第6章 受け継ぐ意志
第70話 帰還
今日もナーシャは変わりない日々を送っていた。
いや、ボワールとの戦争のために父であるリュースと義弟であるデルフが向かっているため変わりないと言えば間違いになってしまう。
戦争の勝敗の連絡はまだナーシャの耳には届いていない。
それでも戦争に向かってから随分と時が経っているためそろそろ帰ってきてもおかしくない頃合いだ。
そして、今日は、いや今日もフーレに変装したフレイシアが供も付けずに家に訪れていた。
デルフが戦争に行ってからほぼ毎日のように訪れている。
ナーシャとしても一人でいると不安な気持ちで心がたくさんになるのでフレイシアがいることにはかなり助かっている。
「デルフ、まだですか〜。遅いです!!」
「フレイシア、少し落ち着いて」
プリプリと不機嫌そうにしているフレイシアをナーシャは微笑ましく思いながらまぁまぁと宥める。
「と言う私も早く帰ってきて欲しいけどね。でも、今回はフレイシアがいるから寂しくないわ!」
ナーシャは両手でぎゅっとフレイシアを抱擁する。
「お、お姉様! く、苦しい……」
「あら? ふふ、ごめんなさい」
ナーシャが離れるとフレイシアは不安そうに小声で呟く。
「デルフは本当に大丈夫でしょうか……。何やら胸騒ぎがします」
俯いているフレイシアの頭を撫でるとナーシャは笑顔を見せた。
「デルフを信じなさい。あの子は真っ直ぐだから勝手にいなくなるなんてことはないわ」
「お姉様は強いですね……」
「まぁ、もう慣れちゃったわ。ちょっとお茶入れるわね」
ナーシャは平然としているが実は結構無理をしている。
ここまで大きい戦争はナーシャが知る限りでは初めてだ。
昔は日常茶飯事であったと聞いたが現在では数年前のジャリムとの小競り合いぐらいだった。
リュースは度々あるがデルフがこの家に来て以来、こんなにも長く帰ってこないことはなかった。
ナーシャは不安で胸がいっぱいなのだ。
外見はそう取り繕っているから余裕そうに見えるがフレイシアをこれ以上落ち込ませないようにと虚勢を張っているだけだ。
だからこそ今のフレイシアの気持ちが強く共感できる。
(全くデルフも悪い子ね。あんな良い子を泣かせるなんて。当の本人は気付いてなさそうだけど……)
湯飲みにお茶を注ぎお盆の上に乗せ持って行こうとする。
「なんだか、外が騒がしくなってきましたね」
そのフレイシアの呟きにナーシャは耳を澄ませてみた。
(確かに……言われてみれば王都が賑やかになっている気がするわ)
そのとき扉を叩く音が響いてきた。
その勢いはとても強く焦りが見受けられる。
「はー……」
ナーシャが返事をする前に強く扉が開かれる。
「あら? ココウマロさん?」
姿を見せたのは砂埃で汚れた鎧を着けているココウマロだった。
あまり目立たなくなっているが所々に黒ずんだ染みが鎧にこびりついている。
「どうし……」
ナーシャの声は途中で途切れてしまい持っていたお盆を落としてしまう。
湯飲みが割れる音ともに床にお茶が飛び散っていく。
先程までのほんわかしていた空気は一転して重苦しいものに変化してしまった。
ナーシャの視線はココウマロが背負っている人物に釘付けになっている。
「お父さん……」
リュースに意識はない。
ココウマロは一礼するとリュースの自室に足早に向かっていく。
ナーシャは呆然とその光景を眺めていた。
少ししか見えていないがリュースの鎧は見過ごすことができないほどの血に濡れていたのだ。
そんなナーシャを見てフレイシアは何も言えず目を泳がせている。
しばらくするとココウマロが戻ってきた。
即座にナーシャはココウマロに尋ねる。
「ココウマロさん……。お、お父さんは……大丈夫なのですか?」
「む……。リュース殿、もう誤魔化すのは不可能でしょう」
