第7章 騒乱の始まり
第86話 ハイルの決断
雪のような艶やかな白髪を腰まで下げた少女は鏡で自分の姿を見て少し不機嫌になる。
間もなく櫛を取り急いで乱れている髪をほぐす。
そこでふと自分の表情が硬くなっていることが目に入り両手で頬を揉みながら笑顔を作っていく。
しかし、どれだけ揉みほぐしても硬くなった表情が和らぐことはなかった。
「むむむ……」
「フレイシア様、お急ぎを」
後ろで見守っていたフレイシア専属の侍女が焦りを抑えたような声を掛ける。
「分かっています」
フレイシアは髪をとく手を早めてなんとか直して鏡から離れる。
そして、深く空気を吸い込んで脳にまで響く心臓の鼓動を落ち着かせるようにゆっくりと息を吐く。
「よし!」
そして、フレイシアは廊下に出た。
廊下をゆっくりと、フーレとなっているときのようなお転婆な様子と打って変わってまさに凜とした王女ならではの雰囲気を持って歩を進めていく。
フレイシアの供回りは先程の侍女が一人だけだ。
前までならば三番隊隊長の片腕が義手の青年が殆ど毎日部屋に赴いてくれていたのだが時間が過ぎるのは早いもので今やその青年は騎士団副団長という立場にまで昇ってしまった。
副団長の任務は隊長に比べられないほど多い。
殆ど休憩同然の部屋で雑談するだけという形だけの王女御側付きをしている時間はないに等しい。
「それでもわざわざ暇を作ってたまに来てくれるのですけどね。……律儀な人です。ふふ、ふふふ」
フレイシアは一人だけの世界に入り顔を赤らめて両手で覆い隠しもじもじしている。
先程の王女の威厳を纏っていたのが嘘のように急変しもしこのフレイシアを目に入った者がいれば揃えてこう言うだろう。
もったいないと。
そのとき、後ろでくすくすと笑う声がフレイシアの耳に入る。
フレイシアは背後を振り向き侍女をむすっと睨み付ける。
「何か?」
「いーえ」
何かを含んだ侍女の笑みからフレイシアはさらに顔を真っ赤にして両手で顔を隠す。
「もう!!」
しばらく廊下を歩いているとフレイシアは訝しげな表情に変わりぼそっと呟く。
「それにしてもお父様からの呼び出しとは珍しいですね」
これが先程までフレイシアが酷く緊張していた理由だ。
父として呼ばれることはたまにあるが行事以外で王として呼ばれるのは初めてだった。
「用向きが何か聞いていますか?」
フレイシアは侍女に尋ねるが侍女は首を振る。
「内容までは伺っておりません」
「そうですか」
フレイシアは今まさに向かっている途中なのですぐ答えが出るとして考えるのを止めた。
そして、気を逸らすためにたわいないことを考え始める。
「そうですね……明日、久しぶりにお姉様に会いに行きましょうか。んー、それとも私のお部屋にお招きするのもいいですね……」
フレイシアは王女の立場を使ってナーシャを呼び出すという悪巧みをする。
心当たりもなくいきなり王城への呼び出しがかかればナーシャといえども肝が飛び出すほど驚いてしまうだろう。
悪戯な笑みを浮かべてそんなことを考えているといつの間にかフレイシアはハイルの自室に到着した。
扉の前にいた近衛兵がフレイシアの姿を見ると姿勢正しく敬礼する。
「お父様、いえ、陛下にお取り次ぎを」
「ハッ! 陛下! 王女殿下が入室の許可を求めております」
すると、部屋の中から声が聞こえてきた。
「来たか、通せ」
近衛兵は横にずれて扉への道をあける。
フレイシアは侍女を外で待たせて一人で中に入る。
部屋の中には神妙な顔をしたハイルが腕を組み目を瞑っていた。
フレイシアはそれを見てさらに緊張が増す。
息を呑みゆっくりと重々しい扉を閉める。
フレイシアが入ってきたことを確認したハイルは立ち上がり高価な装飾をした机の前に誘導する。
一人用のソファに机を挟んで向かい合うように二人は座った。
しばらく沈黙が続いていたがフレイシアが意を決して口を開く。
「それでおと……陛下、急用というのは?」
ハイルはその言葉に反応せずしばらく黙ったままであった。
フレイシアも急かすようなことは言わずに静かに待つ。
自分を呼んだハイル自身も緊張まではいかないが明らかにいつもと違うことが分かったからだ。
そして、ハイルは静かに息を吐いた。
「致し方ない」
フレイシアは理解していないことだがその一言でハイルの頭を悩ましていた問題の選択がようやく決まった。
