第71話 サムグロ王国の陰謀(1)
丁度、正午に差し掛かる頃、サムグロ王国の侯爵であるルースフォールド家。
デルフは無心で何も考えられずに宙に浮いておりその領内にある豪邸の中の廊下を早足で歩いている若い女性をただ眺めていた。
女性が動くとそれに合わせて強制的に宙を漂って後ろを追ってしまう。
意識はあるにはあるが殆ど無意識に近い。
どうやらこの場でデルフはどうやら他人には姿が見えなく物にぶつかろうとしても身体が透けて通り抜けてしまうらしい。
そのとき、身体がその女性に引き寄せられ思い切りぶつかった。
視界は真っ暗になりはしたが全く衝撃はなく不思議に思っているとすぐに視界が戻った。
しかし、目の前にいた女性の姿が消失していた。
身体の自由が効かないのは変わらないままだ。
変わっていることと言えば今はもう宙には浮いておらず早足で廊下を歩いていた。
さらにはいなくなったはずの女性の感情や心の声が鮮明に伝わってくる。
そして、その記憶までもが浮かび上がってきた。
あたかもデルフがその女性自身だと勘違いしてしまうほどにその記憶が自然に入り込む。
ふと、足が止まり日差しを強く射している窓を眺めた。
そのとき、デルフは無意識ながらもその窓に写った自分の姿にピクリと反応する。
先程、眺めていた女性と同じ姿をしていた。
あたかもではなく実際にその女性自身となってしまっているのだ。
五感や思考など全てが共有されている。
だが、身体の主導権はその女性にあるらしくデルフは何もすることができない。
その女性の物語全てを体験することができる最高の特等席で鑑賞している気分だ。
感情移入どころの話ではない。
しかし、何度も言うがデルフにはどうもすることができない。
ただその光景を無意識にすり込まれるだけだ。
たとえ、どのようなことが起きようとも……
女性は窓の外を眺めた後、溜め息をつき拳を強く握りしめる。
背中まで下ろした長く白い髪が揺らめき窓から差し込む光が髪に反射してまるで彼女自身が輝いているように見える。
だが、その美しさに対して女性の表情は曇っていた。
この女性の名前はリラフィール・ルースフォールド。
ルースフォールド家の次女である。
再び歩き始め一際大きい扉の前に着くと勢いよく両手で開き中に入る。
彼女はノックをするなど冷静な行為に気が回らないほど頭に血が上っていた。
そして、開口一番に大声を張り上げて目の先にいる男性に言葉をぶつける。
「お父様! 領内の民の税を上げると聞きました。本当のことですか!?」
「リラか。今は客人が来ている。後にしてくれ」
そう顔をしかめながら答えたのはルースフォールド家現当主でありリラフィールの父であるフリスマン・ルースフォールドだ。
フリスマンは仕事机に向かって座っているのではなくその仕事机の前にあるソファに座っていた。
そして、フリスマンの向かい側にあるソファにも座っている者がいた。
後ろ姿だったがリラフィールはその人物が誰だかすぐに分かった。
サムグロ王国の公爵であるデストリーネ家当主のグラスニー・デストリーネだ。
「まぁいいではないか。フリスマン殿」
「は、はぁ。公爵様がそう言うのでしたら」
フリスマンは渋々了承する。
リラフィールはすぐに雰囲気を変えてお淑やかな笑顔で外交用の立ち振る舞いをする。
「公爵様。お越しになっていたのですね。挨拶が遅れて申し訳ありません」
グラスニーはその言葉を宥めるように片手を前に出す。
「構わぬ。構わぬ。私とて私事で来たに過ぎぬからの。しかし、久しく見ぬうちに姉に似て美しゅうなったのう~」
「お姉様はお元気ですか?」
「ハッハッハ。元気も元気。美人で我が愚息にもったいないぐらいよくできた嫁じゃ」
ルースフォールド家の長女はデストリーネ家に嫁いでいる。
貴族の間での縁組みは珍しいことではない。
むしろ相思相愛で結ばれたリラフィールの姉は珍しい部類に入るだろう。
「リラ。もういいだろう。少し外してくれないか? 増税については後で説明する」
痺れを切らしたフリスマンがリラフィールに席を外すように言う。
「そうですね……わかりました。ではまた後ほど。公爵様。失礼します」
リラフィールはスカートの左右の裾を軽く摘まみ優しく持ち上げて頭を下げた。