一瞬、口籠もるがココウマロは観念したように話し始める。
「敵から受けた傷は重傷で危ないところでした。ですが、治療が間に合い命に別状はありません」
その言葉を聞いてナーシャはほっとする。
だが、次にココウマロが発した言葉に戸惑ってしまう。
「しかし、それは傷だけの場合です」
「ど、どういうことですか?」
「リュース殿は不治の病にかかっております。傷を治す体力は残っていないでしょう。リュース殿の希望で最後はここで迎えたいと以前から伺っておりましたのでここまで運んできました」
ココウマロは感情が外に漏れないように淡々とナーシャに伝える。
それを聞いてナーシャは上手く口を動かせなかった。
「そ、それって……そんな言い方じゃ……もうお父さんは……」
ナーシャは口元を手で覆い泣き叫びたくなるのを必死に耐えて辿々しい口調で尋ねる。
「そ、その病気って……」
ココウマロは目を伏せながら答えた。
「姫……エレメア様と同様のものです」
ナーシャの膝ががっくりと床に落ち、目から涙が溢れて零れ落ちていく。
そして、あることに気が付いた。
ナーシャは虚ろな目で必死に周りを見渡す。
「デルフ! デルフはどこなの? デルフ!」
その取り乱しているナーシャの様子に見かねたココウマロは冷静に告げる。
「我が軍が窮地に陥りデルフ殿は……隊長としての務めを果たすべく自ら殿を願い出ました。軍の安全を確保した後、信頼できる者を差し向けましたが恐らく……」
それを聞いたナーシャの目は真っ暗になった。
「デルフ……も? 嘘、嘘よ!! 嘘って言ってよ!! ……ううっ、あああああ!!」
ナーシャは今まで抱えていた不安が限界を超え泣き叫びながら崩れるように顔を伏せてしまった。
側で見ていたフレイシアもデルフの訃報を聞き鼓動の激しさを増しているが何も考えることができていない。
ただ、目の前で崩れているナーシャを眺めることしかできずにいた。
「お姉様……」
デルフの訃報に加えあの朗らかで自分を支えてくれていたナーシャが崩れている姿はフレイシアにとって大きな衝撃があった。
「私……一人ぼっちになっちゃうの?」
その言葉が耳に刺さったフレイシアは意識を取り戻し勢いよく立ち上がり走ってナーシャに抱きついた。
「お姉様!! お姉様は一人なんかじゃありません!! 私がいます! 私がいますから!!」
声を張り上げながら抱きしめている手をさらに強く力を入れる。
ナーシャは涙を腕で拭った後、優しくフレイシアの頭を撫でた。
「ごめんなさい。あなたも泣きたいはずなのに私だけ……」
鼻を啜りながらそう呟くナーシャの背中を擦る。
「良いのです。たまには私もお姉様を支えになりたいです」
そんなフレイシアを見て未だ晴れない自分の気持ちを欺き無理して笑顔を作る。
「ありがとう。あなたの気持ち……とっても嬉しいわ」
ナーシャは立ち上がり零したお茶や砕けた湯飲みを片付けるとゆらゆらとふらつきながらリュースの部屋に向かっていった。
それを見送るとフレイシアは我慢の限界を超えた。
せき止めていた涙が続々とあふれ出す。
「デルフ……どうして……何も言わずに行ってしまったのですか。いえ、私は! 私は信じません! デルフは死んでいない!!」
言葉では強がっても身体は正直で震えが止まらなかった。
「デルフ……」
フレイシアは涙を枯らすまで嘆き続け少し落ち着くとナーシャの下に歩いて行く。
リュースの治療を終えて居間に戻ってきたフレイシアはゆっくりと息を吐く。
だが、フレイシアが治せるのは怪我だけであり病気には効かないため気休め程度だが。
そのときドアを叩く音が居間中に響く。
ココウマロがナーシャたちの代わりに応答しようと扉に向かうがその前に扉が思い切り扉が開かれてリスが飛び入ってきた。
「このリス、確かデルフの……」