ハイルは決断したのだ。
そして、フレイシアに目を合わせて口を開く。
「フレイシア、お前は随分と成長した。お前の成長の根源はあの騎士によるところが大きいか。自分だけの力に頼らず人の力により大きくなったとは実にお前らしいな」
その後、ハイルは一息を置いてとんでもない一言を放った。
「単刀直入に言おう。お前を私の後継とする」
「えっ!?」
フレイシアは思わず立ち上がる。
「な、なな!!」
目が泳ぎ言葉が整理できないフレイシアをハイルはただ待つ。
「お父様!! 後継はお兄様ではないのですか!?」
ハイルはその言葉に顔をしかめる。
だが、表情をすぐに戻し一切の迷い無く言い切る。
「あいつは、もう駄目だ。まるで何かに取り憑かれたように一切の職務を投げ出し魔物の研究に勤しんでいる。私はいつか我に返ってくれると期待していたがもう何年だ? もはやあいつに言葉は通じん。ジュラミールの重臣たちも愛想を尽かして私の下に戻ってきたほどだ。王になる者として自覚が全く足りていない。……待っても無駄だろう」
ハイルは重くそして悲しそうな様子から何年も悩んだ末の苦渋の決断であると理解した。
それでも自分がこの国の王になることに納得したわけではない。
「で、ですが私には、無理です」
「案ずるな。私も王の器がある見込みがなければこのようなことは言わん。それでフレイシア、お前に任せていた仕事があっただろう? どう感じた?」
フレイシアは少し前にハイルから仕事を与えられていたことを思い出す。
簡単な仕事をやってみないかとハイルが軽くフレイシアに渡した物だ。
「言われたとおりあっさりとできましたけど……あれが何か?」
「そうか、フレイシア。実を言うとあれは今の私の務めと殆ど変わりがない」
「えっ? あれが?」
ハイルは頷く。
「つまり、今でも十分、お前は王の資格がある。それにまだまだ私も退位しようとは考えていない。これから経験を積んでいけばいい」
フレイシアの頭の中は困惑でたくさんになっていた。
「わ、私が王位に……」
「お前は本当に優しい子だ。本当は王位という重役をお前に継がせる気はなかった。しかし、ジュラミールは仕事を放り出し禁忌と定めた魔物のことばかりに執着している。あいつには責任感がまるでない」
フレイシアは前の御前試合を思い出した。
ジュラミールにも来るようにとハイルが声を掛けたが何の返答も来ず、当日も姿を見せなかった。
一度ならまだハイルの許容範囲だがこれが初めてではないのだ。
「王は自分のために存在するのではない。王とは民のために存在する。あいつが王になればこの国を私物化するだろう。その先に待っているのは破滅。あいつはこの国を滅ぼしかねん」
ハイルの目は失望と言うよりも悲しさの方が断然色濃く染まっていた。
そして、優しくフレイシアを見詰める。
「御前試合の時、お前は配下の者に涙を流していた。あのとき確信した。次の王はお前だと」
「そんな……」
「今はまだ自信がなくてもいい。自信とは時間につれて身に備わっていくものだ。大丈夫だ。私が保証する。お前はきっと私が足下にも及ばない素晴らしい王になり大きなことを成し遂げるだろう。今の誰にも想像ができないことをな」
自室に戻ったフレイシアは椅子に座り外を見詰め放心していた。
「私が次の国王、ですか……」
その王という一文字が両手どころか全身でさえも支えきれないような重さがあった。
フレイシアは顔を俯かせる。
果たして自分に務まるのかどうか。
不安しかない。
ゆっくりと首を動かし再び窓の外を見る。
外は既に夕焼けに染まっており直視しても全く眩しくない太陽が静かに沈んでいく。
目視では沈んでいく様はよく分からないが沈むに合わせて周りも徐々に暗くなるので感覚で理解できた。
そのとき、扉を叩く音が聞こえた。
「はい」
「デルフ・カルストです」
その見知った声が耳に入った瞬間、フレイシアはビクッと立ち上がり急いで身なりを整える。
「どうぞ」
扉が開くとデルフが部屋の中に入ってきた。
「お久しぶりです。フレイシア様。……お変わりないようで安心しました」
嘘だ。
そうフレイシアは看破した。
デルフの観察眼ならばフレイシアの様子が少しおかしいことぐらい容易に気付くだろうに。
