第73話 サムグロ王国の陰謀(3)

 

 地面に何度も滴る水の音、それが次第に水溜まりを作りさらに水が落ちる。


「ん……ここは?」


 水が弾ける音でリラフィールは静かに目を覚ました。


 周囲は薄暗く目覚めたばかりなのでまだ目が慣れていないためよく見えない。


 だが、記憶にない場所ということだけは理解した。


 リラフィールは身に覚えのない不気味な場所に加え鼓動が早まるがどうにか心を落ち着かせる。


 この場所はどこなのか?


 もしかしたら記憶から抜けているだけで実際には知っている場所ではないのかとこれまでの自分の行動を振り返ってみる。


「たしか、ジャクスの村に人が失踪した原因が王国の騎士であるかもしれないということをお父様とお兄様に報告して……だけど、私はかかわるなとお父様は何も言ってくれませんでした」


 リラフィールは王国に騎士がかかわっていると説明したときの父であるフリスマンの顔は鮮明に記憶に残っている。


「あんな鋭い目をしたお父様を見たのは初めてです」


 そして、次は自分の服装に目を向けた。


 服装は髪と同じ色の煌びやかな純白のドレスのままであり屋敷にいたところを連れてこられたと考えられた。


 リラフィールは倒れていて乱雑になった髪を整えようとしたとき動かした手の動きが不自然に止まる。


 止まるというより動かなかった。


 動かそうとすると金属が擦れる音とともに手が途中で引っ張られて止まってしまう。


 それが何か意識した瞬間に手首に冷たい感触が伝わってきた。


「こ、これは枷?」


 リラフィールの両手には枷が嵌められていた。

 その枷は壁まで伸びておりそこに固定されている。


「いったいここはどこなのですか!!」


 急激に恐怖がリラフィールに襲い落ち着いていた心が再び暴れ出す。


 鼓動が尋常ではないほど早まりながらもようやく目が闇に慣れてきた。


 ゆっくりと目を凝らしてみると周りは壁に囲まれながらも前方は開いていた。


 だが、そう見えただけであり人が通り抜けることができない程細い隙間で鉄の棒が立ち並んでいる。


 リラフィールは理解した。


 ここは牢屋なのだと。


 リラフィールは怯えて言葉が出なかった。


 頭の中を満たす恐怖によって手で後退りさせる。

 逃げ場のない牢屋であると知りながらも。


 同時に鎖が引きずる金属音が牢屋中に響き渡る。


 そのとき後退るリラフィールに何かが自分の身体にぶつかる感触がした。


 壁ではないのは確かだ。


 恐る恐る目を向けると横たわった人がいた。


「ひっ……」


 体温が感じられなかったため人とは思いもしなかったリラフィールは思わず声を上げる。


 その人物はリラフィールと同じく手錠がかけられていた。


「はぁはぁ……」


 その人物の服はひどく汚れておりそれがさらにリラフィールの恐怖を煽る。


「い、いったい! な、なんですか!!」


 そんなリラフィールの悲鳴とも呼べる叫びに反応する声があった。


「そ、その声は……リラか? どこだ! どこにいるんだ!?」

「えっ? ……ジャクス?」


 その声はジャクスのものだった。


 リラフィールは声のする方向を見ると先程倒れていた人物からだった。


 ジャクスは地面に手をつき震えながら尻を地面に着いた。


「リラ? どこだ? どこにいるんだ?」


 行方不明になっていたジャクスを見つけたことに僅かながらもリラフィールは安堵する。

 そして、すぐにジャクスに声をかけた。