フレイシアがそう呟いたと同時に開いた扉から少女が顔を見せた。
身長はフレイシアとそう変わらなく長い髪を後ろで緩く束ねている様子から少女であるとフレイシアは考える。
少女は酷く疲労した様子だったがココウマロの姿を見つけると淑やかな笑顔を見せた。
「おじじ様!!」
「ウラノか! どうであった?」
「はい! おじじ様、見つけてきました」
ウラノが自分の下した命令の成功の報告をするがココウマロは顔をしかめる。
あの状況でデルフに勝ちがあるとは到底思えずウラノの報告は訃報で間違いないと考えていた。
だが、ウラノが発した報告はココウマロが考えていた報告の全く正反対だった。
「何とかですが命を繋いでいました」
「なに!?」
ウラノは玄関前に寝かしていたデルフを持ち上げ負ぶさるとゆっくり家の中に入ってくる。
そして、居間に再びデルフを寝かせる。
ウラノは自分を落ち着かせるように息を吐くがそれでもまだ息を切らしている。
一回りも大きいデルフを背負ってきたのだからその疲労は凄まじいものだろう。
むしろ、ここまで運びきったウラノの体力や速度が常人を越えている。
フレイシアは口を両手で押さえて嗚咽を漏れないようにしている。
ウラノは呼吸を落ち着かせてデルフの状態を説明する。
「傷の手当てはできる限りのことはしました。と言っても始めから塞がりかけていましたが。ですが、敵から受けた毒により容態は未だ不安定です」
手持ちの薬で症状を和らげているらしいが完全には解毒をできていなかったらしい。
それを聞いたフレイシアは椅子を揺らして立ち上がりウラノに指図する。
「急いでデルフを部屋に!!」
デルフを部屋のベッドに寝かせるとフレイシアはデルフに両手を翳す。
フレイシアの手が淡い緑色の光が灯りそれがデルフへと注がれていく。
すると、苦しそうにうなされていたデルフの表情が次第に和らげていく。
さらに所々に残っていた細かい斬り傷までもがたちまちに塞がっていった。
「すごい……」
ウラノはその光景に呆気にとられていた。
フレイシアの治癒魔法は他の術とは違う。
詠唱をせずとも発動しその効果は桁違いだ。
ウラノが驚くのも無理はない。
「毒は取り除きましたが起きるまではまだ少し時間が掛かるでしょう」
フレイシアは振り向きウラノに視線を合わせる。
ウラノはびくっとして身構えたがそのフレイシアの穏やかな表情を見て力を抜いた。
「フレイシア様、申し訳ありません。ウラノは少々内気な性格でして騎士団の面々とは未だ面識が薄く打ち解けたものも皆無なのです」
「えっ!? ふ、フレイシア……?」
フーレの姿になっているフレイシアを二度見しているウラノを他所にフレイシアはココウマロに笑顔で答える。
「大丈夫ですよ。気にしていません。……ウラノさん」
「は、はい」
大国の姫であることを知ったウラノは緊張で声が裏返ってしまう。
「ありがとうございました」
ウラノは目を丸くする。
「えっ? えっ?」
「デルフを助けていただき本当に本当にありがとうございます。いくら言っても感謝が足りないくらいです」
涙を零しながら感謝されるとは思っていなかったウラノはあたふたと戸惑っている。
それがこの国の姫であるフレイシアであるから尚更だ。
そのとき部屋の外からどたどたと足音が響いてきて扉が思い切り開かれた。
「デルフ!!」
ナーシャは部屋に飛び入り寝込んでいるデルフに豪速で迫るとゆっくりとその頬を撫でる。
そして、デルフの体温と息を確かめた。
ナーシャは鼻を啜りぐっと我慢してゆっくりと振り向く。
「生きてる……生きてるわ! フレイシア!!」
「はい! はい!!」
お互いに泣きじゃくりながら抱きしめ合った。
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