わないがそれでもあの悲劇が起きる原因に一番近かったのはデルフだ。

 あの森の異変、それがデルフの心に靄をかけている。


 だが、ようやく、ついにその元凶に近づくことができる機会が巡ってきた。


「しかし、殿と小生だけで向かうのは少々危険では?」


 ウラノが透かさずハルザードに尋ねる。


「もちろんだ。だから三番隊を連れて行ってもいい。三番隊の任務は王都の見回りと各隊の物資の補給だからな。一番、適役だ。今は落ち着いているだろうからな」

「てっきり魔物専門の二番隊かと思いました」 

「三番隊は王都の門番的存在だが少しの間ならば抜けても問題がないと言うのもまた事実。それに三番隊の方がデルフも何かとやりやすいだろう?」


 ハルザードにしては気が利いているとデルフは息を漏らした。


「まぁ、これはウェルムの考えだがな」

「……俺の驚きを返してください」

「とにかく、明朝向かってくれ」


 話を濁すように咳払いしてハルザードはそう言う。


「了解です」


 デルフは一礼する。


「副団長」


 今まで黙っていたハイルが口を開きデルフはその場に跪く。


「ハッ!」

「此度の調査は格別の危険がつきまとう調査となるだろう。調査は重要だがあくまで命を優先せよ。私の娘を泣かすようなことはしないでくれ」


 デルフは力の籠もった声で返事をする。


「心得ました!!」


 そして、デルフは会議室から退室した。




 次に向かったのはフレイシアの部屋だ。


 久しぶりに王都に帰ってきたというのに一応御側付きであるデルフは顔を見せないわけにはいかない。


(御側付きというほど側についていないが……)