「本当にそう見えますか」
フレイシアは探りを入れてみた。
デルフは軽く笑った後、フレイシアに言葉を返す。
「さすが、フレイシア様ですね。何かありましたか? 差し支えなければ教えてくださると力になれるかもしれません」
デルフは肩をすくめて苦笑する。
やはり、デルフは気が付いていた。
少し遊ばれているように感じたフレイシアは拗ねたように顔を膨らましたがすぐに元に戻す。
「誰にも言っていないことですので他言はなしですよ?」
「そのようなこと、私に言っても大丈夫なのですか?」
言っていいのかと聞かれたら怪しいところだがフレイシアはもう吐き出して一人で抱え込むのを止めたかった。
なにより、デルフに縋りたかったのだ。
(それに私の一番の騎士に隠す必要はありませんしね)
なのでフレイシアの口は止まらない。
「お父様の後継となりました」
前置きや妙な言い回しなどせずに結果を一言で言い表した。
デルフは目が点になって身体が固まり身動きを取れていない。
そして、やっと身体が動いたデルフはその場で跪いた。
「そ、それは、おめでとうございます!!」
「ま、まだまだ先ですよ。お父様、まだまだお若いですし」
「だとしてもフレイシア様が王にですか。私もフレイシア様が王に相応しいと感じておりました」
「本当ですか?」
フレイシアは半信半疑に尋ねる。
「もちろんですよ」
デルフの目は本気でありフレイシアは笑顔になる。
「デルフ。これからもずっと私に仕え支えてくださいよ?」
「私でよければこちらからお願い申し上げます」
デルフは恭しく頭を下げる。
「デルフ、もの凄く不安なのです。ちゃんと務めを果たせるかどうか」
「フレイシア様ならば大丈夫です。立派な王となります」
そう言ってくれるが不安はそう簡単には消えない。
「フレイシア様は王になって何を成し遂げたいですか?」
「えっ?」
デルフの唐突の質問にフレイシアの思考は固まってしまう。
「私は副団長になって責任感が増し国と民を守るために誠心誠意働いています。それに忙しいと思うことはあれど苦や不安などはありません。いや、そんなことを考える暇がないと言った方が正しいでしょうか」
「もちろん私も理解しております。……なるほど、目標ですか」
「はい。どんな些細なことでもいいのです。漠然とした目標でも。あるのとないのとでは天と地の差があります。その目標に向かって進んでいけば自ずと道が開けてきます」
つまり、目標があればそれに突き進む努力を自ずと行い不安などを感じる暇が無いということだ。
フレイシアは考える。
自分は王となって何を望んでいるかを。
そのときフレイシアの頭に迷いなく浮かんだことがあった。
「私はこの国がより豊かになり笑顔を絶やさない国を作りたいです」
それを聞いたデルフは嬉しそうに微笑む。
「その目標は骨が折れますね」
「望むところです! もちろんデルフも手伝ってくれるのですよね?」
「私はフレイシア様の騎士です。主がそう望むなら断るわけにはいきません」
「分かってないですね〜。私はあなたが心から手伝ってくれることを望んでいるのですよ?」
デルフは苦笑しながら言い直す。
「もちろん、是非とも。身命を賭してお仕えいたします」
「はい! お願いしますね」
フレイシアはにこやかに笑って答える。
その後、デルフははっと何かを思い出したように頭を上げて暗い顔をした。
「どうかしましたか?」
「いえ、フレイシア様が後継ということは……ジュラミール様との対立は避けられませんね」
フレイシアもそこまでは頭には入っていなかったので今気付いた。
どうして今まで頭になかったのか不思議なくらいだ。
「お兄様とは争いたくないのですが……」
「ですが、そこは陛下が何かお考えでしょう。大っぴらに公表していないのもまだ事を大きくしないようにしているのかもしれません。しかし、何をしようと陛下の命は絶対です。たとえ王子でも覆すことはできないでしょう」
デルフは精一杯励ましてくれたがフレイシアには全く不安が晴れなかった。
フレイシアは知っているのだ。
兄であるジュラミールは我を忘れると何をしでかすか分からないことを。
「だといいんですが……」
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