「後ろよ! あなたの後ろにいるわ!」

「後ろ? 後ろってどっちだ? 見えない、見えないんだ!」


 そう言いながらもジャクスはゆっくりと振り向く。


 そのジャクスの顔を見てリラフィールは戦慄した。


「ジャクス……目が……」

「リラ、何も見えないんだ。声はするのにお前の顔が見えないんだ……。本当にここにいるのか? どこにいるんだ?」


 ジャクスは瞼を開けていたがその中にあるべき物がなかった。

 そして、そこから黒い涙が流れていた。


「身体……が何かおかしい……」


 そのときジャクスは口から濁流のような黒い血を吐き出し身体が不自然に折れ曲がっていく。


「……いやだ、いやだ。リラ……リラ……助け……」

「え?」


 リラフィールの顔に生暖かい何かが付着する。

 最初は何が何だか理解できなかった。


「あ……あ……ジャクス? ……嘘」


 しかし、それは目の前で起こった。

 その事実から認めざるを得ない。


 ジャクスが弾け飛んだのだ。


 それを理解した瞬間、先程の生暖かい感触が血であると実感した。


 だが、それよりもジャクスは死んだ。


 その事実が今のリラフィールの精神状況ではとてもではないが受け入れるはずがない。

 ジャクスが生きていたという安堵から突然絶望へと落とされたから尚更だ。


 ジャクスが爆ぜたという実感が全く湧かない。


 無心のまま自分に付着した血を指でなぞる。


「黒……」


 そのときコツコツと近づいてくる足音が響いてきた。


「はぁ、また失敗か……。初めての反応で期待していたのだが……」


 その声の主はジャクスだった物を見て感情の伴わない声を出した後、溜め息をついた。


 リラフィールはその声の主を知っていた。


「……陛下?」

「ほう、気が付いたか、ルースフォールドの娘。余の部下は優秀だ。こんな良い実験材料を連れてくるとは」

「どういう……?」


 サムグロ王はリラフィールの言葉に返答はせず淡々と述べていく。


「貴族には情報が漏れると厄介であったから手は出さぬつもりであったが悟られそうになったのでな。悪く思わないでくれ。誰にでも知られたくないことは一つや二つあるものだ」


 サムグロ王はそこでケタケタと笑い出す。


「口封じに殺すのも良かったが……それでは勿体ないと思ってね。ククク、こうしてここまでご足労いただいた」

「そ、そんなことしてばれないとお思いですか?」

「クックック、案ずるな。今頃、貴様の領土は敵国に攻められているころだ。そう、敵国にな、ククク」

「そ、それはどう言う……」


 サムグロ王は言葉を無視して品定めするようにリラフィールを不気味な視線で眺めている。


 一度、リラフィールは父と一緒にサムグロ王の御前に参ったことがあったがあの温和で優しい人物がまるで見る影もなかった。


 そうあれは偽りの顔に過ぎなかった。


 これが本当のサムグロ王なのだ。


「楽しみだ。魔力に扱いや量に乏しい農民では失敗続きだったが優秀な貴族ならどうか? ようやく念願が叶うかもしれない」


 そう言ってサムグロ王は後ろを向き来た道を戻り始めた。


「貴様の番はもう少し後だ。すぐに母や兄、そして父に会えるだろう。ああ、フリスマンのほうはまだ生きていたか。いや、成功すれば話が違うか。あの様子では望み薄であるが。まぁ、とにかくゆっくりと待っていてくれたまえ」


 サムグロ王は歩きながら振りかえることもせずにさらっと言ったがその言葉はリラフィールに深く重くのし掛かった。


(お母様やお兄様、お父様までも? ……死んだ?)