 デルフはいつも通りにフレイシアの部屋を訪れると笑顔で出迎えてくれた。


 そして、しばらく経ってから挑戦の森の調査に向かう旨を伝えるとフレイシアは顔を渋くする。


「どうかしましたか?」

「挑戦の森って騎士でも危ないところなのですよね?大丈夫なのですか?」


 フレイシアを安心させるためにデルフは高く胸を張る。


「大丈夫です。三番隊といえど我が国の騎士は確実に実力を増しており自分も今では副団長です」

「そ、それもそうですね」


 フレイシアは優しく微笑む。


「王女様、安心してください。なんて言ったって今では小生がいますから!」

「ウラノ様ももちろん期待していますよ」


 フレイシアはウラノの頭を撫でる。


「あっ。ちょ、しょ、小生は子どもではありません!」


 ウラノは照れてしまい赤面し前髪で顔を隠してしまう。


「ああ、そうだ。ウラノ、頼む」

「は、はい!」


 何かは言わずにデルフは言うとウラノは察したようでフレイシアの肩に触れた。


「な、なんですか?」


 戸惑うフレイシアを無視してウラノはゆっくりと手を離す。


「終わりました」


 ウラノは恭しく一礼した後、デルフの後ろに戻る。


 目が点になっているフレイシアにデルフは説明する。


「フレイシア様、もし何かあれば自分を呼んでください。その場で言葉に出すだけでこのウラノに伝わります」


 ウラノは自分の片耳の聴力をフレイシアにセットしたのだ。


 フレイシアはいまいち状況が呑み込めていないようだが無理矢理納得し頷く。


「わ、かりました。叫べばいいのですね?」

「はい」


 デルフは強く頷く。


「えっ、さ、叫ぶのは、ちょっと……」


 ウラノは額に汗を滲ませながら呟くがデルフの耳に届いていない。


「ん? ウラノ、なんか言ったか?」

「い、いえ」


 もう一度泣き言を言うことをウラノは躊躇い俯いた。


「しかし、デルフ。この王都にいる限りそんなに危険なんて訪れませんよ?」

「あのときをお忘れですか? もの凄く襲われていたじゃないですか」


 デルフは初めてフレイシアと出会った時のことを言う。


「そ、それもそうですね……ハハ」


 フレイシアも思い出したらしく目を横に逸らして空笑いをする。


「あと、王国の状況にも変化あれば伝えてくれると何よりです。副団長として王国の状況は欠かさずに把握しておきたいので」

「わかりました」


 それでこの話は終わったがデルフは、しかしとフレイシアに詰め寄る。


「フレイシア様、どうやらお疲れのようですが?」


 デルフはフレイシアの目元に隈ができていることに気が付いたからだ。

 化粧で隠しているため気付くのが遅れてしまった。


「わ、分かりますか?」


 フレイシアは慌てて鏡に向かい自分の顔を確かめている。


「しっかりと隠せているはずですが……」

「俺は目がいいので隠しても分かりますよ」

「そ、それはお化粧の意味が……」


 デルフにはあまり化粧が意味を成さず素顔を見られているのと同じ事をフレイシアは気付き顔を真っ赤にして両手で隠してしまった。


 デルフは慌てて付け加える。


「だ、大丈夫ですよ。フレイシア様は化粧がしなくても十分以上にお綺麗ですので」


 それを聞いたフレイシアは両手で顔を隠すだけではなくて背を向けてしまう。


「え、ええ? フレイシア様!?」


 デルフは気遣いをしたつもりになっていたのでこのフレイシアの反応に慌てふためく。


 そんなデルフを他所にフレイシアが赤面したままだらしなく顔を緩めていた。


「で、デルフが……。わ、わ、私をき、綺麗……なんて」


 だが、そんなことデルフが気付くわけがない。


 ウラノは一向に距離が縮まらない二人を見て溜め息を吐く。


「王女様は殿にぞっこんなのですが……。肝心の殿は……。はぁ〜、あれは気付くどころか思いもしてませんね。普通分かるでしょうに……」


 ふと、ウラノは思い出した。


「ああ、ナーシャ様が言っていたのはこういうことだったのですね……なるほど」


 そして、ウラノはよからぬ事を思いついた。


「ここは小生が一肌脱ぎますか……」


 ウラノはデルフの肩を叩く。


「な、なんだ? ウラノ? ああ、そうだ。お前もフレイシア様の機嫌を取ってくれ」


 また、溜め息が出そうになったがウラノはぐっと飲み込む。


「あのですね、殿。良く聞いてください。王女様はですね殿のことが……」


 言おうとしたとき突然ウラノに衝撃が襲った。


「がっ!」


 ウラノは上手く呼吸ができなく自分の首を何かが締め付けている事に気付く。


 それはフレイシアだった。


 細い腕でしっかりとウラノの首を決めている。

 傍から見ればとても見事で美しい決め技だ。


 フレイシアの腕が徐々にウラノの首に食い込んでいく。

 いったい細い腕のどこからそのような力が出ているのか。


 しかし、ウラノにはそんなこと考えている余裕はない。


 フレイシアは先程と理由が違えど顔は赤いままで目は血走っており本気だ。


 まさに必死の形相をしていた。


 もの凄く息を切らしながらこのままウラノを殺してしまうんじゃないかというぐらいに力を込めている。


「んんんん!!」


 ウラノは死に物狂いにフレイシアの腕をとんとんと何回も叩く。


 首の締め付けが凄まじく息ができない。

 だんだんとウラノの気が遠くなっていく。


 フレイシアはデルフに背中を向けているためデルフからは何をしているか全く見当も付かない。

 デルフは暢気に首を傾げているだけだ。


「な、なにをしているのですか?」


 デルフの言葉でようやく、フレイシアの腕が緩みウラノはその場に座り込んだ。


 そして、ご無沙汰していた空気を必死に過呼吸で身体に取り込んでいく。


 落ち着いたウラノは静かにフレイシアの表情を見ると本気の目でウラノを睨み付けていた。


 ウラノはこう感じ取った。


「余計なことをするな」と。


 ウラノは涙混じりに何回も頷く。


 そしてやっといつもの温和なフレイシアの雰囲気に戻った。


「お、おーい」

「なんですか? デルフ?」


 フレイシアは振り向きいつも通りの微笑みを見せる。


 それを見て驚いたデルフは座り込んでいるウラノに近づく。


「お、おい。何をしたんだ? もの凄く機嫌が直っているじゃないか」


 知らぬが仏とはあったもので否定をすぐさましようとするがウラノは先程のフレイシアの目付きを思い出す。


「い、いえ。なぜでしょうね。小生にもまったく見当が……」

「そ、そうか」


 デルフは残念そうにウラノから離れる。


「とにかくフレイシア様。後継に決まったからと言ってあまり無理をしないでください」

「ですが、今のままではいくら経ってもお父様には追いつけません」

「しかし、身体を壊してしまっては元の子もありませんよ?」

「安心してください。私、今まで一度も身体を壊したことありませんから。病気も怪我も一切したことありません」


 自信満々に胸を張るフレイシア。


「だとしてもです。今まで一度もなかったからと言ってこれからもそうであるとは限りませんよ」


 言い負かされたフレイシアはこくりと頷く。


「なにも、全くするなとは言ってません。ほどほどにです」

「わ、わかりました」


 後ろでウラノが何やらこそこそとメモを取っている。


「流石、殿です。忠臣の心得、学ぶところがいっぱいです」


 何やら自分がしていること全てがいつか自分に返ってくる気がしたが後のことは未来の自分が対処するだろうと無視した。


「それではフレイシア様。自分はそろそろ」

「ええ、無事を祈っていますよ」

「もちろんです。死ぬ前は挨拶に伺うという約束を破るわけにはいきませんから」


 デルフは自分の首に下げている白い宝石をはめ込んでいるペンダントに手を触れる。


「ずっと付けてくれているのですね?」

「ええ、フレイシア様の賜り物ですから。家宝と言っても忖度ありません」


 デルフがそう言うと嬉しそうに笑うフレイシア。


「では」


 デルフはフレイシアの部屋を後にした。


 そして、騎士団本部に戻り隊長室に向かう。


「ガンテツいるか?」

「これはカルスト殿? いかがした?」


 デルフは単刀直入に言う。


「陛下の勅命だ。三番隊は明朝、いや時間が必要か。昼頃に俺とともに挑戦の森の調査に向かう」

「昼頃でござるか……」

「もう少し時間を伸ばした方がいいか?」

「見くびらないでもらわないでござる。明朝で十分。陛下の勅命、承ったでござる!!」


 ガンテツの瞳はやる気に染まっている。


 ガンテツとしては入団試験を抜けば隊長になって初めての大仕事だ。


 やる気が出るのは当然だろう。


「了解した。では準備を始めてくれ。俺も手伝う」


 そして、想像を絶する早さで準備は進み今日の内に全ての準備は終えた。

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