その後、そそくさとフリスマンの部屋を後にする。
部屋から出たリラフィールは歩き出そうとしたが扉を隔てて背後からフリスマンとグラスニーの会話が聞こえてきた。
その内容が少し気になり恐る恐る扉に耳を近づけてみる。
「また、公爵様の領内の行方不明者が増えたのですか?」
「うむ。これで何件目じゃろうか……」
「我が領内でも最近また行方不明者が現われる頻度が急増しております」
「こうも度々起きてしまうとは…何か良からぬ事が起きているのかもしれぬ。一刻も早く調査をした方がよいじゃろう。集団失踪に発展すれば事態は深刻になる」
「小さい種はつんでおいたほうがいいと……。分かりました。調査の方は私にお任せ下さい」
「フリスマン殿、くれぐれも用心なされ。何か良からぬ陰謀が蠢いているとしか思えぬ」
「その言葉、肝に銘じます」
そこで聞き耳を立てていたリラフィールは我に返った。
(私ったら盗み聞きなんてはしたないわ! だけど行方不明者って何の事かしら? ジャクスなら知っているかしら)
「あら? リラ、そこで何をしているのです?」
そう考えに耽っていたリラフィールに声を掛けてきたのはリラフィールの母であるサリオネであった。
「お母様。いえ、お父様に話があったのですがお客様がいたのでまた後ほどということになりました。お母様は何を?」
「そのお客様にお茶を出しに来たのですよ」
サリオネの手元を見るとお盆を持っており、その上にはティーポットとティーカップが二つそして菓子折が入った器があった。
本来であれば使用人や侍女の仕事だが今回の客人は公爵であるため挨拶代わりにサリオネがお茶を出すらしい。
リラフィールはサリオネと話を終え自分の部屋に戻った。
「お父様達の話が終えるまで何をしていましょうか」
リラフィールは窓の側に近づきうーんと背伸びをする。
つい先日まで激しい嵐が続いていたが今日は久しぶりの晴天だった。
太陽が雲の邪魔立てもなく堂々と辺りを照らしている。
光の一筋が窓に差しリラフィールは思わず目を細める。
ふと視線を下に向けると雨に濡れて中庭の地面は湿っていた。
母親であるサリオネの趣味はガーデニングのため中庭は殆ど花で埋まっているといっても過言ではない。
それでも花壇以外もある。
花壇から少し離れた場所にあるのは大きな木が一本、その周辺には茂みがいくつか。
幼い頃、姉とともにその木の前で遊んだことはもう懐かしい思い出だ。
リラフィールはその茂みに目が移った。
目を凝らして見ると茂みが不自然に揺れていることに気が付いた。
「何かしら?」
気になったリラフィールは部屋から出て中庭に向かった。
今も尚、揺れている茂みの中を訝しげに掻き分けて覗いてみるとリスが暴れていた。
「リス? 迷子にでもなったのかしら?」
注意深くそのリスを見てみると傷があることに気が付く。
その傷は背中に太い一筋の斬り傷でなぜすぐに気付かなかったというくらい大きな傷だった。
「酷い傷! すぐに手当てしないと」
リラフィールはそのリスを両手に抱えたが手の中で暴れ回るため落としそうになってしまう。
「痛ッ!」
リラフィールの右手の親指にぴりっとした微かな痛みが襲う。
恐る恐る見てみると暴れ回っているリスがリラフィールの指を噛んでいた。
その時、痛みと同時に何かが吸われているような何か抜けていくようなそんな感覚を覚えた。
しばらく脱力していたがそれはほんの数コンマの次元でリラフィールはすぐに我に戻った。
手からすり抜けそうになったリスを優しく且つ強く持ち直し急いで自室に持ち運ぶ。
あの感覚は一体何だったのだろうかと疑問に思いながらも部屋の前に着くともう頭から離れていた。
部屋の中に入りクッションを机の上にひきリスを優しく置く。
既にリスは落ち着いており先程までの暴れようが嘘みたいにクッションに身体を預けている。
そして薬箱を出して傷の治療をしようと包帯と血を拭くためにガーゼを取り出した。
まず血を拭こうとしたときリラフィールの手が止まった。
「血が出ていない……?」
一瞬死んでしまったかと思ったが確認すると意識はあるので死んではいない。
傷はあるが血が出ていない…そんな生物がいるのか?