 リラフィールは側に散らばっているジャクスだった物が目に入ってしまう。


 その瞬間に最悪の光景が頭の中を過ぎり恐怖が最高潮に達した。


「あああああああ……ジャクス……どうして……お父様、お母様、お兄様……。なぜ、なぜ……」


 その恐怖がリラフィールの意識を奪った。




 次に目が覚めたときリラフィールがいた場所は石の台の上だった。


「!!」


 リラフィールを乗せても余りある石の台に寝かされ両手両足は鎖で繋がれていた。

 全力の力を込めるが鎖の音が鳴るだけでビクともしない。


 首だけを動かしてみると同じような台が幾つも並んでおりそれらの台の全ては黒く染まっていた。

 全体が染まっているわけではなく何かが弾けたような染みだ。


 リラフィールは何か予想ができたがそれを考えるのが恐ろしくなり止めてしまった。


 自然と息が荒くなる。


 先程確かめたのにもかかわらず必死に身体を動かそうとするがリラフィールの力では鎖を動かすのが関の山だ。


 無駄だと悟り力を抜いたところで微かな呟きが聞こえてきた。


 耳を澄ますとリラフィールの名を呼ぶ声だ。


「リラ……サリオネ……すまない。お前たちを……巻き込むつもりはなかった……。私の落ち度だ……。この国の闇がここまで深かったとは。……すまない」


 その声はフリスマンの声であった。


「お父様!! 私です! リラフィールです!」


 リラフィールはどこにいるか分からないフリスマンに向かって声を張り上げるがフリスマンの意識は殆どないのか返答はなく独り言を続けるだけだ。


「ああ……リラ……の声が聞こえる。リラ……どうか無事で……無事で……」


 そこでフリスマンの声は途切れてしまった。


 以降、フリスマンの声が聞こえることはなかった。


「お、お父様……。どうして……どうしてなの! なんで、なんでこんなことに……」


 リラフィールは震え涙を零す。


 そして、先程と同じようにコツコツと足音が近づいてきた。


「さぁ、始めようか。ルースフォールドの娘よ。両親や兄のみたいに期待を裏切ることはしないでくれ」


 サムグロ王は側に侍る騎士に手を上げて指図をする。


 騎士はどこかにゆっくりと歩いて姿を消した。


「いったい、いったい何が目的なのですか!! こんなことをして!!」


 そんなリラフィールをサムグロ王は驚いたように見詰めている。


「命乞いや泣き叫ばないとは肝が据わっている。なぁに、ただの実験だ。私の目的はかつての私のような……人を超越した存在、天人クトゥルアの創造だ」


 リラフィールは何を言っているか分からないと言うような目でサムグロ王を呆然と見詰める。


「なに、常人には理解し得ない話だ。ああ、そうか君が聞きたいのはその後の目的か。もちろん、それは戦争をなくすこと。平和が一番ではないか」


 狂気的な笑みを浮かべてせせら笑うサムグロ王。


「狂っている……」


 無意識にその言葉が出たがサムグロ王はにこっと笑顔を見せるだけで何も言わない。


「そんなことのために……お父様、お母様、お兄様、そしてジャクスも!!!」

「平和のためだ。多少の犠牲は仕方がない。戦争に行けば死人が出る。どのみちいつかは死ぬのだ。どう死ぬかの違いだけだ。むしろ余の実験の貢献と言う点では無駄死にではない」


 平然とそう述べるサムグロ王をに対してリラフィールは恐怖心が薄まり怒りのほうが上回った。


「許さない! 私はあなたを絶対に許さない!!」


 リラフィールはサムグロ王に飛びかかる勢いで身体を動かすが鎖がそれを阻む。

 それでも力を思い切り入れるがその健闘も空しく力を使い切ってしまった。


「はぁ、はぁ。どうして、どうして……。もっと踏ん張ってよ!!」


 脱力する自分の身体にリラフィールは怒鳴りつけるがもう限界を超えた身体はうんともすんとも言わない。


「ククク、無駄な努力を。さぁ、話は終わりだ。今度こそ余に成功を見せてくれ」


 丁度、この場から離れていた騎士が戻ってきてサムグロ王に手に持っていた何かを渡した。


「それは……?」


 リラフィールは怯えた表情で無意識にそう呟く。


 サムグロ王が持っていた物は注射器だ。


 だが、その中身は黒い液体に満ちていた。


 とてもじゃないが医学的な物には一切見えない。


「これは黒血こっけつと言って人を天人へと進化させる代物だ。なにせ今の余は力がない。それを取り戻すための紋章集めは力なしではできないのでな。成功して余を喜ばし役に立ってくれ」