しかし、考えても答えが出るわけでもない。
取り敢えず大きな傷はあるのでリスに包帯を強く巻き付けた。
治療が終わり眠ってしまったリスをベッドの上に置いてリラフィールは椅子に座り読みかけていた本を手に取る。
最初の間は頭の中に浸透していく文字が次第に通り過ぎていくようになっていく。
そして、いつの間にか読むのではなく眺めるに変わっていった。
流れる時間を身体で感じられる静けさが部屋中を包み込むように漂ってくる。
そのときその森閑が壊されるように部屋中に扉を叩く音が響き渡る。
「お嬢様。旦那様がお呼びです」
「……やっとですか。すぐに向かいます」
リラフィールは即答した。
開いていた本に栞を挟みゆっくりと閉じた。
落ちそうになっていた意識を取り戻そうと半開きになった目を両手で擦る。
そして勢いよく立ち上がり鏡を見ると口元が少しよだれで濡れており慌てて手で拭う。
他におかしいとこがないかとチェックしたのち堂々と自室を出る。
リラフィールはフリスマンの部屋の前まで来ると先程とは違い落ち着きを取り戻しているため思い切り扉を押し開けたりはせずにノックをする。
「入りなさい」と部屋の中からフリスマンの声がしてゆっくりと扉を開き部屋に入る。
先程、グラスニーとフリスマンが座っていたソファに目を向けると姿がなかった。
その前にあるテーブルには空となったティーカップと菓子折が入っていた器がある。
リラフィールは視線を前に向けるとフリスマンは自分の仕事机に向かって座っていた。
「公爵様はお帰りになったのですか?」
「先程な」
リラフィールは一息置いて本題に移る。
「それでお父様。民たちの税を増やす話は本当のことなのですか?」
その言葉にフリスマンはしっかりとりリラフィールの目を見据えながらコクリと頷く。
「先日の嵐により我が領内に甚大な被害が出たことは知っているだろう。その修繕などに一時的にではあるがそう考えている」
「一時だけですか……」
リラフィールはそう言いながら頭の中で少し考える。
そしてまとめた考えをフリスマンに向けて言い放つ。
「お父様。お言葉ですが一時だけとはいえその手は良くないと思います」
フリスマンの目線はリラフィールから逸らさず話の続きを促した。
「被害が出たのは私たちよりも民達の方が重大です。ただでさえ農作の被害が大きい中、民からの税で対処するのは愚策だと考えます。そんなことをすれば我が家の信頼は民から離れてしまいます。幸い貯蓄は十分ありますしここは私たちの器の大きさを見せつけ民達の心を掴むべきだと考えます」
ここ最近はようやく収まってきたが国の間での戦争が続きそのたびに農民達を召集していた。
その恩賞もまだ支払ってはおらずに増税まで積み重ねるのは民達の負担は凄まじくなる。
民の信頼も底につき不満が爆発するのも時間の問題になるだろう。
暴動が起きる可能性がある。
フリスマンは目を瞑り思考を重ねていた。
その間、部屋に沈黙が漂い時々する外の物音が部屋の中に響くぐらいに大きく聞こえる。
フリスマンが頷きを何回も繰り返したあと静かに目開けた。
その目の色は穏やかに見えた。
「確かにリラ、お前の考えは正しい。言う通りにしよう。今よりも先を見据えるか。ふふふ。エストラに似てきたな。私は頼もしい子ども達を持ったようだ。実に誇らしい」
エストラとはデストリーネ家に嫁いでいったリラフィールの姉である。
リラフィールは褒められた恥ずかしさを隠すように頭を下げる。
「そ、そうですか。で、では失礼します」
自分の意見が通ったことにホッと胸をなで下ろした瞬間に緊張が突然襲い言葉を詰まらせた。
そして、勢いで言った恥ずかしさが今頃湧き出てきて顔を赤らめる。
逃げるように急いで部屋から立ち去ろうとしたときフリスマンの声がリラフィールの足を止めた。
「リラ」
リラフィールは振り返る。
「丁度良い。お前にこの件を任せてみるとしよう」
「えっ?」
一瞬、フリスマンが何を言ったのか理解ができなかったリラフィールは反射的に声が漏れてしまう。
「私が……ですか?」
「ああ、そうだ。元々こんな事案はエストラの管轄だったところだ。経験としてやってみるといい」
「…わ、私では力不足です。お兄様が適任だと思います」
リラフィールは今まで姉の手伝いはしたことはあったが自分が主体となってする仕事はなかった。
そのため自信を持つことは難しい。
「あいつは別件があるためしばらく戻ってこない。大丈夫だ。何か困ったことがあれば私かサリオネに相談するといい」
リラフィールはしばらく熟考した後、深く頷く。
「わ、わかりました」
リラフィールは不安が表れている表情で退出する。
自室に戻るとリラフィールの身体に何かがぶつかり衝撃が襲う。
そして、床にコテッと何かが落ちた。
「えっ? もう元気になったの?」
リラフィールにぶつかってきたのは先程包帯を身体に巻いてあげたリスだった。
部屋の中の床を走り回っているリスを見ると大怪我をしているようには全く見えない。
少し不思議に思ったが元気になっているようなので取り敢えず良しとした。
それよりも今はフリスマンに任された件について椅子に座りながら考える。
「まずは被害の各村の被害の状況を視察しなければなりませんね……。最初はジャクスの所に行きましょうか……」
リラフィールはすぐに侍女を呼び準備をできるだけ早く進めるように申しつけた。
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