 サムグロ王は黒の液体が入った注射針を徐にリラフィールの腕に近づける。


「や、止めてください!!」


 リラフィールはジタバタするが側にいた騎士がそれを取り押さえて身動きができないようにする。


「止めて!!」


 そんな悲痛の叫びも空しく注射器はリラフィールの腕に侵入し込められた黒血を流し込んでいく。


「あ……あ……」


 最初は何も感じなかった。

 だが、次の瞬間、リラフィールに激痛が襲いくる。


「あああああああ!!」


 思わず身体が仰け反り必死に痛みに耐えようとするが苦痛が止まることはない。


 絶え間ない痛みに我慢の限界を超えて身体は反り返り腰が浮く。

 それに伴い周囲を憚らず大声で泣き叫んでしまう。


 そして、腕に黒く染まった血管が浮き上がりそれが徐々に拡がっていく。


 リラフィールの血管を突き破って黒血が身体の至る所から噴き出し始めた。


 既にリラフィールの意識は飛んでおり辺りは黒血でまみれてしまっている。


 それでもリラフィールの身体から噴き出す黒血は止まらない。


 ジャクスの末路よりはまだマシと言えるがそれでも十分に悲惨なものである。

 むしろ、激痛が続き死ぬこともできていないリラフィールの方が悲惨かもしれない。


 その様子を見たサムグロ王は溜め息をついた。


「これを何度見たことか……はぁ、また失敗か。クライシス、余は戻る。もし、なにかあれば知らせろ」

「了解です。陛下」


 サムグロ王はこの場を後にした。




「しっかし、これはもうダメでしょ……。いつまで見てればいいんすかね」


 サムグロ王が立ち去ってから数時間が経とうとしていた。


 リラフィールの状態を見ていたクライシスだったがもはやぴくりとも動かなくなっているのを見てうんざりしていた。


「もう死んでいるじゃないか? いや、まだ息はあるな……」


 それがまたクライシスをうんざりさせる。


 だが、クライシスは気が付いていなかった。


 リラフィールが黒血に対して拒絶反応がなくなっていることを。


 すでに出血していた血は止まっている。


 そのとき、リラフィールの両手両足を繋いでいた枷が黒く染まりだした。


「な、なんだ?」


 クライシスは警戒し鞘に入った剣の柄を握りしめる。


 そのときリラフィールを繋いでいる黒く染まった枷は燃え尽きた炭のように粉々に散っていく。


 それと同時にゆっくりと起き上がりクライシスに目を向ける。


 その視線にクライシスは戦慄した。


 リラフィールの瞳は鷹や蛇のような鋭くなり色も黄色へと変化している。


 さらに徐々に雪のような純白の髪は上から徐々に黒に染まっていき編んでいたゴムが千切れて髪が乱雑に下りる。


 纏っていたドレスも黒く染まってすぐに散ってしまいリラフィールが身に纏う物はなくなった。


 急激に変化したリラフィールはかつての面影を微塵も残していなかった。


「マジかよ……! こんな変化が起きるって聞いてないぞ!」


 状況が呑み込めず立ち止まったままクライシスは呆然と見詰めていた。


 リラフィールは素っ裸のまま立ち上がると石の台から飛び降りる。

 その身体は噴き出していた黒い血によって所々が黒く染まっていた。


 そして、ゆっくりとクライシスに手を近づける。


 リラフィールの身体の周りには黒い瘴気のような物が漂っておりもちろんクライシスに近づく手にも漂っている。


 クライシスはリラフィールの手を鞘が着いたままの剣で弾くと後ろに飛び退く。


 そして、再び剣を構えようとしたとき剣の異変に気が付いた。

 鞘が黒く染まっていたのだ。


 そして、次第にそれが広がりクライシスの手から全身にわたり黒く染まってしまった。


 剣は鞘とともに塵となって消えてしまいクライシスは自分の手を見て震えている。


「いてぇ!! いてぇ!! なんだこれ!! ぐあぁぁぁ!!」


 壮絶な痛みにクライシスは倒れ込み悶えている。


「くそ! 何しやがった!!」


 痛みに慣れたのか数分後ようやくクライシスは立ち上がった。


 そして、身につけている鎧ごと全身が黒く染まったクライシスは立ち上がり勢いよく飛び出してリラフィールに拳を突き出す。


 リラフィールの頬に直撃した。


 だが、クライシスの全力の一撃だったのにもかかわらずリラフィールは無傷だった。


 それどころかリラフィールは視線をクライシスから一切離さず睨み付けている。


 その視線はまさに憤怒が込められておりクライシスは怯んでしまった。


 そして、リラフィールの口から恨みを十分に含んだ重すぎる言葉が短く発せられた。


「消えろ」


 その一言とともに黒く染まったクライシスの身体はさらに黒の浸食が加速し身体の全て、眼球までもが黒に染まった。


 染まりきったと同時にゆっくりと身体が塵となっていく。


「はは、嘘だろ……。戦うどころの話じゃない。化け物じゃねぇか。陛下、本当に制御できるのか……?」


 そう苦笑いをしたままクライシスは塵となって消えてしまった。


 リラフィールはそれを侮蔑の視線で見届けた後、視線を外してパチッと指を鳴す。

 すると、身体に付着していた黒血が浮かび上がり黒い瘴気となりリラフィールの身体を包み込んだ。


 瘴気がリラフィールの身体を隠して数秒後には黒いロングコートにその中に薄いシャツ、そして下に黒いズボンを身に纏っていた。


 雪のような眩しい白から吸い込まれそうな黒となった髪をかき上げてロングコート上に乗せると上を向く。


 そして、手を徐に振ると天井が円形に黒く染まりそして塵となって消え去る。


 リラフィールは足に力を入れて跳躍し一気に地上に出た。

 

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